何でできていた?
昨夜の現場、巨大なクモを退治したであろう南区大通りの中ほどへやってくると、近所の住人が集まって何事か話していた。
「みなさん、どうかされたんですか?」
「ああ騎士様、ちょっとこれ見てよ。たぶん昨日の嵐のせいだと思うんだけど」
一人のおばちゃんが地面を指差す。
見れば、石畳の隙間に残る雨水を避けるように、地面の一部が白黒のまだら模様になっている。
サーラ先輩は手袋を外してしゃがみこみ、地面の黒いものを指につけた。
「ふむ」
「先輩、これはなんでしょう?」
「これは“煤”じゃないかな。白い方は白亜に見えるね」
白亜とは石灰のことだ。
昨夜のクモが原因なら、夜半過ぎの雨で流れていってもおかしくなさそうだが……。それとも事件の後、ここで何か燃えたか。
サーラ先輩の真似をして指に煤をつけると、固い粘着質のものが指の動きを止めた。親指と人差し指で煤をはさんでこねる。ぐにょぐにょした感触。
「飴……、いや、ニカワかな」
「そうだね」
ニカワといえば一般的な接着剤である。ワニスと同様、木工製品に広く使われている。
ということはやはり、クモは木製の人工物か?
サーラ先輩が「そうか」と言って手のひらを打った。
「なるほど。……ワニス、ニカワ、煤に白亜とくれば答えは限られる。リートはわかるかな?」
「木工品しか浮かびません」
「ユーカちゃんはどう? わかる?」
ユーカは真剣な表情であごに手を当てて考え込んだ。その姿はいつも以上に頼もしく見える。
怪光事件を経てからというもの良い塩梅に力も抜け、後輩はすでに一人前の騎士である。先輩としても誇らしい。
……だが、そのもこもこ、どうにかならんか。
「妹が白亜にニカワを混ぜていたのを見たことがあります。絵の具です」
「正解。どれも絵画の材料だよ」
昨夜、クモは大通りを南下した。王城方面から来たってことだ。
近衛騎士のソルナは、どこかで見た、と言っていた。
クモは画材を残していった。
まだおぼろげだが、事件の輪郭が少しずつ見えてきたな。
「王城に原因がありそうだ」
「王城の工作室に製作中の絵画があったよ。そういえば、壊れた壁は工作室の外壁だったね」
王城一階広間から中央の階段を上り、二階の工作室へやってきた。
入って右手、南側の窓が破られており、窓周辺の壁が破損している。
工作室の中には作業台がいくつか置かれ、奥には十数枚の絵画がイーゼルに立てかけられていた。
「先輩、あの絵は誰が描いたかわかりますか?」
「アトリが通っている予科の生徒達だね。授業でここを使ったんだ」
絵を見ればどれも生物画だ。鳥、犬、猫、蛇、虫、そしてクモ。
白いキャンバスに描かれたクモは全体が黒色で塗られ、白色で凹凸や反射光を表現している。絵の表面はワニスで保護されているようだ。
今にも動き出すのではないかと思えるほど、とても上手な絵だが……
「リートさん、こんなに足の長いクモっているんですか?」
「ああ、ユウレイグモという。ハエトリグモと並んで家屋の守護神と呼ばれる益虫だな」
「……でも、本物とはちょっと違うね」
そう、違うのだ。形や特徴はユウレイグモだが、色が違う。
本物のユウレイグモなら白から薄い褐色だ。黒色ではない。
絵の下に名札が貼られていた。
「ええと、これを描いたのは……、芸術科一般教室、エルスチル」
俺が見た化物は、黒色で足の長いクモだった。
その化物によく似た絵がここにある。
絵の置かれた工作室の窓が破られている。
これは想像だが、絵がなんらかの力で実体化したと考えれば合点がいく。
昨夜、実体化したクモが窓から飛び出し、大通りを南下した。
女子寮の数人がそれを目撃して騒ぎになり、俺達が出動した。
「絵が実体化することなんてあるんですか、先輩」
「過去そういった能力を持つ人物がいた、という伝承はいくつか残っているね。“創造者”と呼ばれる特殊能力だよ」
仮にエルスチルという人物がその“創造者”であったなら、おそらく力を制御できていない。自らの能力に気付いていたら、その力を隠すはずだ。
現象の発生はおそらく昨日の嵐が来た時だろう。嵐が境界となり、現象が起きた。
原因はこのエルスチルという人物が描いた絵だと推測できるが、まだわからない。他の原因も考えられる。
「予科へ行ってみるか」
「はい」
「私も行くよ」
サーラ先輩が真剣なまなざしで俺を見てくる。
なんか様子がいつもと違うな。どうしたことか。
「……仕事はいいんですか? 先輩」
「いいの! 行くの!」
「もしかして王城で何かあるんですか? エグバジルさんが登城するとか?」
あ、目をそらした。
王城から北の橋を渡るとすぐ左手に騎士団本部があり、北区大通りを挟んでその向かいにあるのが予科学校だ。
俺にとっても通いなれた、懐かしき学び舎である。
背負ったクモの絵がずしりと重い。落とさないよう慎重に運ばねば。
そこそこ広い敷地に、赤煉瓦造り二階建ての大きな建物と脇に小さな平屋。大きい方が本校舎、小さい方が倉庫だ。
校舎の裏手へ回れば、地方から来た学生のための下宿がずらりと並ぶ。
予科は戦前、徴兵された国民が戦場での心得を学ぶ場であった。ところが、歴史的に趣味人の多いレスターナ王家が「農学をやれ」だの、「工学を教えろ」だのと口を出している内に科目が増えていき、現在では他国における大学のような組織となっている。
名称は『予科』だが、実態は本科そのものである。
「リートさんはいつ頃通っていたんですか?」
「十五の頃だ。半年間通って衛兵になった」
訓練課程を修了すれば衛兵になれる。
一般教練課程を修めれば騎士に、さらに士官教練課程を修めれば指揮官の席が待っている。エリートコースである。
衛士や近衛騎士になる課程は少々特殊で、実務経験が必要だ。
近衛騎士隊の士官ともなれば、全課程修了に加え、身分保証と騎士団の推薦が必要となる。
「私がリートと知り合ったのもその頃だったね」
「初めて先輩に会った時のこと、今でも覚えていますよ」
黒づくめの格好であらゆる授業と試験に顔を出し、ことごとく満点を出していく謎の人物。それが当時のサーラ先輩だ。
興味を引かれた俺はサーラ先輩を探し出し、「もしかして先輩は魔物ですか?」と話しかけたのだ。
「あの時リートから獣爪の独楽の話を聞いてね。それで調査隊に入ろうと思ったんだよ」
「そうだったんですか?」
「そうだったのだよ」
俺より一足早く課程を終えた先輩は、そのまま先代地下倉庫番人エグバジルさんの弟子となった。
エグバジルさんから地下倉庫を受け継いだ際、サーラ先輩は無位無冠だったのだが、「それはいかん」という国王陛下の一言で強引に叙勲させられたという。
なので、サーラ先輩が予科受付へやってくるとこうなる。
「レスターナ子爵門守サーラ卿、ごきげんよう。本日はいかがいたしましたか?」
王国貴族の正式な挨拶である。




