七、鏡に映るもの
王都北区に雑貨店をかまえる店主がある日、アノンダリア王国の商隊から三枚の鏡を仕入れた。店主は鏡を磨き、さっそく店頭へ並べた。三枚ともすぐに売れたのだが、一枚だけその日の内に返却された。何か不備があったか、と客へ聞くと、この鏡は何かおかしい、と言う。返却された鏡を確認すると特におかしな点はなく、曇りや傷もない美しい鏡だ。店主は鏡をもう一度店頭へ置いた。すぐに別の買い手が付いたのだが、翌日、やはり客が鏡を持って店へ来た。客曰く、見知らぬ人物が鏡に映るのだという。
「というわけで、これがその鏡です」
そういってアンルカさんが詰所の机に置いたのは木箱だ。一辺がおよそ肘から指先ほどの長さで正方形。厚みはない。
木箱を開けると、敷き詰められた枯れ草の中から美しい鏡が出てきた。無装飾の木枠にはめられ、質素だが歪みのない出来の良い鏡である。
「錫と水銀を使ったガラス製の高級品だ。俺が買おうと思ったら半月分の小遣いが飛ぶな。……まだ直接の被害は無いんですよね?」
「ええ。何かおかしなものが映るとだけ聞いたわ。店主は何度も鏡を見ているけど、神秘現象に遭遇したことは一度もないそうよ」
つまり、一日かそこら使用しただけであれば危険は無い。
鏡を移動させてもやはり危険はない。接触にも問題はなさそうだ。
「リートとユーカはこの鏡を調査してください。もし現象の原因があるなら取り除くように」
原因を取り除く?
ユーカが首をかしげて口を開く。
「調査後に遺物として登録するのではないのですか?」
「高価な鏡だからできれば売り払いたい、と店主が言っているのよ。じゃ、あとよろしく。ああ、いつも以上に慎重にやってね。それじゃ!」
アンルカさんがあわただしく詰所を出ていく。
夏休みの後はいつもこうだ。事務方で止まっていた仕事が山ほど押し寄せてくる。休み中に溜まった現場仕事が半分、もう半分は騎士団全体訓練の準備だ。
毎年の秋前になると、各隊の連携を見るために全部隊参加の訓練が行われる。訓練自体は一日で終了するのだが、規模が大きいため準備期間が長い。
全体訓練が終われば冬篭りの準備が始まり、王都の収穫祭に合わせて選抜人員による武術大会が開かれる。とまあ、とにかく騎士団の秋は忙しい。
騎士団員の装備を手入れする鍛冶師も書き入れ時だな。全体訓練の前に一度、俺とユーカの剣も鍛冶屋へ持っていかなくては。
窓から昼の王都を眺めればいくらか薄暗く、夜半から降りだした雨がまだ続いている。通りには雨よけのコートに身を包んだ住人達が、足元の水たまりを確認しながら歩いていた。
雨の日くらい、ゆっくりしたいものだ。
「さて、どうやって調査するか」
「いつも以上に慎重に、とおっしゃってました」
「高価な物だしな。それに、鏡ってのは日用品の中でも特殊な道具なんだ」
鏡というものは、清めればお守りに、穢れれば邪悪な力を呼ぶ道具になる。
他にも化物の正体を映すとか、鏡の向こうに別世界が広がっているとか、合わせ鏡で悪魔を呼ぶとか、鏡にまつわる伝説を数え上げればきりがない。
「そういえば私の実家では、鏡を使用しない時に布をかけていました。変なものを呼び込まないように、と」
「鏡は境界の一種なんだ。だから使わない時は蓋をする。使い方を間違えなければ、鏡が境界の影響を防ぐ盾にもなる」
鏡に蓋をして影響を抑える、という行為はあらゆる地域で行われている。
迷信も多分に含まれているだろうが、鏡に何らかの力がある、と人間は直感的に理解しているのだろう。鏡自体が神として崇められる地域もあると聞く。
「とりあえずどんな現象が起きるのか、調べる必要があるな」
「でも、ずっと鏡を見ているわけにはいきません」
雑貨店の店主は、南の国アノンダリアの商隊から鏡を仕入れている。おそらく店主は出所を知らないだろう。外国から来た旅の商隊だから、仕入先をあたるのも難しい。
つまり今回の場合、現象から原因を推測するのが近道である。だが俺達には他の仕事もあるし、通常の訓練もしなければならない。一日中、鏡を見ているわけにはいかないのだ。
「一日ずつ持ち回りで鏡を使用する、ってのはどうだろう」
「調査隊の皆さんで、ですか?」
……毎朝髪を整えているランジャック隊長ならともかく、ニラックさんやヘクスが鏡を使うとは思えない。俺自身、鏡を使う習慣がないから、何かおかしな現象が起きても見逃す可能性が高い。そうなると、だ。
「よし、ユーカ。女子寮の皆で鏡を使ってみてくれ」
「それは……大丈夫ですか? 何か起きたら問題になるのでは」
「きちんと事情を説明すれば平気だろう。寮にはアンルカさんもいるし」
うむ、なかなか良いアイデアだ、と思う。
女なら朝は大抵、鏡を見る。髪の長い者は夜も見るだろう。手鏡しか持っていない者もいるから、大きな壁掛け鏡があればこぞって使うはずだ。
確か、事務所隣の女子寮に入っている騎士団員は四十人ほど。これだけいれば一人二人は何か目撃するだろう。
「あの、事情を説明したら誰も使わないかと……」
「そうか?」
「恐ろしい何かが映るかもしれないと言われたら、誰も鏡へ寄り付きません」
そういうものか。危険はなさそうだから問題ないと思ったのだが。
……いかん、いかんな。俺は神秘に慣れすぎたせいか、何かおかしなことが起きる、と言われたら恐怖する前につい心が躍ってしまう。
俺自身を基準に考えてはダメだ。普通の女なら怖がるに決まっている。
「じゃあ、こうしよう。女子寮の居間か水場にこっそり掛けておく。もちろん使用の強制はしない」
「そう、ですね……うーん、やっぱり問題があるような気がします」
「ユーカとアンルカさんを除いて、女子寮の皆は事情を知らない。だから、おかしなものが映ったと報告があれば確実に鏡が原因だと分かる。報告がなければ、鏡以外に原因があると分かる。それに……」
「それに?」
「皆を巻き込むのは、面白そうだと思わんか」
詰所の室内に、ふわっと淡い光が差す。
夜半から王都を濡らし続けた雨は、いつの間にか止んでいた。
「リートさんっていじわるですよね」




