報告、近衛騎士ソルナ、二十五歳
要人警護の任務中、私は一時たりとも気を抜かない。
不審人物や武器などがないか周囲に目を配り、安全圏を確保し続ける。また、要人に対し失礼がないよう、振る舞いには特に注意している。それが近衛の仕事というものだ。
要するに大変疲れる仕事である。
しかし、様々な恩恵があるのもまた事実だ。
与えられる給料は騎士団の中でも上位だし、王族の行啓訪問があれば外国へ行くこともできる。
そして今日、客人の警護任務を終えた時のこと。
エリエット殿下から「疲れたでしょう。帰って休みなさい」とお声を頂いて、いつもより早く帰ることができたのだ。
そうして他の者より一足早く女子寮へ戻ると、調査隊のユーカが寮二階の居間で、壁に鏡を掛けていた。
廊下と居間の間には仕切り壁がなく、柱が一本立っているだけなので、ユーカはすぐにこちらへ気付いたようだ。
「ただいまユーカ、何それ?」
「ソルナさんおかえりなさい。大きな鏡を頂いたので、寮のみんなが使えるよう居間に置こうかと思いまして」
私だったら独り占めする、と思ったが口には出さない。真面目で可愛い後輩に卑しい女だと思われるのは心外である。
質素な作りの鏡を見ると、窓から差しこんだ夕日を反射して居間全体に明るさをもたらしていた。
「きれいな鏡だね。ちょっと使ってもいい?」
「はい、どうぞ」
鏡の前に立ち、慣れた手付きでまとめた髪を解く。
髪の一本がはっきりと見えるほど曇りがない鏡だ。歪みもなさそうである。
全て解き終えると一日の汗と午前中の雨のせいか、自慢の黒髪に変な形がついてしまっていた。手ぐしを通すも元に戻りそうにない。
ああ、早く湯を浴びたい。夕食の前に浴びてしまおうか。
「鏡の位置を少し下げて、前に机と椅子を置こうか。その方が寮のみんなも使いやすいでしょ?」
「そうですね。では物置から机を持ってきます。ついでに燭台も」
「ここ、朝は戦場になるね。私物を置かないように張り紙しておかないと」
ユーカがぽてぽてと、小さな歩幅で居間を出ていった。
しっかりと訓練して筋肉もついているはずなのに、どうしてああも可愛い歩き方ができるのだろう。私も歩き方に気を付けてみようか。
どうやら寮へ戻ってきているのは私とユーカだけらしく、廊下はしんと静まり返っている。
階下では、寮母のロロンナさんが夕食の準備をしているはずだが、その音も聴こえてくることはなかった。
なんとなく鏡の中の自分を見る。
顔はまあまあ整っている方だと勝手に思っているが、自分の事というのはどうにもわからない。親戚のおじさんは会う度に「可愛い」と言ってくれるものの、それが本音なのか、お世辞なのか、それとも親戚ならではのひいき目なのか、判断がつかないのだ。
そんなに可愛いなら、もう少し私はモテてもいいと――
「ん?」
鏡に違和感がある。違和感の正体はわからないが、何かおかしい。
右手を上げる。
鏡の中の私が左手を上げる。
顔を左へ向ける。
鏡の中の私が右を見る。
気のせいかな。
自分が思っているより、疲れているのかもしれない。
「ソルナさん、机を持ってきました」
「はい、ありがとう。椅子は居間のやつを使おう」
机を壁にぴったりと付けて、鏡の位置を下げた。椅子に座ればちょうど真正面の鏡に顔が映る。
机に燭台を固定すると、簡易鏡台の完成だ。
今まで女子寮に無かったのが不思議なほど、鏡台は自然に居間の風景へ溶け込んでいた。
「ユーカ、それは何?」
「鏡にかける布です。居間でみんなが安らいでいる時に、鏡が見えたら嫌かなって」
「みんながユーカくらい気配りできれば、毎朝水場の取り合いにならないんだけどねえ」
さすが、叙勲直後に万象調査隊へ配属された優秀な後輩である。
剣豪の孫、という肩書きに嫉妬する者もいないではないが、もしも何かあったら私が後輩を守ろう。自分の見た目に自信はないけど、腕っ節だけなら男にも負けないのだ。
「それじゃ私、お湯を浴びてくるね。ユーカはどうする?」
「お供します。……ソルナさん、ここで裸になるのはやめてください」
「昨夜ソルナさんから聞いた話は以上です。どうですかリートさん」
「報告に間違いはないか?」
「聞いた言葉の通りだと思います。ソルナさんは、とにかく違和感があった、とおっしゃっていました」
ふむ、ソルナの言葉通りだとするなら、おかしな点が一つある。
「ユーカはどう思った?」
「そうですね。一つだけ気になる部分があります」
「居間で裸になる、というところだな」
「違います」
ちょっとした冗談だろう。睨まなくてもいいじゃないか。
「あー、おほん。左を向いた、という部分だな」
「はい。ソルナさんは左を向いたまま鏡を確認しています。そうすると鏡の中の顔は右へ、向かって左を向きますが、目線は正面へ向くはずです」
こちらが鏡の中の自分を見れば、鏡の中の自分は必ずこちらを見る。一枚の鏡を使って、別方向を見ている自分を確認することはできない。
ソルナの身に起きたのは、現実にある実体の動作と鏡に映る像が食い違う現象だ。
奇妙な現象ではあるが、これだけではなんとも言えないな。単なる見間違いや、報告自体に齟齬がある可能性も低くはない。
「もうしばらく様子を見るか」




