六、花は折りたし
「リートさん、イレナさんが王都へ戻ってくるそうですよ」
「それはよかった。奇跡でも起きたのかね」
「ずいぶん軽い言い方ですね」
「ユーカも見ていたろう? あの祝福を」
俺達は詰所の棚の端、通し番号が付いていない棚に目を向ける。
そこには、やはり通し番号がふられていない紙の束がある。手続きを踏んだ正式な調査ではないが記録の必要がある、と判断された報告がまとめられているのだ。
その報告書の内、一枚を書いたのは俺とユーカである。
話は少々さかのぼる。
「できれば話を聞いてあげたいです」
「そうねえ……」
露店で昼食をとってから事務所へ戻ると、ユーカとアンルカさんが難しい顔をして向き合っていた。
いつもなら菓子やメシの話、化粧品の話、日焼けの防止法、ランジャック隊長にはどんな服が似合うか、といった話題を取り留めなく話しているのだが。
「おかえりなさいリートさん。ん、もしかしてお酒飲みました?」
「よくわかったな。エールの味見をしてくれと頼まれて、一口だけな」
「お酒は百毒の長ですよ」
「百薬の長ともいうだろう。つまり何を飲むかではなく、飲む量が肝要であることに他ならぬのである、と俺は思うのである」
「酔っているんですか、もう……。これを見てください」
ユーカから手渡されたのは調査の依頼書である。ええと、なになに。
「ジギタリスを探している。一緒に探してほしい」
ジギタリスって何だっけ。ええと……確か木の名前だったような。
神秘と無関係の内容であるどころか、騎士団が受け取る内容ですらないな。さっさと断る案件だ。しかし二人が悩んでいるということは訳ありかね。
「アンルカさん、何かあったんですか?」
「十歳の男の子が一人で直接事務所まで来て依頼したのよ。深刻な顔でその場から動かないものだから、とりあえず帰らせるのに依頼書を作ったんだけど」
なるほど、断りたいけど依頼書を捨てるのも忍びない、ということか。
「ランジャック隊長は何と?」
「他の仕事を優先しろ、だって」
そりゃそうだ。管理職として真っ当な対応である。しかし、隊長は依頼を断れとは言っていない。他を優先しろ、と言ったのだ。
「俺とユーカは終日王都待機のままですよね?」
「ええ。今日と明日は待機よ」
「それなら話だけでも聞いてきます。ユーカもそれでいいか?」
「え? はい!」
なんかごめんね、と言うアンルカさんを事務所へ残し、依頼者の少年がいるという北区へ向かうこととなった。もちろん費用は出ないので徒歩だ。
今日は朝から雲一つ無い快晴で、気温は高いが湿気はほとんどない。からっとした気持ちの良い天気である。
こんな日は大通りへ出ずに、狭い路地を進むのがいい。建物の間に渡された洗濯物が、涼しい日陰をもたらしてくれるからだ。
「ユーカ、ジギタリスって何か分かるか?」
「鐘のような形の花を咲かせる植物ですね。暗く深い森の中で育つ、と聞いたことがあります」
ほう、王都内で探すのは難しいのか。王都近辺で深い森といえば、連峰の山裾に一つと、北東の方へ一日進んだところに一つある。後者は通称“兵士の森”と呼ばれる怪奇現象の多発地帯だ。街道から大きく外れる上、岩場が点在する獣道を進むことになるから、大変危険な場所である。
「サーラ先輩の所に寄っていこう。博物図鑑でジギタリスを確認しておきたい」
「はい。……あの私、リートさんはこの件を断ると思っていました」
「断った方が良かったか?」
「いえ! でも、調査費用が出ない仕事はなさらないのかと」
確かに、いつもうるさく「費用は大事だ」とユーカに言っていた気がする。
タダ働きや持ち出しは褒められたことではない。行動と予算の帳尻が合わなければ俺が損をするだけでなく、帳簿の精査を行う議会や他の団員達にも迷惑が掛かるからだ。
「これは仕事ではない。現在俺達は待機中である。はい、復唱」
「これは仕事ではありません。私達は待機中です。……何ですかこれ」
「自分勝手に動きたいときは、他の連中に迷惑が掛からないようにするのがコツだ。少年の依頼を聞いてやりたい、という気持ちは俺の勝手だからな」
「……わかりました。これは“私達”の勝手です」
王城の中へ入ると、使用人達の騒がしい声が聴こえてきた。
明日から十日間、王城は夏休み期間に入る。しかしこの時期、避暑を求めて王都へやってくる客は少なくないため、前もって受け入れ準備をしているのだ。
王族は夏休み中、王都の東にある川沿いの別荘へ行くのが慣例となっているが、客の歓迎をするため二、三日ですぐ城へ戻ることになる。休みだというのに忙しないな。
「おや、二人ともいらっしゃい」
「調べ物にきました、サーラ先輩」
書斎へ入ると相変わらず雑多で薄暗い陰気な場所だが、ここは王都で一番涼しい場所ではないだろうか。先輩は、自分が快適に過ごすためなら何でもするからな。遺物すら利用しているかもしれん。
「先輩、ジギタリスって知ってます?」
「うん、知ってるよ。暗い日陰で育つ猛毒の植物だね。“血が付いた指”なんていう別名があるんだ。花言葉は“不誠実”。生贄の儀式で使用された、と書かれてる文献もあるけど後世の創作である可能性が高いかな」
ずいぶんと不吉な印象を持つ植物だな。
先輩が開いた薬草図鑑には、一本の長い茎を中心に下半分が葉、上半分に円柱形に連なる花の絵が描かれている。総状花序というやつだ。
上部に密集した花は、とうもろこしの実のように茎の周囲に縦に並んで咲いており、なるほど、花の一輪が釣り鐘の形によく似ている。金持ちの奥様が履くスカートの形にも似ているな。色は紫、白、黄、赤と様々だ。木の高さは子供の背丈ほど。木というより草だなこれは。
「毒があるんですか?」
「草全体に毒があって、口にすると腹を壊すよ。たくさん食べれば死ぬこともある」
「ジギタリスが生えている場所を知りませんか?」
「うーん、取り出した成分の粉末なら書斎の金庫にあるけど、生育場所は知らないね。探してるのかい?」
まだ探してはいないが……毒草か。
十歳の少年が毒草を探す理由。
狩りの道具か、あるいは恨みを晴らす道具。しかし、それなら他の毒でもいいはずだ。ジギタリスに限定するのは何故だろう。子供だから、知っている毒草がジギタリスしかなかった、ということもありうる。
なんにせよ、少年から話を聞かなければならないようだ。一人で毒草を取りに行くのは危険だし、場合によっては止める必要があるからな。




