いつだって
夕方まで食事と飲み物を買い集め、宿泊予定だった宿から湯たんぽを借りた。
荷物を担いでレソン宅へ向かう。
レソンが光を目撃したのは、おそらく一週間前の一度きり。現象が再び起きるとは考えにくい。いくら待っても空振りに終わる可能性が高いだろう。
だが、ユーカのやりたいようにやらせてみたい。ランジャック隊長ならきっとそう言うはず。
レソンに断りをいれて暖炉を借り、火の中に温石を放り込んだ。ついでに川の水を汲み、鍋で湯を沸かす。
温石とは暖房用の石だ。火で温めた後、布や綿で包み懐中へ入れて使う。
王都では火事の危険がない湯たんぽの方が一般的だが、野営をするなら温石がいい。材料を現地調達できるから便利だ。
難点は怪我の危険があること。石や布の種類を慎重に選ばなければならない。
レソンの畑にある小屋へ着いた。小屋の前に干し草を敷いてユーカと二人、腰をおろす。
手元には湯たんぽ、温石、充分な食料。
暖房よし、雨除けよし、ランタンよし、火打石もある。毛布は一枚しかないが……、まあいいか。準備万端だ。
「ユーカ、解決を急がなくても大丈夫だから無理をするなよ」
夕焼けに照らされた対岸の林を見ながら、ユーカはうなずいた。
手に持ったベーグルは先ほどから減っていない。表情もすぐれないな。
川べりに立つヨシの穂が、陽を受けて金色に輝いている。
薄い紅色をした千切れ雲のそばで一番星が光り、白い月が幻影のようにぽっかりと浮かんでいた。
やがて陽は落ち、冷たい空気が頬を撫でていく。
火を起こしたいが光源を増やすわけにもいかない。
二人で一枚の毛布を分け合い、湯たんぽと温石で暖をとった。
ユーカは何も言わず、暗い川向こうを真剣に見つめている。
川のせせらぎと鳥の鳴き声が耳に届く。
月光が川面に揺らめいていた。
「リートさん」
「どうした?」
ユーカは何か言おうとして逡巡した後、口を閉じ、うつむいた。
……茶化すのはやめておくか。
「不安か?」
「……わかりますか?」
「そりゃあな」
わずかに微笑んだユーカの表情を見て、過去の記憶が蘇った。衛兵になってから半年、一人で仕事をするようになった頃の記憶だ。
当時の上司に不安を言い当てられた俺も、きっとこんな顔をした。
「私、一人でもやっていけますか?」
「ユーカなら立派な騎士になれる。俺が保証するよ」
「……」
「あっ、そうか。頼りない先輩の保証だから不安なのか」
「ふふっ、違います」
黄色に変わった柔らかそうな月が辺りをぼんやりと照らしている。
背の高い針葉樹の輪郭が伸びて、濃紺色の夜空に線を引いていた。
「……一人前になるってことは、一人で何でもこなすってことじゃないんだ」
「そうなのですか?」
「俺を見ろ、失敗ばかりだ。隊長に呆れられるし、団長にも叱られるし」
まあ、失敗のほとんどは俺が調子に乗った結果だ。
ため息が出てくるな。
「何をやってもうまくいかない時だってある。初めてのことをする時は不安で胸がいっぱいだ。依頼人を訪ねる時は、いまだに恐怖で心の臓が高鳴る。逃げ出したくなることなんてしょっちゅうだ。……なんかムカついてくるな」
「なんでですか」
考えすぎれば足がすくむ。思い悩むたびに扉が重くなる。大事なものを失うまいと必死にもがけば、手の内からこぼれ落ちていく。
うまくやろうとすればするほど失敗する。
いつだってそうだった。
「怖くても歩みを止めないことが、一人前になるってことじゃないかな」
「……はい」
俺が身の上を話しても、ユーカの不安が晴れることはないだろう。
だが、同じ思いをしていると理解してくれればそれでいい。
やるべきことが目の前にあるなら、ただ行動するだけでいいのだ。結果がどうなろうと、行動を起こせば道は先へと繋がっていく。
……俺の方は嫌なことを思い出して暗鬱としてきた。
歩みを止めて、ふさぎこんでしまうかもしれん。
「私からは、リートさんはいつも堂々と依頼人に会っているように見えていました」
「見栄をはっているだけだ。騎士がびくびくしていたらかっこ悪いだろ」
「本当は依頼人を不安にさせないため、ですよね?」
なんでこう、心を見透かすのか。少しくらい意地を張らせてくれてもいいだろう?
そっちがそうくるなら俺も見透かしてやる。
「ユーカ、今日わざとわからないふりをしただろう」
依頼人に対する質問の手順、現場捜査の手法、どちらもユーカにわからないはずがない。俺よりもずっと優秀な後輩だからな。
優秀すぎて、甘えられても俺がすぐ気付けないほどに。
「そんなことは……ありません」
「素直になった方が可愛いと思うぞ」
ユーカはふいと顔をそむけ、表情を隠した。思わず苦笑が漏れる。
否定の仕方だけは本当に下手だな。いつもやり方が同じだ。
「話したことは誰にも言うなよ」
「私のことも言わないでくださいね」
アンルカさんに言ってしまおうかと考えたところで、急に寒気がきた。
背筋に指をはわせたような、ぞくりとする感触。
身体が冷えたわけではない。今も暖房と俺達の熱が毛布の中を温めている。
「ユーカ、今何かしたか?」
「いいえ。でも、あちらから何か感じました」
ユーカの視線を追っていくと、その先にレソンの家があった。
暗闇の中にうっすらと浮かび上がるその家は、昼間に訪ねた時よりも異様な姿として目に映る。
窓からわずかな明かりが漏れ出していた。室内にあるろうそくの明かりだ。
川向こうの林に目を向ければ、明かりや怪しい光はない。
特におかしな現象が起きているわけではなさそうだ。
「リートさん、念のためレソンさんの家へ行ってみましょう」
「わかった」
枯れ草を踏みしめ家へ近付いていく。
誰かに見られているような不快な印象が心を支配する。
扉のそばへ来たところで、家の中からレソンが飛び出してきた。
「あっ、騎士様! 出ました! 赤い光!」
再び川の対岸に目をこらすが何もない。ただ夜の暗闇に包まれた林があるだけだ。赤い光などどこにも――
……そうか。そういうことか。
「ユーカ、光が現れたのは対岸の林じゃない」




