上には上がいる
追いかける。
追いかける。
追いかける。
“待て!”
ギランの姿を見失ってはいけない。
ここで見失ったら逮捕の機会まで失ってしまう。
音に頼るな、目を活かせ。
全速力で追い続け、東区の工房街へ入った。
ギランは曲がり角や細い路地をたくみに利用して走り続ける。
王都の地図なら俺だって覚えている。細い水路を飛び越え、先回りをして奴の出口を塞ごうとするが、どうしても一歩遅れる。
ギランが自身の足音を消しているためだ。
“ハッ、ハア、……ぐっ、ハッ、ハア”
切れる息が音も鳴らさずに口から出ていく。
頭の中にだけ響く吐息の違和感で調子が狂う。
速い。もう少しで手が届きそうなのに、追いつける気がしない。
疲労のたまりが早い。足をうまく回せない。
工房街を走り続け、東区大通りへ抜けた。
歯を食いしばりギランの姿を正面に捉えると、その向こうの路地からユーカが出てきた。
ギランが腰から短剣を抜く。
通りの右手から出てきたユーカは、まだこちらに気付いていない。
まずい。
ユーカには俺達の発する音が聴こえていない。
まずいまずい。
“ユーカぁっ!!”
ちくしょう! 声が届かな――
その時、俺の腹から地を響かせるような「ぐぐう」という低音が鳴った。
足がもつれる。
こちらを見たユーカは、目にもとまらぬ速度で剣を抜く。
正対に構えたと思ったら次の瞬間、ギランが足を大きく振り上げて宙に舞い、背中から、どすんと落ちた。
……何をした? どうやったらそんな倒れ方をする?
「剣の腹であごを打ち抜きました」
うわあ、容赦ないな。
というか……
“どうして、俺の、考えていることが、わかるんだ?”
「声を出せないのですか?」
「ハア、……だ。……せない。あっ、出た」
力が抜け、大の字になって道に寝転がる。
荒れた呼吸と心臓の音が耳に響く。
何か食っておけばよかった。燃料なしで走るのがこんなにきついとは。
まあ、でも腹の虫がユーカを呼んでくれたおかげで、なんとかなったな。
「あれっ!? リートさん!」
「ハア、ハア、……どうした、ユーカ」
「ギランがいません!」
慌てて体を起こすと、倒れていたギランの姿が見当たらない。
「ああ痛た」
頭上の方からギランの声が響く。
目を向けると、工房の屋根でしゃがんでいるギランの姿があった。
「ハア、ふう……、あごが腫れているぞ、ギラン」
「いやまいった。つい別のアーティファクトを使ってしまいました」
「……まだあるのかよ」
「一度使ったらしばらく使えませんけどね」
話しながらユーカと二人で工房横の階段を上る。
段差へかける足に力が入らない。休まないと走るのは無理だな。
屋根に上がったところで、ギランが木の枝のようなものをユーカへ向けた。
再び剣を正対に構えたユーカを手で制する。
「ユーカ、もういい。降参だ」
まだ他に遺物を持っているなら、これ以上追うのはダメだ。
正体がわからない遺物を相手にするのは危険すぎる。
ギランは懐から独楽を取り出して口を開く。
「なんとか独楽を手に入れましたが、ずいぶん苦労しました」
「地下倉庫の警備は万全だと思っていたんだがな。世の中、上には上がいるものだ」
ギランはわずかに口角を上げて、柔らかい表情を見せる。
「こんなにてこずったのは初めてですよ。……やっぱり僕はこの国の在り方がうらやましい」
「それなら一つ土産話をもっていけ。長子が財産を相続する法律を作れば、国の教育水準が上がるぞ」
「へえ。どういう理屈ですか?」
「さあな。帝王学を学んだことはない」
「ふふっ、まあいいか。機会があればまた会いましょう。……ああ、侍女長さんには、すまなかったと伝えておいてください。それでは失礼します」
ギランはそういってするりと屋根を降り、すごい速さで走っていく。
やがて夜の闇の中へとその姿をくらました。
つかみどころのない男だったが妙に共感してしまうな。俺と同じ、体制の犬だからかね。
「リートさん、もうしわけありません。独楽をとられてしまいました……」
「気にしなくていい。独楽よりユーカの方が大切だ」
遺物がなくても国は回る。しかし、人がいなければ国は回らない。
優先順位など最初からわかりきっている。
「それに、あの独楽は遺物ではない」
「……えっ!?」
その驚く顔が見たかった。ふっふっふ。
「獣爪の独楽は、紐巻きの投げ独楽じゃない。ぶち独楽だ」
ぶち独楽とは細い丸太の先を尖らせた縦長の独楽だ。
中心軸がなく、鞭で側面を叩いて回転させる。
回すのにコツが必要なので廃れてしまったが、古代から存在する由緒正しき独楽のご先祖様である。
本物を見たことがなければ独楽とは思えない形状……というか、木彫りの置物にしか見えない。
魔法陣も平面ではなく立体の円筒として現れるという。
「じゃあ本物の獣爪の独楽は?」
「今も地下倉庫に保管されているはずだ」
ランジャック隊長も、サーラ先輩も、「盗られたのは独楽だ」と言った。
仮に本物が盗まれていたなら、二人は正式な登録名である“獣爪の独楽”と言うはずである。
だって地下倉庫には本物と偽物があるんだから。
それにしてもギランの奴め、しでかしたな。
諜報員という職種は、敵から直接得た情報を疑う特徴がある。
たとえば俺が“独楽は偽物だ”と教えると、逆に本物の可能性が高いと思い込むのだ。
同じ体制の犬として、奴がクビになることをお祈りしておこう。
世の中、上には上がいる、と反省するがいい。
「どうして私には教えてくれなかったんですか?」
「初対面の時に、独楽を見に行くかと聞いたらユーカは怖がって断っただろ」
「……よく覚えていますね、そんなこと」
「今も怖がりなのか? どうする? 手を繋ぐか?」
うつむいたユーカはゆっくりと剣に手をかけた。
いかん、からかいすぎた。
「遊んでないで、いいかげんに降りてこい」
眼下の通りに目を向ければ、ランジャック隊長が追いついたようだ。
数名の正騎士がランジャック隊長を追い抜き、ギランが逃げた方向へと走っていく。
屋根から飛び降りると、力の入らない足がもつれて転びそうになった。
「ギランを取り逃しました」
「構わん。証拠は充分に集まったからな。戻るぞ」
「了解」
つい仕事を終えた気分になっていたが、これから夜半まで警備任務が残っている。
人使いの荒いこの国の在り方がうらやましいとは、ギランはなんとも酔狂な言葉を残したものである。
「隊長、朝から何も食べていません。食事へ行ってもよろしいでしょうか」
「……ダメだ。我慢しろ」
「ギランはどうなるのでしょう?」
王城前へと戻ってきた俺とユーカは、現在中央広場の警備任務中である。
広場で酔っ払って眠っている連中を、スリや置き引きから守るのが仕事だ。
「国境警備につかまるか、それとも隣国でつかまるか、……でも、おそらく逃げ切るだろうな」
「独楽が偽物だと気付くでしょうか」
「気付くのは本国へ戻った後だろう。あいつには確かめようがない」
独楽が本物かどうか確認するには、死を覚悟して独楽を回すか、魔法専門家の知識が必要だ。
諜報員が一人で確認するすべはない。
「クオニアへ戻ってしまったら逮捕はできませんね」
「証拠が揃っているなら、議会がクオニアへ圧力をかけるんじゃないか」
「戦争になりませんか?」
「ならんさ。クオニアは政治闘争の激しい国だ。たぶん、あいつの飼い主が失脚してめでたく和解、それでこの一件はおしまいだ」
最悪ギランは処刑されることになる。
まあ、複数の遺物を使いこなす実力者だからきっと逃げおおせるだろう。
できれば我が国へ逃げてこないでいただきたい。
広場の東側から、桶を抱えた衛兵の小隊がこちらへやってきた。
大橋の消火点検任務を終えた部隊のようだ。
「任務ご苦労様でした。衛兵隊第六班、中央広場警備を引き継ぎます」
「了解。万象調査隊、中央広場警備を終了します」
……長い……長い一日だった。
やっとメシにありつける……。
「俺は食っていくが、ユーカはどうする?」
「お供します」
幸いなことに広場の露店はまだいくつか営業していた。
その内の一つ、外国料理の店で料理とエールを注文し、王城前の大階段を上る。
どうせなら普段食べられない場所で食べよう、という魂胆である。
最上段に腰をおろすと、南区大通りの中央に点々と置かれた篝火が、道の形を浮き立たせていた。
篝火の横には地区役員が一人ずつ立ち、火の番をしている。
エールを一口飲み込む。乾いた身体へ水分が染み渡っていった。
「リートさん、どうして財産分与の法律を作ると教育水準が上がるんですか?」
「長子以外の子供が財産を相続できなくなると、それぞれ別の仕事を見つけなければならない」
「はい」
「すると母親は教育に力を入れる」
「そうなんですか?」
「よくわからんが、我が国ではそうなった」
レスターナ王国民の識字率はかなり高い。
これは戦前、財産分与に関する法律ができたこと、王室や領主の権威が増大したことが理由としてあげられるとアードロン陛下から教わった。
なんでも、長子が家の財産を相続すると、女性の立場が上がり教育が充実するらしい。
教育によって権威に対する信用が増大すると識字率が上がり、急激に識字率が上がると革命が起きるのだという。
因果関係がさっぱりわからんな。
俺に帝王学は無理そうだ。
「ふぁあ、ほういうほともあふというはなひだ」
「口に物を入れたまま話さないでください」
うまいなこれ。
香辛料の効いた甘辛いソースを小麦麺に絡めた料理だ。野菜がたっぷり入っている。
そしてエールによく合う。
俺の横では、生地に包まれたクリーム菓子をユーカがぱくついていた。
眼下を見渡せば、王都のいたる所で酒盛りが続いているようだ。
宿へ向かう者や明日の準備を進めている者もいる。
夜半だというのに、南区大通りではまだ商売を続けている剛の者までいた。
酔客なら財布の紐も緩かろうと予想した、計算高い商人である。商魂たくましいねえ。
夜空を見上げれば全天に星がまたたいている。
明日もきっと、青空が広がるだろう。
「おっと」
食事を終えて立ち上がると、足がふらついて階段を転げ落ちそうになった。
疲労がたまった空腹の身体に酒を迎えたせいか、酔いが異常に早い。
ここからも俺達の寮が見えるのだが、……まいったな。寮までまっすぐ歩いていけそうにない。
立ち上がったユーカは一瞬、迷子に話しかけるときのような表情を見せて、俺の手を取った。
ふわりと舞った長い髪から、まとう香りが流れて鼻をくすぐる。
「帰りましょうか」
「ああ」
手を引かれて階段を下りながら、この国も悪くないと、思う。
秋の夜風が吹き抜け、繋いだ手の熱を冷ましていった。
十、しでかした盗賊 了




