十二、夜半に嵐の吹かぬものかは
王都の家屋はほぼ修繕され、冬篭りの準備を終えたまさにその日。
日暮れから吹き始めた微風は少しずつ勢いを増していき、毛布へ潜り込む頃には男子寮の窓を震わせるほどの強風となった。
強風が連れてきた雲からは桶を引っくり返したような大雨。
風と雨の見事な連携は、まさしく横殴りの様相を呈している。
すでに風読みの組合から『数日以内に嵐がきます。火の扱いには充分注意を』という予報が出ていた為、混乱は起きていない。
話に聞いたところによると、落葉直後の山に深い“もや”がかかると嵐が来る前兆なのだそうだ。
そんなわけで夜間の緊急出動もなく、俺は悠々と眠りの世界へ誘われている最中である。
地鳴りなんだか嵐なんだかよくわからない大音響を子守唄にうとうとしていたら、同室のキアフットが声をあげた。
「リート、女子寮の方が何かおかしいぞ」
「んー? んー……」
俺の部屋にある窓は南区大通りに面している。
大通りの東側、王城方面から順に調査隊事務所、女子寮、男子寮と並んでおり、この部屋から女子寮を見るには、窓から顔を出して右側を覗き込まなければならない。
しかし窓を開けると雨が入る。確認が面倒だ。
「起きろよ」
「うひゃい!」
わき腹をくすぐられて飛び起きた。
キアフットめこの野郎、就寝時間が過ぎているのに大声を出してしまっただろうが。
「なんだよ……」
「いいから見てみろ」
キアフットと一緒に冷たい窓へ左頬をつけ、顔を歪ませながら右手を覗く。
下着一枚の男二人が重なって窓へ張りつくという、誤解を生みかねない状況である。
俺の背中に置かれたキアフットの手が暖かい。なんかイラッとするな。
窓の外を見れば女子寮から明かりが漏れ出し、通りの水溜まりを照らしていた。
「何がおかし――、……いや、おかしいな」
「だろ? どうして明かりがついている?」
男子寮の前は真っ暗だ。寮以外の建物は雨戸を閉め切っており、明かりは一つも漏れ出していない。かろうじて王城と衛兵詰所がぼんやりと光を放っているのが遠くに見える。
それだというのに女子寮の前だけがやたらと明るい。まるで全ての女子部屋で火を灯したかのような――
「火事か!?」
思わず窓を開けて身を乗り出した。
強い風雨が部屋の中へ吹きつける。雨粒が顔を叩いて目を開けていられないほどだ。細めた目で煙の有無を確認する。
……出火はしていない。
ほっと息をついたその時、女子寮二階の窓からアンルカさんが顔を出した。こちらに気付いたようだ。
「……ト! ……こっ……て!」
アンルカさんの声は風の音にかき消され、何を言っているかわからない。だが、手招きをしているのが見えた。
手信号で“了解”と告げ、窓を閉める。
「何かあったみたいだ。ちょっと行ってくる」
「わかった。ヘクスも起こしておくか」
適当に服を着てから雨よけの外套を羽織る。
外套は収穫祭二日目に購入した引廻し合羽だ。遥か東方の国からやってきた舶来品である。
剣を差すのは面倒だな。手持ちでいいか。
制服の上着と剣をつかんで男子寮を出た。ものすごい速さで雲が流れていっている。明日までに風が止むといいが。
隣の女子寮一階、食堂へ入ると備え付けのカンテラに火が灯されていた。
ええと、二階へ上がったらまずいよな。
「ああ、リート」
階段の上からアンルカさんが顔を覗かせた。
燭台を片手に、質素な寝巻きを着たアンルカさんが降りてくる。
ん? 何故アンルカさんに続いて他の者がぞろぞろとついてくる?
「何かあったんですか?」
「うーん、それがねえ……」
女子寮の連中が銘々手に明かりを持ち、次々と大股で階段を降りてきた。裾を片手につかみ、めくりあげている者もいる。就寝前のだらしなさは男子寮と変わらんな。
やがて食堂の一角が女達で埋まった。俺の存在に気付いた数人が、慌てて寝巻きの裾を押さえた。別の数人が手で顔を覆っている。
……ああ、そうか。すっぴんなのか。
なんというか、勇猛果敢な団員達が見せる恥じらいの仕草に、新鮮な感動を覚えてしまった。なんだろうこれ。わくわくする。
「リートさん」
「……ユーカ、どうした? 何があった?」
「寮のみんなが、悪魔を見た、と」
「なんだそりゃ」
「外の通りを得体の知れないものが歩いていたそうです」
悪魔ね。
正体不明の存在を見た時、アンルカさんやユーカならきちんと確認するだろう。しかし他の者なら見間違いの可能性がある。
「その悪魔を見たのは誰だ?」
七人が手を挙げた。手が震えている者もいるようだ。
この女子寮を利用しているのは約四十人。夜番の者は本部と王城に詰めているから、大体五分の一。結構多い。
「姿を覚えているか?」
俺が質問を言い切らないうちに証言が次々と出てくる。
「荷車くらいの大きさで」
「長い脚が六本くらいあったような」
「八本じゃなかった?」
「クモみたいな感じだったと思います」
「光沢があったよ」
「そうそう、そうだった」
荷車だから少なくとも人間より大きい。
脚が複数。三対六脚なら虫、四対八脚ならクモといえるだろう。あるいはタコのような水棲生物とも考えられるが……、海まではかなりの距離がある。
“光沢”というのがよくわからんな。
「どっちへ行った?」
「南」
「南です」
「南よ」
ふむ、そこは一致しているのか。
この嵐だから衛兵の夜間巡回はないはずだ。そして、どの家も雨戸を閉めている。
他に目撃者がいるとしたら詰所の衛兵だな。
「アンルカさん、どうしましょう?」
「リート、悪いんだけどちょっと確認に行ってくれる?」
「了解。南の衛兵詰所へ向かいます」
「わざわざごめんね。大丈夫?」
「キアフットも連れていきます。平気ですよ」
外套を脱いで腰に剣を差した。
靴紐を結び直していると、ユーカが制服の上着を着せてくれる。
「リートさん、私も行った方が――」
「ユーカは俺が戻るまで警戒と戸締り確認をしてくれ。……ああ、残り湯があれば温めておいてくれると嬉しい」
「はい」
女子寮から男子寮へ戻ると、キアフットとヘクスがすでに準備を始めていた。さすが行動が早い。
「化物が大通りを南へ歩いていったそうだ。衛兵詰所で確認する」
「了解」
「了解」
悪魔。巨大生物。クモのような何か。光沢。
一体何を見たらそう錯覚するのか。
男子寮入口から荒れ狂う夜空を見上げていると、サーラ先輩の言葉が心の片隅に引っ掛かった。
“大嵐は境界の一種で、向こう側へ繋がる可能性がある”
寮の入口から一歩外へ出れば、普段の王都とは別の世界が広がっている。嵐が雨雲と一緒に神秘を連れてきたとしても不思議ではない。
制服の襟を立て、合羽の紐を首元できつく縛った。
油断しない。深追いもしない。よし。
「行こう」




