リートの道楽
手紙によると、ロカの祖父が残したのは孫娘のために作った曲だ。
“奇跡が起きる”、というのだから単純に呪われているとは考えにくい。それに、たとえ優秀な人間であっても呪いを作るのは容易いことではない。
ユーカが手に持った楽譜を逆さまにしたり引っくり返したりしながら口を開く。
「楽譜だけだとどんな曲かわかりません」
「旋律の並びは北方地域の民謡に似ている。和声を見る限り、穏やかな曲だと思う」
ギターの弦を押さえ音を出していくと、一オクターブが十二等分されていた。
平均律だ。調を限定しない音律である。
調を限定しないということは大抵の曲を演奏できる。弦が六本あるから長調と短調、どちらの和声を作るのも容易だ。
「リートさん、お詳しいですね」
「騎士団に入る前は吟遊詩人を目指していた」
「えっ!? なんだか……意外です……」
「失敬な。これでも昔は芸術を愛する繊細な美少年だったのだ」
繊細だったかどうかはともかく、音楽好きは事実である。廃材を集めてリュートや笛を作ったこともある。
お気に入りは指や爪で弦をはじく撥弦楽器だ。件の楽器と同じ種類である。
演奏する姿がカッコイイからな。
「一つの調で使える和音は大別すると三つだ。主和音、五度上の属和音、五度下の下属和音。さらに、それぞれの代理和音を含めて六つが主要な和音になる」
「全然わかりません。五度ってなんですか?」
「ハ長調の音階をドレミファソラシと習ったことはないか? ドから順に一度、二度と数える。主和音は一度、つまりドを基準にした和音だ。属和音ならソ、下属和音ならファが基準になる」
「やっぱりわかりません」
「だよな。俺もわからん」
感覚的には理解できるが、言葉で説明するとなると難しい。
音楽とは神の作りたもうた言語。それ自体が神秘なのである。
「ともかく、まず原因の特定をしなければ始まらんな」
楽曲自体に問題があるのか、それとも楽譜を見ることに問題があるのか。
おそらく王都にあるギターは手元の一本だけだから、楽器に問題があるとも考えられる。
体調を崩したのはギターの奏者だけだ。楽曲自体に問題があるなら依頼者のロカやハープの奏者にも影響があるはず。
楽譜を見るのも同様だ。ギター奏者だけに影響があるのはおかしい。
ふむ。
「ちょっと弾いてみるか」
「演奏すると体調を崩す、とロカさんがおっしゃっていました」
「一度だけなら平気だろう」
推測が間違っていなければ、一度や二度なら問題ない。
「というかリートさん、演奏できるんですか?」
「うん、これならできそうだ。……緊張するから拍手をやめなさい」
一番太い六弦から一番細い一弦まで、撫でるように指で弾く。
根音と主旋律、要するに基準の音と歌さえ外さなければ、少しくらい拙くても曲として成立する。
詩の内容は、幼い頃の思い出を大人になった主人公が旅先で思い返すという、淡い記憶を鮮やかに表現した歌だ。主人公の年齢を限定しないよう、詩の言葉が工夫されている。
主和音から始まる長調の曲は素朴で、どこか故郷を想起させるような優しく穏やかな旋律である。
まあ、俺にとって故郷は王都なのだが。
典型的な二部形式をくりかえす民謡でそれほど長い歌ではない。
しかし曲自体はとても良くできているし美しい。
最後は下属和音がアルペジオ奏法で演奏され、緩やかに余韻を残して終わっていく。
主人公の旅の続きを思わせる、珍しい形の終わり方だ。
「どうだ? 何か起きたか?」
「すみません……。少しだけ、待ってください」
奇跡は起きなかったが、ユーカの涙腺が決壊してしまった。
良い音楽が心に響くと何故か泣けてくる、その気持ちはよく分かる。
だが今は調査の最中だ。音楽を楽しむ時間ではない。
「はあ……、とっても素敵な歌ですね」
「そうだな。よいしょっと」
ギターを持ち上げると、ふとももにくっきりと跡がついていた。
「予想通りだ」
「何かおかしいのですか?」
「この楽器は見た目に反して重すぎる。鉛が使われている可能性が高い」
楽器に鉛を使うと腐食しにくい上、重量が増える。重たい楽器は振動が安定するから音が良くなりやすい。
だが、いくら良い音になるといっても鉛を使用するのは厳禁だ。
楽器というのは毎日触るもの。手で直接触るものだから、演奏する度に鉛が少量ずつ体内に入る。
しかもこれは撥弦楽器だ。爪の間に毒をたらすようなものである。
王都では鉛毒が知られているが、他の地域では安価で加工しやすい利便性の高い金属として鉛があらゆるものに使用されている。楽器に使用されていても不思議ではない。
「職人の所へ持っていって、金属部品を交換すれば問題ないだろう」
「体調を崩された奏者の方は大丈夫なのでしょうか?」
「しばらく安静にしていれば自然に毒が抜けるはずだ。念のためギターの奏者と医術師に連絡しておくか」
部品の比重を調べれば鉛が含まれていることを証明できる。
証明できたら、あとは報告書を書くだけだ。
「思ったより解決が早かったですね」
「まだ推測の域を出ないが、まあそうだな。……物足りない」
「解決できたのですから喜びましょう」
いや、けっして王都民の不幸を願っているわけではない。
しかしせっかく俺の趣味を活かせる依頼がきたというのに、あっという間に解決してしまった。
物足りなさを感じるのも止むを得ないことである。
「ユーカ、ついでに“奇跡”とやらも調べてみないか?」




