九、音の結晶
女子寮一階の食堂で朝食を頬張っていると、ユーカが俺の髪をとかしにやってくる。
春頃に始まった意味のわからない日課は、秋の気配が色濃くなった現在も継続している。
だが、いつもとは少し状況が違っていた。目に見えてユーカに元気がないのだ。
心当たりは、まあ、あるといえばある。
「あの……昨夜は本当に申し訳ありませんでした……」
「もう気にするな。大したことじゃない」
「でも……」
「しれっと何食わぬ顔をしていればいいんだ。『何も覚えてません』ってな」
昨夜、近衛隊長へ借りを返すべく、ランジャック隊長との酒の席を設けた。現場は南区大通りに面する、騎士団員御用達の大衆酒場『こまどり』である。
近衛隊長だけでは心細かろうと俺とユーカも同席したのだが、どうやらユーカは今まで酒を口にしたことがなかったようで逆に飲まれてしまった。一口飲んで笑い出し、また一口飲んでは泣き出し、それはもう見事に乱れた。
人間、酒を飲んで笑っている内はまだいい。だが酔って怒り出すと危険だ。
許容量を越えて飲み続けると、徐々に怒りの感情が現れる。やがて怒りが堰を切ってあふれ出せば、獣と化し周囲を巻き込んで暴れだす。
昔の人々はこれを、“酒の神による罰”と表現した。飲みすぎた罰として獣に変えられてしまった、というわけだ。
酒の力とはまさに神秘なのである。
というわけで、いよいよ俺の愚痴を言い始めたユーカをなだめすかし、おとなしくなった所で近衛隊長が寮へ送ることになった。
不幸中の幸いか、ユーカを介抱する段取りの中で近衛隊長とランジャック隊長は自然と言葉を交わせるようになり、ほんの少し二人の距離は縮まったようだ。
結果だけを見れば目的達成、ユーカのお手柄である。
隊長二人とユーカに幸あれ。
「大丈夫、失礼なことは一つもなかった。背筋を正したまま、敬語を使って乱れている人間を初めて見たぞ」
「反省しています……」
見せてしまった痴態を酒のせいにしても言い訳にしかならない。
いくら初体験であっても飲みすぎたのは己のせいであるから、存分に反省すべきだ。
しかし恥を掻くことは成長のきっかけでもある。
俺は後輩の成長が嬉しい。何も問題はない。
「ろれつが回っていなかったけどな。『大丈夫なのれす、平気なのれす』とか言っていた」
「もうやめてください……」
「さすがに服を脱ぎだした時はどうなることかと思ったが」
「っ!」
ぽかり、と頭を叩かれて振り返ると、ユーカは手で顔を覆っていた。
俺は下着の一部しか見ていない。何も問題はない。
意外と子供っぽい下着を付けているんだぁ、とか思ったりもしたが問題は何一つないのだ。
あんまりからかうと本気で殴られそうだな。ここらで許してやろう。
「ところで、昨夜酒場で歌っていた女の人なんだが」
「……ロカさんですね」
「知っているのか?」
「王都で一番といわれている歌手の方です」
「へえ、そうなのか。そのロカさんが今日事務所へ来るそうだ。依頼したいことがあるらしい」
「……あの、私も同席しなければいけないでしょうか……」
「当然だ」
当然れす。これは仕事なのれす。
歌手もユーカの下着をばっちり見ているはずだが、それとこれとは話が別なのれす。
朝食を済ませ、手早く準備をして寮を出ると、穏やかな風が頬をなでた。見上げれば、思わず笑みがこぼれるほど美しい秋晴れである。
王都ではすでに冬篭りの準備が始まっており、いたる所に冬囲いの道具が積まれていた。むしろを編んで樹木の服を作るのだ。
通りに目を向ければ、燃料を買い求める人達が雑貨店に列を作っている。
列を作るのは王都へ来て間もない人達だ。
生粋の王都民なら雪解け直後から薪割りや油の備蓄を行い、今頃はすでに燃料の準備を終えている。
もちろん騎士団も準備は終えており、あとは窓や家屋の修繕をするだけである。
このまま冬まで晴れるといいな。
今から半年前のこと。ロカの祖父が亡くなり、遺品を整理していたら遺言書が出てきた。遺言書にはロカ宛の手紙と楽譜が同封されており、“この楽曲は孫娘ロカのために作ったものである”と書かれていた。特殊な楽器を使う曲であったのだが、なんとか楽器と奏者を見つけて練習していたところ、奏者が「もう演奏したくない」と言い出した。話を聞けば、楽曲を演奏するようになってから体調が悪化する一方なのだという。仕方なく別の奏者を連れてきたのだが、やはりその奏者も体調を崩して途中で逃げてしまった。次第に奏者の間で楽曲の噂が広まり、今では“呪われた曲”だといわれる始末。
優しかった祖父がそのようなものを残すとは思えない。詳しく調査していただきたい。
「とても愉快な祖父でいつも私と一緒に遊んでくれました」
そういって依頼者のロカは薄く微笑んだ。
二十台中頃、長い金髪、地味な街娘の格好だが、どんな服でも似合いそうな手足の細い美人である。
ロカは茶を一口飲んで詰所の机に置いた。
「一緒にいたずらをしたり、ぜんまい時計を作ったり、屋根に上って星を数えたり……。私の誕生日になると二人で歌を作って、道端で歌ったりもしましたよ。ふふっ」
時計? 時計が作れるのか?
「ロカさんのお祖父さまは工学者だったんですか?」
「ええ。数学の教師をしていましたが、物理や工学、天文にも精通していました」
ほう、ロカの祖父はかなり優秀な人間だったようだ。
「それで、楽譜というのは?」
「こちらです」
机に置かれた楽譜を見ると、なるほど、ハープともう一台の楽器を使った歌曲である。
楽譜の端に書かれている文章をユーカが読み上げる。
「“奇跡が起きる歌を、ロカのために”と書かれています」
「ふむ、奇跡ね……。特殊な楽器というのはなんでしょう?」
ロカが布に包まれた大きな荷物を取り出す。布をとるとリュートによく似た楽器がでてきた。
胴がくびれた、なかなか魅惑的な形状の楽器である。弦が六本張られており、胴の中ほどに丸い穴が穿たれている。
手渡された楽器を持つと結構重い。
「この楽器はギターといいます」
ギターといえば、南方の舞踊で使用される硬い木で作られた楽器だ。
指や爪で弦をはじく撥弦楽器という種類で、一つのコースに一本ずつ弦を張る。リュートなら一コースに二弦だ。金属部品が所々で使われている。
レスターナ王国では手に入らない木材を使うため貴重品である。俺自身も見たのは初めてだ。
「このギターはどちらで手に入れました?」
「商隊の方に無理を言って輸入していただきました。アノンダリアよりもさらに南のものだそうです」
「楽譜はこれで全てですか?」
「はい。それで全部です。写本はありません」
「わかりました。私共で調査をしてみましょう」
「よかった……。どうかよろしくお願いします」
綺麗な所作でロカは立ち上がり、こちらに一礼をして詰所を出ていった。
歌声を聴きたかったが、まあ今度でいいか。昨夜も聴かせてもらったしな。
“呪われた音楽がある”という話は過去の文献にもいくつか残されている。演奏したり聴いたりすると凶事や不幸が起きる、というものだ。
極端に高い音、低い音、大きな音であれば肉体に悪影響があってもおかしくないが、通常の楽器で演奏できる曲にそんな力があるだろうか?




