なるようにしかならない
「アンルカさん、何なんですかあの人」
「天才科学者よ。それにしても月を増やす、ねえ。世界中で大騒ぎになるわね」
フレドーに話を聞いた翌朝、冷静になった心で思い返すと何か引っ掛かる。フレドーの行動に問題がある気がしてならないのだ。
朝一で事務所へ来た俺は、アンルカさんを詰所で捕まえ判断を仰ぐことにした。相談した所で良い対処法があるとは思えないが。
「フレドーを捕えた方がいいですか」
「騒音被害しかないから、逮捕しても牢へ一晩入るだけよ」
月を増やすなんてことが可能なのか。可能だとして、放っておいても問題はないのか。
「……フレドーは天才なんですか?」
「天才、と言っていいんじゃないかしら。彼が口にしたことは全て実現しているそうよ」
ただの狂人じゃなかったのか。本物の天才であるなら、王城で雇われるとか大店を開くとかして、もっと有名になっていそうなものだが。
「黒子の移動法、汚れた雪を白く戻す技術、顔面のテカりを増幅する薬。色々と開発しているわね。確か、家畜の糞を利用した燃料もフレドーが作ったはずよ」
天才の狂人だった。
ううむ、フレドーには関わりたくないが、「月を育てて打ち上げる」という言葉にわくわくしたのは正直な気持ちである。俺の童心が“フレドーを手伝え”とささやいてくるのだ。しかし問題に発展しそうな気もする。どうしたものか。
アンルカさんは「隊長室へ行ってくるわ」と言い残し詰所を出ていった。入れ替わりに入ってきたのはユーカだ。
「リートさん、私考えたんですけど、フレドーさんの行いを止めた方が良いと思います」
「どうしてそう思った?」
「夜の明かりが増えたら、動物や植物が困ります」
ふむ、なるほど。一理ある。
夜行性の動物は狩りが難しくなるし、植物の生態も狂いそうだ。そうなれば動物や虫は困る。自然がおかしくなれば、その恩恵を授かっている人間も困る。考えれば考えるほど長期的な影響に思い当たるな。
そもそも、地面が発する“物を引っ張る力”を軽減する装置って危険物じゃないか? 俺ですら兵器に転用する方法を思いつくぞ。
増殖石だって百万倍の大きさまで膨れ上がるのだから、かなり危険な物のはずだ。手の平に乗るくらいの石を百万倍に巨大化させたら、ええと、……どのくらいだ?
「直径は王都を七つ並べたくらいですね。高さはカラウ山を四十個積んだくらいです」
フレドーを放ってくのはまずい気がしてきた。
不可能に挑戦しているだけの人物だと思ったから放っておくという判断をしたが、確実に成功させるとなれば話は別だ。間違いなく危険人物、もとい重要人物である。
月を打ち上げる所は見てみたい。だが、止めなければ問題が起きそうだ。悩ましいな。
悩ましいが、事を起こせばフレドーの身が危険である。月を打ち上げて世界中で騒ぎになり、天才科学者の存在が他国の知る所となれば、十中八九誘拐の標的となる。
「フレドーを説得するしかないか。ユーカ、出掛ける準備をしておいてくれ」
あの人物を説得するのかと考えると気が重いが、フレドーの身の安全が最優先だ。あれでも一応、騎士団が守るべき王都民である。
「説得できるんですか?」
「わからんが、それしかないだろう。装置と石の接収もできないし、身柄の確保もできない」
個人所有物の接収には議会が出す令状が必要だ。しかし、一度令状が出れば否応無く、国家権力を振りかざすことになる。
できれば、そこまで大事にしたくない。フレドーが説得を聞き入れて、月の打ち上げを中止してくれれば穏便に済むのだ。
「というわけで、打ち上げを中止していただけないでしょうか」
「ううむ」
フレドーは腕を組み、先ほどから唸ってばかりである。
岩石が片付けられたフレドー宅の前庭で説得を試みているが、色好い返事を貰えていない。そういえば引力軽減機が見当たらないな。あれも片付けたのか。
「それとも何か中止できない理由があるのですか?」
「あると言えばあります。私は納得したい」
「納得?」
「ええ、私にとって科学の実験とは、殺伐とした現実に美しい夢をもたらす手段なのです。私財を投げ打って叶えた夢を、無に帰したくはないのです」
気持ちはわからんでもない。何年もかけて作り上げたものが、日の目を見ないまま埋もれてしまうのは苦痛だろう。
だが、こちらも折れるわけにはいかないのだ。フレドーを危険に晒すこと、王都民の安全を守れないことは即ち、騎士団の不名誉である。
「お願いします。フレドーさんの身を案じて言っているのです」
「それはありがたいことですが、……もう、私の身は……」
まさか、病気で余命が少ないとでもいうのか。くそっ、それは卑怯だ。対等に話し合って説得できないじゃないか。
話を隣で聞いていたユーカがおもむろに言う。
「差し支えなければ、かかっている病名を教えていただけませんか?」
「痔です」
「は?」
「座っている時間が長いもので。ええ」
ジジイてめえ、俺の感傷を返せ。顔を赤らめるな。
「余命が少ないのでは?」
「はて、そんなことは一言も言っておりませんが。唐突に病名を聞かれたから答えただけで」
「私の身は……って言っただろう」
「もう良い年ですから、いつくたばってもおかしくないなと。ははは」
……この野郎。
いや、待て。早とちりしたのは俺達の方だ。落ち着け。冷静に。冷静に。
「もういい。フレドー、打ち上げを即刻中止しろ。しなければ強制的に止める」
「中止は無理です」
「何故だ。まだ納得し足りないというのか」
「中止できない理由がある、と言ったじゃないですか。すでに打ち上げが始まっているので中止することはできません」
慌てて辺りを見渡し、ユーカと二人で装置を探す。
「リートさん、納屋です!」
納屋の中を覗くと地面には引力軽減機が置かれ、その上に丸い月が鎮座していた。ユーカの身長を二倍にしたくらいの大きさである。表面の模様は夜空に浮かぶ月とそっくりだ。ほう、良く出来ているな。裏はどうなっているんだろう。
いやいや違う、そうじゃない。
「フレドー! 装置を止める方法はあるのか!」
「あったら会話を引き伸ばしたりせんわな」
引力軽減機が唸りをあげると、月は地面から離れていき、少しずつ高度を増していく。
「なんとかしろ!」
「もう無理です。ええ。引力軽減機に近付いたら、貴方達も空の向こうへすっ飛んでいきますよ。ほい、三、二、一」
月は轟音を鳴り響かせて納屋の屋根を突き破り、速度を上げて上昇していく。
納屋の外へ出て見上げれば、月は雲を突き破ってどんどん小さくなっていき、空の彼方へと消えていった。
「ユーカ、どうしたらいい」
「なるようにしかなりませんね」
納屋に残された引力軽減機に、崩れた屋根の梁が落ちて直撃している。見た目はすでにがらくた同然である。
「月が育ちきるまで四日と半日です。その時が来れば、成功か否か判明するでしょう。とりあえず、座ってお茶でもいかがですか。水を汲んできてくだされば私が茶葉とカップを買いに行きますので、その間にお二人はポットと燃料を買って焜炉に火を――」
……事務所へ帰るか。
四日後の夜、王都住民はちょっとした事件を目撃した。夜空に浮かぶ満月の隣に、もう一つの満月が現れたのだ。
満月同士は少しずつ近づいていき、衝突するかと思われたその瞬間、一方の満月が弾かれた。
空気を詰めた皮袋のように、ぐにゃり、と形を変えて、奥へ向かって弾かれたのだ。弾かれた方の月はそのまま遠ざかっていき、朝方には見えなくなった。
これが四日目の晩に起きた出来事の全てだ。
フレドーは「軌道計算に光の圧を入れ忘れた」と言っていたが、何のことか俺にはよくわからない。
サーラ先輩へあらましを報告したら「どうして引力軽減機を壊したんだ……」と頭を抱えていた。よっぽどすごいものだったらしい。壊れた引力軽減機には貴重な鉱物が使われているらしく、今すぐ修理するのは無理なんだとか。
弾かれた月はこのまま宇宙の彼方を飛び続け、いずれ流れ星か、夜空に光る星のどれかに衝突して崩壊するのではないか、というのがフレドーとサーラ先輩の見解だ。崩壊は数日後かもしれないし数億年後かもしれない、と言っていた。なんとも気の長い話である。
夜空に摩訶不思議な光景が繰り広げられた翌日、二つの月は自然現象による幻の可能性が高い、と王室から発表された。王都住民は皆が寝不足であったため混乱は起きなかったのだが、王城でちょっとした騒ぎがあった。まあ、それはいいか。フレドーが発明品をいくつも持って王城へ来た、というだけの話だ。
増殖石と薬品は一つ残らず騎士団が買い取ることとなった。後日、詳細な調査の後に地下倉庫へ保管される予定だ。
あの晩以降、空に浮かぶ月は一つである。
少しだけ残念な気持ちはあるが、それは誰にも言うまい。
五、増える石と引力軽減機 了




