本能と勇気
今夜の月は二十八、新月である。夜空を見上げれば、夕方に王都を赤紫に染めた厚い雲が一面に張り、星明りすらない。
寮から王都中心にある王城前中央広場へ進む騎士達は、次々に鞘走りを防ぐボタンを外して臨戦態勢をとっていた。
中央広場には、ギュウォード騎士団長と近衛隊が臨時の連絡所を設けて指示を行っている。指示を受けた部隊が各方角へ散っていく。
俺達調査隊が向かうのは王都の北西だ。隧道通りが存在する地区である。
「ヘクス、キアフットと一緒に北側から隧道通りへ向かってくれ。俺達は南から行く」
「了解」
隧道通りには十数か所の隧道がある。俺が“隧道の影”を見たのは南側から二つ目。まだあの場所に奴がいるなら、俺達が先に遭遇するはずだ。もし奴と戦うことになっても、時間を稼げばヘクスとキアフットが挟撃してくれる。
西の大通りには点々と篝火が炊かれ、道を明るく照らしていた。これなら早足でいけるな。温泉場の前を通り過ぎ、大通りの途中から北へ向かう路地に入っていく。
しばらく進むと隧道通りに辿りついた。昨日見た案内板をランタンで照らす。
「サーラ先輩は神秘の痕跡を探してください。ユーカは足元を照らしてくれ」
俺は鏡張りのランタンに火を移し前方を照らす。一方向しか照らせないが、昨日とは比べ物にならないほど明るい。周囲の民家に挟まれた隧道の入口が、俺達を飲み込もうとしているかのように見えた。
シルヴァールを脇に構えるが、まだ反応はない。
「行こう」
一つ目の隧道の中へ進む。距離の短い隧道だ。
「昨日と違う点はないな」
「はい」
一つ目の隧道を出た所でサーラ先輩が口を開く。
「神秘の痕跡があるとするなら、ここから二つ目の隧道までの間だね。少し調べようか」
「サーラさん、これは?」
ユーカが声を上げたのは道の右側、民家の隙間の先だ。四段の短い階段を降りた場所に広がる、家一件分ほどの土地である。隧道通りと平行に伸びる、水堀のふちにあたるその場所には雑草が生え、黒い焦げ跡が残されていた。
「職人が馬の毛を燃やしたというのはここだな」
「リート、この辺りの地面に何かないか探してみて」
背の低い雑草をかき分けると、白と茶色のまだら模様をした何かが落ちている。サーラ先輩を呼ぶと、こちらへ来てうなだれた。
「……そういうことか」
「何ですかこれ」
「ヘビの骨だよ。ちょうど二匹分あるね。そして、その横で毛が燃やされた」
「何か意味があるんですか?」
「簡易的な呪術儀式だね。この場所へ来る階段は隧道通りと丁字路になっているから、儀式によって一帯が魔法陣となっているはずだよ」
「何者かが仕掛けた、ということは――」
話を聞いていたユーカが反論する。
「毛が燃やされたのは偶然だったはずです。骨だって、たまたま落ちていただけなのかもしれません」
「うん、不完全な形だね。きちんと儀式を行うなら呪術紋章の上で行うんだ。だけどここに紋章はない。……でも隧道がある。おそらく隧道が魔法陣の一部となって、何処か別の場所へ中途半端に繋がったんだ」
シルヴァールを持った右手が、突然二つ目の隧道へ向けて引っ張られた。
「先輩、槍が反応しています」
急いで階段を上り、二つ目の隧道を覗くと向こう側の出口がぼんやりと見える。隧道の中に光を遮るものはなく、隧道の影はいなかった。
「コーニはここから“向こう側”へ迷い込んだのかもしれないね」
「俺が行って“向こう側”を見てきます」
「リートさん、私も――」
「ダメだ。ユーカはサーラ先輩を守っていてくれ」
背中から麻縄を取り出し、ランタンの棒に結んだ。縄の先をユーカに手渡す。
サーラ先輩が手を伸ばし、シルヴァールを握る俺の手へ重ねる。
「この境界はとても不安定だから、変化があれば戻れなくなるよ」
「平気です。変化が起きても先輩が何とかしてくれるんでしょう?」
「あまり私に期待しないでほしいね」
二次遭難は御免だが、万が一、コーニが“向こう側”にいるなら行かなくてはならない。大丈夫だ。仮に、変化が起きて境界が閉じたとしても、また開く可能性だってある。どのくらい先のことになるかわからないが。
「先輩、境界に変化があったら縄を引いてください。すぐに戻ります」
「わかった。……気を付けるんだよ。自分が居る場所を見失ってはいけないよ」
しっかりと頷いてから、一人、隧道の中へと歩き出した。シルヴァールが隧道の奥へと俺を誘う。全身の毛が逆立つような、不気味な感覚が身体の表面を走る。
鉄の匂いが徐々に強くなり、やがて血の匂いだと気付いた。
人としての本能が、戻れ、と脚を止めようとしてくる。
騎士としての勇気が、進め、と背中を押してくる。
不快な気分ではあるが、不思議と落ち着いている。一歩ずつ踏み出すごとに、シルヴァールを握る手に力が入り、逆に、身体に残る無駄な力は抜けていった。
この感覚は知っている。
訓練で試合をしている最中、時折こういうことがあった。心は空となり、研ぎ澄まされた感覚だけで自然に身体が動く、武器と身体が一体化したような感覚。
一級品の退魔の槍っていうのは事実みたいだな。頼むぞシルヴァール。
隧道の外へ抜けると、見慣れない街並みに赤い夕焼け空が広がっていた。




