旅する思い
「これは……何でしょう?」
木枠から鏡をはずすと裏蓋に隙間が作られていた。隙間には紙に包まれた何かが入っている。
「指輪だな。紙に何か書かれている。ええと、名前に日付、住所もあるな」
名前はゲワード、メーテの二人分。それぞれ男女の名前だ。
日付は今からおよそ五年前。
書かれた住所は王都南区の住宅地。事務所のすぐそばだ。
確か、この鏡は北区にある雑貨店の店主が、アノンダリアの商隊から買ったものだったはずだが。
指輪は宝石や装飾のないシンプルな造形で、内側に“この広い世界で一番大切な君へ、愛をこめて”と文字が彫りこまれている。これは結婚指輪か?
ユーカへ指輪を手渡す。
「この指輪がおかしな現象を起こす原因でしょうか?」
サーラ先輩が首を振った。
「おそらく違うと思うよ。魔法が掛かっていればその可能性もあるけどね」
もしも魔法が掛かっていたなら現象に法則があるはずだ。脈絡のない、でたらめな幻を発現することはない。
鏡を木枠にはめ、木箱に戻した。
「書かれた住所へ行ってみよう。何かあるかもしれん」
「はい、あ、リートさん少し待ってください」
ユーカが別の紙に何か書いて、鏡の木箱に貼った。肩口から覗くと、『リート以外の者、開封厳禁』と書いてある。
何故、俺の名前なのか。
「イーリアが怖い思いをしたのはリートさんのせいです。最後まで責任を取っていただかないと」
反省しております。
だが、飴で頬を膨らませながら説教しても説得力がないぞ、ユーカよ。
事務所から細い路地を南東へ進み、紙に書かれた住所へやってきた。
この辺りにある住宅が密集した地区は、王都の中でも特に道が複雑な場所である。
まず歴史の長い地区であるため、他区のように区画が整理されていない。次に、道や建築が方角からずれている。他にも行き止まりや建物の影に隠れた階段などが多数あり、大きく曲線を描く道まである。
その曲線の道の先、一段高い場所にある平屋が目的地だ。
午前の日差しは天を覆う薄曇に遮られ、目の前にある小さな煉瓦造りの家屋はどこか寒々しく見えた。
「ノックノック。ごめんください。騎士団から参りました」
反応が返ってこない。もう一度、扉を叩く。耳を澄ますも家屋の中から生活音は聴こえない。
窓から室内を覗くと部屋は空っぽだ。人の気配はなく、家具は一つ残らず撤去され、暖炉の灰も全て片付けられていた。
「隣に何か御用ですか?」
右隣の家屋から顔を見せたのは、恰幅の良い中年女性である。どうやら掃除中であったらしく、ほうきを片手に持ち頭に布巾を巻いている。
「騎士団の者です。こちらに住まれている方をご存知ないですか?」
「ゲワードさんのこと? とっても良い方だったんだけどねえ、五年前に亡くなったのよ。それからずっと空き家」
「その話、詳しく聞かせてください」
女の話を要約するとこうだ。
この家にはゲワードとメーテという名の、仲睦まじい中年の夫婦が住んでいた。
今から六年前、メーテは病に倒れ帰らぬ人となる。天涯孤独となり気力を失ったゲワードも、五年前の冬、妻の後を追うように亡くなった。
「奥さんを亡くしてから元気がなくって、見ていられなかったのよねえ。でも今から思えば、自分の死期を分かっていたような感じだったわね」
「それはどういうことですか?」
「薪や家財道具を全部売っちゃったのよ。奥さんが大切にしていた鏡だけ残してね」
思わずユーカと顔を見合わせる。
「その鏡はどうなったか、ご存知ですか?」
「確か……ゲワードさんのお葬式の後に、教会の人が持ち帰ったんじゃなかったかしら」
親切な中年女性に礼を言って、西区へ向かう馬車に飛び乗った。向かうのは西区にあるレスタナ教会である。俺の実兄、ロンズが働いている教会だ。
「鏡は元々王都にあったものだったんですね」
「ああ、てっきり外国から来たものだとばかり思っていた」
輸入品ではなく王都内で売買されたもの、ということか。
アノンダリアの商隊が王都で仕入れ、王都で売った。
……しかし、それではほとんど利益が出ないはずだ。
儲けを出すなら素直にアノンダリアへ持ち帰った方がいい。錫と水銀を利用した鏡だから、王都以外ならどこでも高値で売れる。移動の邪魔になるような重さの鏡ではないし、日用品だから関税も安い。
どういうことだ?
西区広場で馬車を降りると、正午の鐘が鳴った。
気温はそれほど高くなく、過ごしやすい天気である。ああ、腹が減ったな。飴を食っておけばよかった。
「兄貴、いるか」
教会の中へ入ると静謐な雰囲気が溢れている。俺自身、敬虔な信者ではないのに、教会へ来ると穏やかな気分になるから不思議なものだ。
いや、そういえば俺はアトリアナの信者だった。教会で奉られている慈愛神ではなく、王城にいる元気な少女の方だが。
「リートにユーカさんか。よくきたな」
前回兄貴に会ったのは夏至祭りの時だった。
挨拶を交わす際に見せた笑顔は少しほっそりしている。前回会ったときよりも痩せたな。どうやら兄貴は、顔から太る性質があるようだ。
「神秘話を聞きにきたのか」
「今日は調査で来た。五年前、葬式の後に鏡を持ち帰らなかったか?」
「……五年前……ああ、あれか。遺品の引き取り手がいないと聞いてな。鏡一枚だけならと、俺が持ち帰った」
「その鏡はどうした?」
「葬式の数日後にリアソロン教の伝道師と話す機会があったんだが、伝道師がどうしても譲ってほしいというから、土産として渡した記憶がある」
「その伝道師はいまどこに?」
「本国へ帰った後、司教になって……確か、今はエイランド王国で教区長をやっているはずだ」
伝道師はリアソロン教国へ鏡を持ち帰った。リアソロン教国は大陸北東の果てだ。
その後、伝道師は昇進してエイランド王国へ向かった。エイランド王国は大陸南東の端である。
それがどういうわけか、鏡は大陸南西の国アノンダリアへ渡り、再び大陸北西のレスターナ王都、グラスランドへ戻ってきた。鏡は五年かけて大陸を一周したことになる。
そして現在、鏡は元の持ち主であるゲワード宅のすぐそばにある。
ただの偶然にしては出来すぎだ。
「ありがとう兄貴。それじゃまた」
「ああ。次に来るときは、もう少しゆっくりしていけ」
教会から一歩外へ出ると、強い日差しが熱気をもたらしていた。先ほどまで天を覆っていた雲はまばらになり青空が見えている。
鏡は王都へ戻ってきた。
たった五年だ。たった五年で戻ってきた。
伝道師がエイランド王国へ鏡を持っていったのか定かではないが、少なくとも一度はリアソロン教国へ移動している。
戻ってくる時はおそらくアノンダリアから来たはずだ。
五年という期間は、旅をする時間として考えれば長い。だが旅をしたのは鏡である。
普通、大きな鏡は家屋の中に固定されるもの。模様替えでもなければ動かすことはまずない。家屋の外に出すことだって、そうあることではない。
やはり、鏡は何らかの力によって戻ってきた、と考えた方がいい。
「リートさん、鏡をあの空き家へ持っていきませんか?」
「……どうしてだ?」
「鏡はあの場所へ戻りたいのだと思います。だって、亡くなった奥様の指輪を入れておくほど大切にされた鏡です。きっと使われていた時の記憶や思いが、鏡に残っているのではないでしょうか」
感傷的な発想だ。だが、その願いは理解できる。
家財を全て売り払っても、ゲワードが最後まで手元に残した鏡。
鏡は夫婦の墓前か、あるいは夫婦の思い出の場所に供えるべきものだ。
事情を知らない他人の手へ渡るには、込められた思いが強すぎる。




