歌声はつづく
夕暮れの陽が、馬に乗る俺達の影を長く伸ばしている。
地平線まで背の低い草原と荒野が広がっている、何もない場所である。
水はけが悪いため耕作に向かず、かといって岩盤が柔いので建築にも向かない。季節の変わり目に強い風が吹くから木も育たないという、人にとって使い道のない場所だ。
王城から出発して北へ半日、目的の場所へたどり着いた。
「ここだな。ロカさん平気ですか?」
「さすがに少し疲れました」
ユーカの後ろで馬の背に揺られているロカは力なく応えた。
俺の馬に乗ってくれれば少しは楽だったものを、ユーカが「ロカさんは私の後ろに」と言ってしまったので俺は荷物と相乗りだ。
くそう、美人にしがみつかれる経験など滅多に……まあいいか。
「準備をするので、ロカさんは小屋で休んでいてください」
目の前に広がる何もない平原のど真ん中に、小屋が一件だけ建てられている。騎士団所有の見張り小屋である。
現在は伝令の休憩所として使用されており、見張りの人間は常駐していない。
小屋の中へ入ると燃料と保存食が用意されていた。毛布もあるな。
小屋の脇に置かれた、大きく割られた薪を井桁に組んでいく。周囲に何もないから火事にはならんだろう。
二週間前のこと。
王都の貴重な才能が王城地下倉庫へ集められた。
初代倉庫番人のエグバジルさん、二代目番人サーラ先輩、天才科学者フレドー、第二王子コバイン殿下。そして俺。
俺は折衝役というか、仲介役としての参加だ。やはり持つべきものは絆である。コネともいう。
何をしたかといえば、ちょっとした賭けだ。魔道書『ステルラウクス』の解析を行ったのだ。
正直な所、解析できるとは考えていなかったし、できたとしても時間がかかると思っていた。
だがそこは王都が誇る有識者達。フレドーがあっという間に定理を証明して、解析が一気に進んだ。
ステルラウクスはある大きさ以上の隕石を召喚する魔法だ。
空中に境界を作り出し、そこから別空間の隕石を呼び込むのである。
エグバジルさんは相互作用の比例係数がどう、とか言っていたが俺に理解できるはずもなく、ただ、「うむ」と言いながらうなずくので精一杯だったのを覚えている。
最終的に“現代の人間がステルラウクスを使うには、さらに大掛かりで複雑な魔法を併用しなければならない”という結論が出た。
なんでも、大昔とは一日の長さが違うから発動に失敗するらしい。
一方、ロカの祖父が作った楽譜を調べると、境界を作り出す機能は無いことがわかった。
少なくとも巨大な隕石が降ってくることはないのだ。
何かが起きても被害が出る確率はわずかである、とフレドーは言っていた。
そうして俺達は楽譜に書かれた曲を演奏するため、王都北の平原へやってきた。
この場所を選んだのは、人的被害を最小限にするための備えである。
おそらく被害は出ないが、念には念を入れて、というやつだ。
「リートさん! どうして荷物の中にお酒があるんですか!」
「ロカさんの誕生日を祝うのだから酒は必要だ。それに寒さもしのげる」
寒さ対策大事。冷えで体調を崩しては元も子もないからな。
弱い酒にしておいたからユーカが乱れることもない。
値段はそこそこしたが味は保証付きだ。
太陽が地平線に沈み、空の色は西から東へ向かって赤、紫、濃い青へと変化している。
高空に浮かんでいる雲へ陽が当たって、美しい色の対比をあらわにしていた。
薪を組んで椅子を三つ作り、種火を焚き木へ放り込む。
ゆっくりと炎が立ち上った。
「リートさん、まず一献いかがですか」
「ああ、ありがとうございます。ロカさんもどうぞ」
美味い酒と、美しい空と、美人の手酌。いいねえ。
「それでは、ロカさんの誕生とお祖父さまの贈り物に感謝を込めて。乾杯」
飲み干した酒杯を重しにして楽譜を地面に押さえる。
俺がギターを持つと、ユーカがハープを構えた。
この一ヶ月、空き時間を利用して散々練習したのだ。失敗はない。
ロカは立ち上がりこちらを見てうなずいた。
わずかに残った光が柔らかい笑顔を照らした。
演奏が始まる。
ロカの声が伴奏に乗ると、流れ星が一筋、空を駆けていった。
一つ、また一つと歌声に合わせて星が流れていく。
次第に流れ星は増えていき、とうとう俺達の周囲を星が流れはじめた。
俺の身体に当たった星が音もなくはじける。
焚き火の熱にあおられた星が、軌道を変えて上昇していく。
これは塵や石ではなく、音の結晶なのだという。
特定の日、特定の音の重なり、その場に楽譜があること、そうした条件が揃って音が結晶化する。
結晶化した音は透明で、空気にぶつかり光の尾を引くことで俺達の目に映る。
そして、音の結晶化は魔法ではない。なんと自然現象なのだ。
楽譜に隠されていた数式や文字は、ロカの祖父が残した遊び心だったのである。
まったく余計なことをしてくれた。
いや、違う。
余計なことをしたのは俺の方だ。
俺が「奇跡を調べる」と言わなければ、ここまで大事にならなかった。
演奏が終盤に差し掛かると、見渡す限りの空間を流れ星が埋め尽くしていた。
様々な方向へ、光の筋を残しながら星が飛び去っていく。
これだけ高く、遠くまで届くなら、王都からも見えているかもしれない。
歌は典型的な二部形式をくりかえす民謡でそれほど長い歌ではない。
しかし曲自体はとても良くできているし、ロカの歌は美しい。
最後は下属和音がアルペジオ奏法で演奏され、緩やかに余韻を残して終わっていく。
詩に書かれた主人公の旅の続きを思わせる、珍しい形の終わり方だ。
これは人生という長い旅の無事を祈る歌だ。
喜びを、嘆きを、すべて歌声に変える祝福だ。
だから、この曲は主和音でぴたりと終わってはいけない。
続かなくてはならないのだ。
美しいものに彩られた、俺達の人生のように。
「これだけ流れ星があれば、いくらでも願い事ができそうです」
「一生分のお願いができるな」
金属結晶で作られた楽譜はこれからも残り続ける。歌だって残り続けるはずだ。
今、願い事をしなくても年に一度その機会はおとずれる。急いで願うこともあるまい。
「……飲むか」
「それじゃ、何か作りますね」
ロカが「私もお手伝いします」といって腕まくりをした。
空の色は青から深い紺に変わり、天上の静止した星、俺達の周囲に流れ続ける星が優しい明かりを届けてくれている。
演奏を終えても流れ星の止む気配はないが、……まあ、いいか。
今回の件、俺は余計なことをして引っ掻き回しただけだ。かっこわるいな俺。
その代わり自然の奇跡と、ロカの心からの笑顔というなにより美しいものに触れられたのだ。
後悔は一つもない。
「ユーカ、チーズも持ってきたから使ってくれ」
「リートさん始めから飲む気でしたね?」
「新しい人生の門出だからな。楽しもうじゃないか」
九、音の結晶 了




