ぽよんぽよん
「ふむ、黒いジギタリスと祖父の夢ね……」
「神秘と関係している気がしてならないんです。俺の勘ですけど」
日暮れが近いので「一緒に行く」と渋るユーカを事務所へ帰し、その足で再びサーラ先輩の書斎へ来た。仕事ではないから自由に動けるのはいいが、後輩を引っ張りまわすのは少々気が引ける。
「神秘だとするなら予知夢かもしれないね」
「ノアンの祖父は、未来の出来事を夢で見た、ということですか」
「予知夢を“神の思し召し”と表現する記録は多いんだ。危機回避のために神様が教えてくれたんだ、ってね」
そうなると、ノアンか、ノアンの周辺に危機が迫っている、ということになるが。
「違う! 違うぞ!」
おお、びっくりしたあ。突然聴こえた声の方を見ると、机の影からひょこっと白髪頭が出た。アトリアナだ。慈愛の神として俺がこっそり崇めている、古代人で元巨人の少女である。
アトリは机にあごを乗せ、腕をべたっと机上へ伸ばした。
「アトリ、何が違うんだ?」
「先の出来事を夢で見られるのは、神ではなく精霊のおかげじゃ」
「精霊?」
「精霊が世界の均衡を保つために、生き物に知らせとる。『お前さんはあそこへ行きなさい、これをしなさい』とな」
世界の均衡とはまた大きな話がでてきたが、それがノアンの依頼にどう関係するんだろう。
サーラ先輩が手を打つ。
「なるほど、世界の理に影響が出そうになると、精霊が知らせてくれるんだね」
「うむ。精霊の力とは世界の理そのものじゃからの。均衡を保つため、時には夢を見せたり、時には何かしらの兆しを残すのだという」
「つまり、世界による運命の修正力だ。強制力といってもいいね。どうしてノアン君本人じゃなく、ノアン君の祖父に夢を見せたんだろう?」
「その方が良いと精霊が判断したんじゃな。運命の糸は複雑に絡まっておる。わしらには理解できなくとも、精霊は糸を解きほぐせるということではないかのう」
二人の話についていけない。さっぱりわからん。
「ええと、ノアンの祖父の夢が予知夢だとして、どんな意味があるんですか?」
「夢を起点としたノアン君の行動が世界を良い方向へ導く、ということだよ」
「ノアンが感じている衝動も、その、“運命のなんちゃら”なんですか?」
「運命の修正力。そう考えるのが自然だね」
いまいち話を飲み込めていないが、疑問が一つ心に浮かぶ。
「運命なんてものが本当にあるんですか? 人の一生の出来事はすでに決まっているとか?」
サーラ先輩とアトリが同時に口を開く。
「決まっていないよ」
「決まってないぞ、リートよ。……先の出来事がすべて決まっていたら、わざわざ精霊が知らせる意味はないじゃろう。運命とは、意思を持つものと世界とが手を取り合い、足並みを揃えて作っていくものなんじゃな。足並みがずれそうになると『ちょいとキミ、ずれとるぞ』と精霊が教えてくれる」
人と精霊は二人三脚でより良い場所へ向かっているが道筋は決まっていない、という理解でいいのかな。
つまり、ノアンは衝動に従った方がいいのか。
「ノアンが何者かへ黒いジギタリスを贈らなかったら、どうなるんですか?」
「足並みがずれたままになるね。いずれ、どこかの時点で帳尻を合わせることになるんじゃないかな」
「帳尻ってどういう……」
「わからない」
まあ、それはいいか。
方針は決まった。黒いジギタリスを見つけてノアンへ渡す。可能であればノアンが花を贈る経緯を見守る。これでいこう。
「リート、今夜はわしと一緒に寝るじゃろ?」
「そうだったっけ?」
アトリとそんな約束をした記憶はないが。
「約束はしておらんが、わしと一緒に寝るじゃろ? な?」
「一緒に寝るのは構わないが、アトリは俺の部屋に入れないぞ。男子寮は女人禁制だ」
「リートがサーラの部屋で寝ればよい」
なんと!? それは……いいのか? ありなのか?
「……いや、それは、ちょっと、よろしくないような……」
「三人では少し狭いか」
そうだな、うん。
「まあ、なんとかなるじゃろ。リートを挟んでわしとサーラが横に寝る。リートにしがみつけば寝台から落ちることもない。完璧」
まずい。アトリの貞操観念が読めない。
サーラ先輩が「くっ」と音を漏らしながら笑いをこらえている。さては、こうなると知っていたな。
「ふう、私は客室で寝るから、二人は私の部屋を使うといいよ」
夢を見た。
水が流れる音。暑い日差し。
木々に囲まれた大きな屋敷。ひまわりが咲く広い庭の片隅。大木の下に、一株の黒いジギタリスが風に揺れている。
俺は誰かと話している。
手を伸ばす。指先が温かいものに触れた。
ノアンが手紙と黒いジギタリスを抱え、涙を流している。
穏やかな表情で泣く姿に心がざわつく。
悲しさ、感謝、郷愁、迷い、嬉しさ、寂しさ、様々な感情がいっぺんに溢れた。
胸が締め付けられ、思わず声をあげようとして、目が覚めた。
身体に妙な重さを感じて頭を起こすと、アトリが俺の腹を枕にして寝息を立てている。
そうか、昨夜はアトリの就寝を見届けてそのまま眠ったのだった。高級な寝台で横になったおかげか、深く眠ったようで疲れはない。
深く息を吸い込むと気分が冴えてきた。
朝日が差し込む部屋には、さわやかな花の香りが漂っている。サーラ先輩のローブに付けられている匂いである。
それにしても、今しがた見た夢は何だったのか。昨日の記憶が見せた夢か、それとも精霊が見せた予知夢か。
予知夢であるなら、精霊が俺に“黒いジギタリスを探せ”と知らせたのかもしれない。めでたく俺も運命修正の関係者となったわけだ。
「む、……リートおはよう。そなたの腹は硬いのう。もうちっとサーラを見習うがよい」
「おはようアトリ。見習うって、何をだ?」
「胸と腹じゃ。サーラみたいにぽよんぽよんになれば、わしの寝心地が良くなる」
「先輩はぽよんぽよんなのか。そうか……」
朝支度を済ませて王城一階広間へ向かうと、アードロン陛下が自ら荷物を馬車へ運ぼうとして、使用人達に止められていた。王族は今日から夏休みのため、別荘へ向かうのだ。どれ、俺も荷積みを手伝うか。
「陛下、おはようございます」
「おおリート、早いな。そろそろ褒賞の内容は決めたか? 言っておくが事務所に自室を作るのは無しだぞ」
「いえ、まだ決めておりません」
以前、衛兵行方不明事件で褒賞を受けた際、調査隊事務所に俺の部屋を作ってくれ、と言ったら却下された。「寮の個人部屋へ移動したいなら許可する」と言われたが、それでは意味が無い。帰るのが面倒だから事務所に自室が欲しいのだ。
「リートは休みをとったのか?」
「いいえ。帰る実家もありませんし」
「そういえば、両親はロンダーンにいるのだったな」
俺の両親は王都で製紙問屋と書店を営んでいたが、三年前にキャメリサ王妃へ店の経営権を売却した後、「文献の収集をしてくる」と言い残してロンダーンへ向かった。
以降、年に一度よこしてくる手紙だけが唯一の接点である。
「あの、陛下はジギタリスという植物をご存知ですか」
「知らんな。任務に関係することか?」
「そうです。黒いジギタリスを探していまして」
本当は任務と無関係なのだが、陛下の情報網を利用させてもらおう。
「わかった。見かけたら騎士団へ連絡しておこう」
「ありがとうございます」




