羊の騎士
大通りで巨大なクモと対峙した翌日の朝、俺とヘクス、キアフットの制服が食堂に干されていた。
夜半過ぎ、寮へ戻ってから湯を浴びている間に、皆が洗濯をしてくれたのだ。まったくありがたいことである。
「そのクモはどうされたんですか? リートさん」
「わからん。あとにガラス片のようなものが残されていた」
俺が朝食を口に運び、ユーカが手馴れた動作で俺の髪をとかしてくれる。
いいかげん俺も慣れた日常の光景だが、何故か俺とヘクスが並んで座っており、周囲を女達に包囲されていた。早番のキアフットはすでに出ている。
……昨夜の出来事が気になるのはわかるが、時間は平気なのか。
「ガラスですか?」
「ああ。朝方、キアフットがサーラ先輩の所へ持っていった」
女達を追い払いたいが、洗濯をしてくれた手前すげなくすることもできない。
いや、話に聞き耳を立てるのはいい。しかし間近で整髪を注目されるのはなんというか、こう、先輩風を吹かせてユーカを従わせていると誤解されないだろうか。
俺、反感を買っているんじゃないだろうな?
「リート君、ちょっといいかな」
声をかけてきたのは近衛騎士のソルナだ。魔法の鏡事件の際にこっそり協力してもらった人物である。
“居間で裸になるお姉さん”として俺の心に記憶されている。
「そのクモみたいな化物、つい最近どこかで見たよう気がするんだ」
「本当ですか?」
「どこだったかな……。文書の挿絵か何かだったと思うんだけど」
ということは、文献に残されている存在かもしれない。貴重な情報だ。
「ありがとうございます。調べてみます」
事務所を出ると雲一つない青空が広がっていた。
昨夜の嵐は王都の汚れを吹き飛ばし、“冬”を土産に残していったようである。
深呼吸をすると、冷たく乾燥した空気が肺を満たしていく。冬の匂いだ。
「結局、私たちが調査をすることになりましたね」
「ヘクスとキアフットは任務中だからな。俺たちしかいないだろう」
「まずどこへ行きましょう?」
「サーラ先輩の所かな」
ユーカは毛糸の帽子を深めにかぶり直した。
手袋、帽子、マフラーと見事に毛糸ばかりだ。もこもこである。羊か。
「羊か」
「羊?」
「なんでもない」
連峰は雪に包まれ、立ち並ぶ茶色の木々が山肌に模様を描いていた。
通りに目を向ければ、葉を落とした街路樹の下、白い綿を身にまとった雪虫達がふわふわとお見合いをしている。
レスターナの言い伝えでは、雪虫の群れの中に妖精が一匹紛れ込んでいるのだという。妖精は強い思いを抱えた人物のそばに現れ、願いを一つ叶えていく。願いを叶えた妖精は初雪となって街に降る。
なんともロマンチックな話だが雪虫には注意が必要だ。そばで話し込むと十中八九、口や鼻の中へ飛び込んでくるからな。
「そろそろ降りそうです。……私達も雪かきをするんでしょうか?」
「寮の前は人夫が担当する。俺達がやるのは事務所の周りだ。といっても、滅多にすることはないな」
雪が積もれば通りへ向けて雪を捨てる。通りに捨てられた雪は、除雪夫が川や雪捨て場へ運搬する。季節労働というやつだ。
季節労働で組合がないから仕事の奪い合いになる。生活費を稼ぎたい大人達と、こづかいを稼ぎたい子供達の間でケンカが起きるのだ。
この時期見られる雪かき仕事のなわばり争いは、王都の風物詩となっている。
「詰所に貯金箱あったろ?」
「はい」
「子供達が雪かき仕事をさせてくれと訪ねてきたら、あそこから賃金を出す」
「そのための貯金だったんですね」
かくいう俺も、幼い頃は雪かきの仕事をしていた。
春は糸つむぎ、夏はまき割り、秋は収穫の手伝い、冬になれば雪かきと水汲みが、王都っ子定番のこづかい稼ぎである。
中には子分を働かせて上前をはねようとするガキ大将もいるが、そうすると他区の子供連合がやってきて粛清される。
なわばり争いが熾烈だからこそ、規則遵守は絶対なのである。
「……というのが昨夜のあらましです」
書斎にあるサーラ先輩の机の横に、ちょこんと小さな机が置かれていた。
その机にほくほく顔のアトリが座っている。腕を組んで得意げだ。
「ふむ、クモの化物といえばいくつか……」
「ツチグモじゃな!」
先輩の言葉をさえぎってアトリが発言する。鼻息が聴こえてきそうな勢いである。
「ごきげんだな、アトリ」
「うむ。サーラの元で修行を始めたのでな」
いよいよアトリも調査隊入りか。少し早すぎないだろうか。
「調査隊に入るのはまだまだ先だよ。勉強の合間に手伝ってもらっているんだ。……ほら、アトリはそろそろ予科へ行かないと」
「そうじゃった」
アトリは「行ってきます!」といって元気に書斎を出ていく。
予科学校は騎士団本部の向かい、王城北側の目と鼻の先にある。遅刻はしないだろう。
そういえば、予科は十二歳以上なら誰でも授業を受けられるのだが、アトリって何歳なんだろう。聞いたことがなかったな。
隣を見ればアトリに感化されたのか、ユーカまで笑顔を見せていた。
「アトリちゃんは予科へ通っているんですね」
「こないだまで神学校へ行っていたんだ。でも飲み込みが早くて、あっという間に修了しちゃった。……話を戻すよ」
サーラ先輩は麻袋に手を突っ込んで何かを取り出した。
昨夜の現場に残されていたガラス片のようなものである。
「これはワニスだよ」
「ワニスってあれですか? 木工品の表面に塗る……」
「うん。表面を保護する上塗り材だ。光沢を出すためにも使われるね」
クモの体表に上塗り材?
「ワニスは自然の中にあるものなんですか?」
「油、樹脂、溶剤の三つを混合して作るんだ。自然にできるものじゃないよ」
つまり人工物である。
人工物のワニスに包まれたクモの化物。ずいぶんと不条理な存在だ。
クモそのものが人工物という可能性はあるだろうか?
「機械や模型ってこと? その可能性はあるけど、消えたんだよね?」
「消えました」
ただの人形やからくり仕掛けなら消えたりしない。
仮に木材でできていたのなら、現場に木片が残っていなければおかしい。金属でできていたなら、俺の剣が抵抗なく刺さるのは異常だ。
なんにせよ、人工物と仮定すると疑問が多々残る。なんらかの神秘であるのは間違いなさそうだが。
まだ情報が少ないな。
クモがどこから来たのかもわからないし、何故嵐の大通りを進んでいたのか、その理由もわからない。
情報を集めるなら、一に現場、二に聞き込みだ。
「ユーカ、現場を調べに行こう」
「はい」
「この近くなんだよね? 私も行くからちょっと待って」
そういってサーラ先輩は防寒着を身に着け始めた。毛糸の手袋とマフラーである。
毛糸が流行っているんだろうか。
「仕事はいいんですか? 先輩」
「昨日の嵐で王城の壁が一部壊れたんだ。これから工事でね」
「工事の音がやかましい、と」
「うん」




