難解な事件の終わり
「やあ、二人とも。こんな遅い時間に、牢屋に何か用かい?」
「ツィーゼ隊長、こちらにいらしていたんですね」
ユーカと連れ立って守衛隊事務所の奥へ向かうと、第二部隊のツィーゼ隊長が衛兵から徽章を受け取っていた。
北の共同墓地から急いで来たのだが、すでに夜は近い。
「今までルケと面会していたんだけど、いよいよおかしくなってしまったみたいだ」
「どうかされたんですか?」
「先ほどからずいぶん怯えていてね。まともに話もできない」
「ツィーゼ隊長も一緒に来てください。確認したいことがあります」
衛兵に徽章を提示する。検査を受けるわずかな時間がもどかしい。
窓の外を見れば、雨粒が窓に当たりガラスに模様を作っている。
鉄柵を開けてもらい、早歩きで地下道を進む。もう一つの鉄柵を抜けて階段を上ると、牢番の衛兵が篝に火を点けようとしていた。牢屋の内部はかなり暗い。
「すまない、火を借りるぞ」
衛兵から奪ったランタンで辺りを照らす。
火の明かりで照らされた一番手前の牢を覗くと、寝台に座るルケが見えた。
「騎士様……、俺の事はもう放っておいてくれ……」
「ルケ、お前に聞きたいことが、……っ!」
独房にルケ以外の誰かがいる。誰かがルケの背後に、寝台の上に立ち、ルケを見下ろしている。
肩を出した扇情的な白いドレス、灰色の肌。長い赤髪に隠れて目は見えないが、髪の隙間から見える朽ちた顔。
「シアヌ……なのか?」
「そうだよ、シアヌだ。……騎士様、俺、こいつとあの世で一緒になるよ」
ルケがシアヌを見上げ、手を取った。
「こんなになってまで俺を迎えにきてくれたんだ。……心底愛されるってのも、悪くないもんだな……」
「待て! ルケ!」
ルケの名を叫ぶと同時に、ランタンの火が強く燃え上がり、消えた。
暗闇が支配する牢屋に、屋根を叩く雨音だけが響いている。
ぼんやりと輪郭が浮かび上がるユーカの前へ出て、剣の柄を握る。
一体どうなった?
奥の牢屋から「暗えぞぉ」という声が聴こえてきた。他の受刑者だ。
ツィーゼ隊長が声を上げる。
「衛兵! 火を持ってこい!」
たいまつを持った衛兵が近付き、少しずつ視界が戻ってきた。
「消えた……」
火の明かりの中に、まるで始めから誰もいなかったかのように、からっぽの牢屋が照らし出されている。
ルケの姿も、シアヌの姿も、完全に消え失せてしまった。
「リートさん、お二人は……」
「わからない。ツィーゼ隊長、囚人脱獄の報せをお願いします。無駄だと思いますが」
「あ、ああ……」
一足遅かった。
しかし間に合ったとしても、はたして人ではなくなったシアヌを止められたのか。
わからない。
その晩、降りしきる雨の中で、守衛隊総出の脱獄者狩りが行われた。
翌々日の夕方まで王都内での捜索は続いたが、ついにルケを発見することはできなかった。
「雨、止まないな」
「お菓子がしけってしまいます」
「ユーカ、他に心配することはないのか」
「お洗濯が大変です」
キリッとした顔を見せるユーカを横目に、衛兵騎士団本部の玄関広間にくると、連日の雨によって痛んだ壁の修繕が行われていた。
何故か職人達に混じって、正騎士隊の連中が手伝いをしている。
仕事はどうしたのか。
「リートさん。こんにちは」
「ああ、どうも」
手を振る受付の女衛兵と挨拶を交わし、第二部隊の詰所へ向かう。詰所は二階東側だ。
階段を上りながらユーカが口を開く。
「受付の人と仲が良さそうですね」
「会うのは今日で二度目だぞ。そんなすぐに仲良くなるわけないだろう?」
開け放たれた詰所の扉を叩いて中を覗くと、第二部隊の騎士達が忙しそうに走り回っている。
さすが優秀な正騎士が集まる花形部隊。調査隊とは大違いだ。
「リート君、こっちだ」
部屋の奥から声がかかる。目を向けるとツィーゼ隊長が書類の山に埋もれていた。
隊長とは書類に埋もれる役職なのだ。そこらへんはどの部隊も同じである。
「リート、ユーカ、参上いたしました」
「うん。報告書読んだよ。内容を理解するのに骨を折ったけどね」
今回の案件を報告書にまとめるのは苦労した。
殺人事件、ルケの自供、二重身現象、境界の向こう側と遺体の行方。
複雑に絡まりあった糸をたどり、解きほぐすまでにずいぶんと時間がかかってしまった。
しかし、たどっていった糸の先はある地点で途切れてしまう。あの夜だ。
神秘そのものと化したシアヌによって、ルケは連れ去られた。
一体何を思って、たった一度会っただけの男を連れ去ったのか俺には理解できない。人の心理とは神秘以上に難解なものだ。まさに複雑怪奇である。
きっとあの後、二人は境界の向こう側へ行ったのだろう。
もちろん、ただの推測だ。何も証拠はないし想像することしかできない。
結局、事件の全貌を明らかにすることはかなわなかった。
すでに容疑者も、被害者も存在しない。全てはあの夜に消えてなくなり、謎だけが雨の中に置き去りとなった。
今後調査は継続することになるが、新事実が出てくるまで保留扱いとなる。
「素晴らしい報告だった。そこで、君を今日呼んだ理由なんだけど」
「はい」
「リート君、第二部隊で働く気はないかな? 最高の待遇を用意してるんだけど」
ツィーゼ隊長がわざわざ俺のところへ、直接に案件を持ってきのだ。当然こうなることは予想していた。
そして答えはもう決まっている。
「申し訳ありません。辞退させていただきたく思います」
「そうか、それは残念だ。君なら優秀な隊員になれると思ったんだけどね。……そろそろ行かなくちゃ。それじゃ、ランジャック隊長によろしく言っておいてくれ。来てもらって悪かったね」
ツィーゼ隊長は部下を引き連れ、やはり忙しそうに詰所を出ていった。花形部隊の隊長も楽じゃないな。
それはそうと、時間を多めに空けておいたから余裕ができてしまった。少し早いけど、昼メシでも食いに行くか。
「断ってもよかったのですか? リートさん」
「ここの仕事は俺の身に余るよ」
「でも高待遇だとおっしゃってました。お受けすれば良かったのに」
「そう言うわりに嬉しそうじゃないか、ユーカよ」
「そんなことは……ありません」
正直なところ始めは迷った。自身の力を求められるのは幸福なことだと知っているからだ。
調査隊の面々や現在の仕事、俺を取り巻く全てを天秤にかけて考えた。
「さて何を食うかな」
「雨ですからね。身体が温まるものがいいです」
そうして出た結論は、意外なほど単純であった。
迷いを断ち切ってしまうほどの、大事なものがあることに気が付いたのだ。
今、俺の力を本当に必要としているのは誰か、ということである。
それにもう一つ。
身の丈に合わない期待や名声はただの重荷だ。背負い続ければあっという間につぶれてしまうだろう。
それは俺の望むところではない。俺は面白おかしく日々を過ごすことができれば、それでいい。
「それなら煮込みだな。ショウガが利いてると尚良い」
「そういえば鍋料理のお店がこの近くにあるそうですよ」
「うん、いいな。そこへ行こう」
ついでに、俺を必要とする誰かと一緒にうまいものが食えれば、何も言うことはない。
俺は単純な人間なのだ。
八、難解な事件 了




