つぎはぎ
「それは面白そうな案件だね。良くできた怪談としても通用する話だよ」
「ちっとも面白くないですよ先輩。こんがらがりそうです」
サーラ先輩の書斎も事件のように雑然としているが、この雑然感はいいものだ。こんがらがっていないからな。
「さーらせんぱい、てがかりをください」
「甘えた声を出せばいいというものではないよ。少しはユーカちゃんを見習って真面目に――」
「さーらさん、てがかりをください」
「まったくユーカちゃんまで……。仕方ないね、取っ掛かりをあげましょう」
背筋を正したサーラ先輩はそのまま先生形態となった。
今なら愚痴だろうが長話だろうがなんでも聞くぞ。なんなら説教でもかまわない。
「容疑者は本当に自室の戸を通ったのかな?」
「あっ!」
ユーカが何かに気付いたようだ。
む、なんか悔しいな。後輩に先を越されるとは。
「以前、サーラさんに教えていただきました。戸は境界になります」
「そうだね。戸はありふれた境界の一つだ」
つまり自室の戸を通った時、ルケの身に何かが起きた。
「扉を開け閉めする音は誰も聴いていないんだよね?」
「俺が読んだ依頼書にはそう書いてありました」
「じゃあ容疑者は、自室の扉ではない、まったく別の扉を開けたということになる」
「扉ではなく、境界を開けたということですか?」
「その可能性があるね。……ふむ、容疑者は数字が書かれたものを身に着けていなかったかな? 服、靴、装飾品、なんでもいいよ」
「さあ、そこまでは……」
事件の日、ルケが何を着ていたのかなんてまったくわからない。
ユーカが俺の肩を指差して言う。
「リートさん、容疑者の肩に『無双』という刺青がありました」
なるほど。無双とは“二つと並ぶものはない”という言葉だ。
しかし数字を意味する文字に何の意味があるんだろう。
「そうなると、二重身現象を起こした可能性が高いね」
文献や資料で何度も読んだことがある。詰所の棚にも報告が残されているはずだ。
同一の人間が同時に複数の場所で目撃される現象で、二重身、分身、影法師、離魂、ドッペルゲンガー、バイロケーションと様々な呼び名がある。
世界中の文献に残されている有名な神秘現象であり、比較的起こりやすいとされている現象の一つだ。過去には影の病とされていたこともある。
「二重身には色々な原因、様々な説があるんだよ。体外離脱しているとか、幻影の自分だとか、並行時空の自分だとかね」
「並行時空……ってなんですか?」
「ある事象が分岐した時に世界も二つに分かれる、という仮説があるんだ。我々がいるこの世界と少しだけずれた世界、それが並行時空」
「本件に関係していることなんですか?」
「例えば、ルケが境界を抜ける瞬間、外出したルケ、外出しなかったルケ、事象が二つに分岐したならどうなるだろう。分かりやすくいえば、ルケの意識はそこで分離したということになる」
外出したルケは境界を抜け、ほんの少しずれた別の世界へ行った。
外出しなかったルケはそのまま自室に留まる。
だがそうなると、娼婦のシアヌが死ぬのはおかしい。
死んだのは別の世界のシアヌだ。俺達がいるこの世界のシアヌは生きていなければならないし、そもそも遺体が移動する意味がわからない。
「確かにそうだね。でもよく考えてごらん。ルケは何度、境界を通ったかな?」
四回だ。境界を通る度に分離したと仮定するなら、ルケが五人に分離したことになる。分離する度に別の世界へ移動するのだから、つまり……
「ルケが見た死体は全て別の存在、別の死体だ」
余計にこんがらがってきた。
大事なのは、今この世界の牢屋に囚われているルケが本当にシアヌを殺したのか? という点だ。見失ってはいけない。
「ルケの記憶はどうなっているんですか? 殺したり遺体を捨てたり横に遺体が寝ていたり、いくつも記憶が重複しているように思えます」
「重複しているんだろうね。最後に境界を越えた時、つまり自首をしに行くときに分離していた全ての意識が合体したとすれば説明が付く。だって遺体が横に寝ていたのに、いつも通り仕事へ行こうとしたんだよね? おかしいと思わないかい?」
そうか。一番初めに自室に留まったルケは殺人をしていない。いつも通りの日常を過ごしていたはずだ。
だが、どこかで分離したルケが殺害したならば、外出した瞬間にその記憶が上書きされ、自身が殺したと認めることになる。
つまり、ルケが覚えているのは別々の行動をした自分、つぎはぎの記憶だ。
「俺達がいるこの世界のシアヌが死んだのは何故でしょう?」
「わからない。けど、事象の上書きもされるとしたら……」
死んだという事実で上書きされる。
「そんな……そんなことが本当に起きるんですか?」
「うーん、自分で言っておいてなんだけど、可能性はほぼない。事象が境界を越えて移動したら、相反する状態が同時に存在してしまう。被害者の場合でいうなら、生と死がまぜこぜになってありえない状態になってしまうからね」
ユーカが両手を挙げて口を開く。
「あの、お二人が何を話されているのか理解できません」
「……そうだな。少し落ち着こう」
全容が難解すぎる。俺自身、サーラ先輩についていくのがやっとだ。
ここは正騎士隊に伝わる先達の教えを参考にさせてもらおう。
“物事は単純に考えろ”だ。
なにも、ルケの自供を裏付ける必要はない。境界の向こう側ではなくこちら側で起きたこと、この世界で起きた事実を明らかにすることが肝心だ。
事件の問題点。
まず、この世界のルケは本当にシアヌを殺したのか?
自室に留まったルケがこの世界のルケだとするなら、殺害していない。
事件が起きたとされる日、ルケはずっと自室に居て普段通りの生活をしていた。
次に、この世界のルケが殺していないとするなら、シアヌが死んだ原因は何か?
ここが一番の問題だ。
事象が境界を越えて移動することはない。つまり別世界のシアヌが死んでも、この世界のシアヌは生きていなければならない。そうなると、死の原因が他にある。
「検視の記録を洗ってみよう。何か出てくるかもしれん」




