隧道の戦い
「リートさん!」
声を掛けられた方へ顔を向けると、隧道の出口脇にコーニがしゃがみこんでいた。鎧は所々傷つき、槍に血液らしきものが付いているが怪我はしていないようだ。
「コーニ! 無事か!」
「……もう、ダメかと、思って」
コーニは立ち上がり、力なく俺の腕を握る。顔は汚れ、頬には涙の跡があった。
「もう大丈夫だ、助けに来た。今なら戻れるから行こう」
「はい」
隧道に入り、外の景色をもう一度確認する。
赤い夕焼け、民家が立ち並ぶ街並み、路地の脇に植えられた木々、遥か遠くに見える山。どこか王都にも似ているが、妙な違和感がある。違和感の正体が何か探ろうとして、すぐに気が付いた。
あまりにも静かだ。風の音も、人の話し声も、動物や虫の鳴き声も、木々のざわめきもない。
世界にはこんな場所があるのか、それとも、ここは人の生きる世界ではないのか。
一瞬、子供の笑い声が聞こえた気がして、なぜだかわからず耳を塞いだ。
隧道の中へ向き直り、二人で縄を辿りながら進んでいく。隧道の先にユーカとサーラ先輩の姿が見えた。コーニは安心したようで、ほっと息をつく。
コーニは隧道の途中で早歩きになり、駆け出していった。ユーカがその身体を受け止める。うむ、美しい友情であるなあ。
「リート! 後ろ!」
サーラ先輩の叫びが聞こえ、咄嗟に前転をして立ち上がり、身体を横へ回転させながらシルヴァールを振りぬいた。手から離れたランタンが地面を滑り、壁にぶつかる。
「やっぱり出てきやがったな。“隧道の影”!」
すぐ目の前に奴が立っているのに、はっきりと姿が見えない。出来の悪いガラスを通して見ているかのように、奴の姿だけがぼやけて歪む。
だが、灯りに照らされた奴の頭には、顔が無いと判った。左手に掴まれていた何者かの干からびた首が、がさ、と音を立てて地面に落ちる。途端に奴の指から爪が長く伸びた。
臨戦態勢か? 背嚢を外し、壁際へ投げ捨てる。
「どうした、今日は逆さにならないのか?」
言葉を理解しているのかわからないが、挑発をすると奴は首を右へ傾けた。
褐色の肌。土と返り血で汚れて黒灰色の部分がある。皮膚と骨がある。筋肉もありそうだが、間接の形が明らかにおかしい。
どうする? 攻撃するか、それとも逃げるか。
背後からはユーカとサーラ先輩の声が聴こえる。奴から目を離せない。シルヴァールが奴の身体目掛け、飛び出そうとするのを握力で引き留める。
「俺は話し合いでも応じるぞ。ええ? 怪物よ」
瞬きをした瞬間、奴の姿が消えた。
シルヴァールの穂が勢いよく持ち上がり、背後の天井を指す。
振り向くと長い爪が目前に迫る。
顔を傾け爪をかわす。爪が頬をかすめ、肉が小さく抉られた。
もう一本の爪が伸びて目前に迫る。
手甲をはめた左手で払った。爪は折れていない。
奴は宙に浮き、天井に背中だけを着け、俺を見下ろしている。
奴の身体の中心へシルヴァールを突き出す。
天井から右の壁へ滑るように奴が移動する。
突き出したシルヴァールが弧を描きながら右の壁をなぎ払う。
火花が散る。
切っ先が当たる瞬間、またしても奴の姿が消えた。
穂先が即座に真上へ向く。
直感に従い一歩後ろへ飛びのくと、真上から爪が伸び、俺の目前を通過する。
馬鹿の一つ覚えみたいに頭を狙いやがって、くそっ。
シルヴァールで真上を突き刺すと、ギン、と音を立てて天井にぶつかる。
同時に衝撃が腕へ伝わってきた。一拍遅れて見上げると奴の姿はない。
だが、もう終わりだ。
シルヴァールを縦に回転させ、何も見えない背後の地面へ突き刺す。
振り返ると、シルヴァールが奴の身体を地面に縫い止めていた。奴は手足をばたつかせ暴れていたが、徐々に緩慢になり、動きを止めた。
死んだか? 隧道の影はまだぼやけ、輪郭は歪んだままだ。
シルヴァールを奴の身体から抜き、頭を目掛けて突き刺す。身体を大きく仰け反らせて、溶けるように地面へと吸い込まれた。
同時にシルヴァールを引き寄せていた力が消える。
汗がどっと吹き出た。
実戦は何度も経験しているが、ここまで得体の知れない存在と戦ったのは初めてだ。
奴は俺の視界から外れるように移動していた。顔が無いくせに眼の役割を知っていたということだ。頭を執拗に狙ってきたのは、そこを攻撃すれば俺が死ぬと理解していたから。おかげで、奴の弱点も頭だと分かった。
左の大腿部に鋭い痛みを感じ、見ると血が染みている。直上から攻撃された時、かわしきれなかったか。背嚢から出した布で止血する。他に目立った怪我はなさそうだ。
大きく息をつくと、俺はいまだ見たことのない、運命の神へ感謝していた。シルヴァールを持っていなかったら、死んでいたのは俺の方だ。シルヴァールが常に奴の位置を知らせてくれたから、視認できなくても戦えた。さすが霊槍様である。
ということは、槍と、槍を持たせてくれたサーラ先輩に感謝すべきではなかろうか。隧道を出たらサーラ先輩にありがとうと言おう。そうしよう。
踵を返し、歩き出そうとした所で足が止まった。
……入口はどこだ?
隧道には遥か先まで壁と暗闇が続き、背後にも同じく延々と壁が続いている。
縄は、……根元で切れている。あの時だ。奴が背後に現れた時に縄を切られた。地面を見渡すと生首も見当たらない。
慌てて羅針盤を取り出す。南はどっちだ。羅針盤の針はぐるぐると回り、方向が定まらない。
深呼吸をしろ。焦るな。冷静に見極めろ。
ここは間違いなく、隧道通りにある南から二つ目の隧道だ。壁も地面も見覚えがある。つまり、ここは境界の狭間。俺は別世界へ飛ばされたわけではない。壁の外には今も王都が存在するはずだ。
狭間から脱出する方法は知っている。境界を越え、“戻る”のだ。
戻る、とは自分が今居る場所を認識して、本来居るべき場所へ移動する、ということ。俺の居るべき場所がどこにあるか確信できれば、狭間から抜けられる。
壁に穴を開けてはダメだ。むやみに境界の狭間を穿てば、どこへ繋がるか予想できない。また、あの夕焼けの街へ繋がってしまうこともありうる。
ユーカ達が待っているあの隧道の入口に最も近い場所へ行けば脱出できる可能性が高い。
正確な位置を手繰るものがあればいいのだが。
シルヴァールが何かに反応した。敵か? いや、狭間は閉じられている。外は王都のはずだ。一体、何に反応して……
「ふう、やっと出られたか」
「リートさん!」
走って飛びついてきたユーカを受け止めると、力の強さによろけてしまった。まだまだ俺の鍛え方が足りないようである。情けない。
「ご無事で良かったです……良かった……」
「心配掛けたな。すまなかった」
ユーカの頭を撫でると髪飾りが手の平に当たった。
シルヴァールが反応したのは、ユーカの剣と飾りに掛けられた邪気払いの魔法だ。引き寄せる力はわずかなものだったが、“ユーカがそこにいる”と確信できれば戻るのは容易だった。
サーラ先輩も無事だな。
「リートなら大丈夫だとわかっていたよ。まあ、しばらく戻ってこなかったら無理矢理にでも境界に穴を開けたけどね」
「さーらせんぱいありがとう」
「いきなり、なんだい?」
「神の如き先輩への感謝です」
「ふふっ、また訳のわからないことを言ってるね。さあ、二人とも、骨を片付けて戻るよ。コーニはヘクス達が送っていったからね」
骨を回収して、隧道の入口に魔除けの文字を描き終えると、少しずつ空が白んできていた。
今回は危なかったな。
コーニがあの場所に留まらなかったら。
ユーカを見て駆け出さなかったら。
シルヴァールが無かったら。
ユーカの装備に魔法が掛けられていなかったら。
どれか一つ欠けても解決は難しかったし、下手を打てば死んでいた。
ユーカが調査隊へ来てからというもの、事が上手く運んでいる気がする。もしかしたら、幸運の女神に愛されているのかもしれない。
ユーカが。
幸運の星の下に生まれたのかもしれない。
俺じゃなくてユーカが。
何故俺じゃないのか。
三人で王城前の中央広場へと戻ると、ちょうど朝の鐘が王都に鳴り響いた。捜索に出ていた騎士団の連中も、全員戻ってきているようだ。
朝の光を受ける王城を見ていたら、達成感に心が満たされていく。一仕事終えた気分だ。あまり寝ていないせいか日の出が目に眩しいな。ああ、今日の仕事はさぼりたい。なんとかならんか。
「リート、団長の隣へ行け」
ランジャック隊長に促され前へ出ると、ギュウォード騎士団長が号令をかける。
「総員整列! 皆の働きで衛兵コーニは無事に戻った。それでこそ王国が誇る衛兵騎士団である。よくやった! 国王陛下もお喜びだ。これからも王国の剣となり、民の盾となるよう皆の尽力に期待する。最後に、国王陛下より騎士リートへ、健闘を称え褒賞を授与するとのことだ」
なんですと? こんなの初めてだぞ。
「陛下へ希望を伝えておこう。何か欲しい物はあるか」
「今日は休みたいです閣下殿」
「何を言っとるんだ貴様」
幾条もの光に包まれた広場に、騎士団の笑い声が響く。
騎士団長が手を挙げると全員が真剣な顔へ戻り、姿勢を正した。
「ランジャック、今日はリートを休ませろ。皆、本当によくやった! それぞれの持ち場へ向かえ! 解散!」




