未来の後悔
夜ごとアトリが楽しんでいる、“ぽよんぽよん”とは一体どんな感触なのか。
あらゆる自然物や人工物の知識を動員し、今にも目の前に“ぽよんぽよん”が現れそうなほど深く想像しながら詰所へ入ると、ユーカが心配そうな顔でこちらへやってきた。何事か。
「どちらへいらしていたんですか? 朝、食堂にもいらっしゃいませんでしたし」
「ああ! 悪い。言付けを忘れていた」
昨夜はすぐに寮へ帰るつもりだったから、ユーカへ何も言っていなかったな。後輩に心配をかけた上、寮母のロロンナさんにも悪いことをした。明日の朝にでも謝っておこう。
「それで、リートさんは昨夜どちらへ?」
「サ」
「サ?」
「……さすがに遅くなったから、王城の客室を借りて休んでいたんだ」
思わず「サーラ先輩の部屋に泊まっていた」と口を滑らせるところだった。
いかん、ぼろが出る前に話題を変えよう。
「ユーカは夏休みをとらないのか?」
「はい。お休みをとっても訓練しかすることがありません。それに、祖父から「一人前になるまで帰ってくるな」と言われています。……父の手紙には、帰ってきなさい、と書いてあるんですけどね」
ユーカの家族が、ユーカとどう接しているのか想像できるな。祖父の言い分も、父親の言い分も、どちらも愛情からくる言葉だ。俺と兄貴なんて親からほっとかれているのに。
いやいや、俺達兄弟は大人として自由にさせてもらっているのだ。文句は言うまい。これはそう、親子の信頼の証である。
「今朝、予知夢を見たぞ。大きな屋敷の庭に黒いジギタリスが咲いている夢だ。ノアンがジギタリスを抱えているところも見た」
「どちらのお屋敷ですか?」
「……そういえば見覚えがないな」
「つまり王都内にあるお屋敷ではない、ということでしょうか」
そういうことになる。
生まれ育った王都内ならほとんどの場所を覚えている。その俺が知らないのだから、屋敷がある場所は王都の外だ。
まいったな。見当がつかない。
「王都の周辺でもないのですか?」
「任務で大抵の場所へは行ったことがあるが、記憶に無い」
ノアンはジギタリスを抱えていた。あれが予知夢であるなら、俺はジギタリスを見つけてノアンへ渡せるはずだ。何年もかけて取りに行くような遠い場所ということはない。あんまり遠いと、ノアンへ渡す前に枯れるからな。
暑い日差しとひまわりがあったから季節は夏。今夏、あるいは来夏以降ということになる。だが来夏以降とは考えにくい。正式な調査ではない案件が一年以上も継続しているとは思えない。
そうなると屋敷は王都の周辺、日帰りか数日程度で戻ってこられる場所にあるはずだ。
「リートさんが行けない場所、または行きにくい場所、ということでしょうか」
王都周辺で俺が行けない、行きにくい場所。
……一箇所だけ心当たりがある。他に手がかりもないし、行ってみるか。
「ユーカ、俺の見た夢が本当に予知夢かどうか、疑わないのか?」
「今更です。リートさんが信じていることなら、私も信じます」
「それなら出掛ける準備をしてくれ。……今から予知夢の再現に向かう」
思わぬ後輩の言葉にむず痒さを感じながら、ほんの少しだけ迷いがでた。
本当に、予知夢で見た通りに動いてもいいのか。ジギタリスの入手はいい。問題はその後だ。
ノアンは夢の中で泣いていた。穏やかな表情だったが、涙を流していた。意味は分からないが、様々な感情が心に去来して胸を締め付けられた。
俺の行動が、十歳の少年を深く傷付けることになるのではないか。
……未来を後悔しても始まらない。俺も、俺自身を信じよう。
強くなりつつある朝の日差しを浴びながら、俺達は王城へ足を向けた。馬を使いたいところだが残念ながら費用はない。まあ、いつものことだ。
ううむ、上司の威光にすがってみるか。
「王都の外へ向かうのではないのですか?」
「外へ行くぞ。ただ、あの場所は俺達が許可なく行っても追い返される」
王城の前には五台の馬車が列を成して止まっている。馬車の周囲には近衛隊が勢ぞろいして馬に乗り、隊列を組んでいた。そろそろ出発予定の時刻である。
隊列の先頭で、あぶみを履こうとしている若い女に声を掛ける。兜からはみ出した長い金髪は丁寧に世話をされているらしく、光を反射して美しく輝いていた。
「近衛隊長殿、私達も同行させて頂けないでしょうか」
「うん? 調査隊のリートと、それにユーカ……だったか。確かリギン先生の孫娘だったな。先生にはいつも世話になって――」
どうして若い女が近衛隊長をやっているかといえば、前近衛隊長が問題を起こしたからだ。前近衛隊長は、既婚者でありながら部下の女に手を付けたのである。よりによって王城内でだ。
始末もまずかった。前近衛隊長は法廷で「男が女を好きになって何が悪い!」と悪びれもせずのたまったのだ。その言葉から、陛下の側近が不倫を肯定するとは何事か、と王国議会へ波及する大問題となり、前近衛隊長は反論の甲斐なく解雇された。
“金と異性に気を付けろ”と騎士団教練で散々習うというのに、まったく、恋とは度し難いものである。
「二人はどこまで行くつもりだ?」
「陛下の別荘までです」
「それは許可できない。予定にない人員を増やすわけにいかない」
予想通りのつれない返答だ。やはり隊長たるもの、こうでなくては。
しかし、若くして騎士団序列三位に上り詰めた堅物女騎士であっても一個の人間である。
近衛隊長へ近付いて、こっそり耳打ちをする。
「近々ランジャック隊長と酒の席を計画していまして。是非、近衛隊長殿もご一緒にいかがでしょう」
「……う、貴様……そういえば、後方の荷馬車に空きがあったな……」
「ありがとうございます。では後日改めてご連絡を」
「あー、よ、よろしく頼む」
恋とは度し難いものである。
近衛隊長の咳払いを背に、ユーカと二人で最後方の荷馬車へ潜り込んだ。
人の片思いを利用するのは少々気が引けるが、仕方がない。“立っている者は親でも使え”だ。
以前、酒宴で近衛隊長にせがまれ、ランジャック隊長の隣席を譲ったことがあるのだが、結局一言も会話できなかったと嘆いていた。
騎士団の才媛にしてはずいぶんと可愛らしい嘆きである。次こそは上手くいくように願っておこう。
それにしても、何故こうモテるのだろう、うちの調査隊長は。




