王城地下倉庫
「サーラ先輩、馬の尻尾の毛を燃やすと水が濁ることはあるんですか?」
「ないよ」
サーラ先輩が書斎の椅子に座り、二枚の歯車を手に持って噛み合わせている。何か作っているんだろうか。
「堀のふちで毛を燃やしたんだよね? それなら石垣の接着剤が流れ出したんじゃないかな。水掘りの石垣は陸のものと違って、接着剤で隙間を埋めるんだ」
なるほど、接着剤が火で暖められて脆くなったのか。それなら放っておいても問題ないか。
「問題はその生首を持った何者か、リートの言う“隧道の影”だね」
「例えば、隧道では錯覚や見間違いが起きやすい、ということはあるんですか」
「その可能性はあるけど、リートはその時慌てていたのかい?」
「いえ、冷静に見極めようと努めました」
距離は遠かったが、奴の輪郭ははっきりと見えていた。
「ユーカちゃんからは、リートの様子はどう見えた?」
「リートさんは落ち着いていました。身体におかしな感覚があったものですから、私の方が慌てていたと思います」
サーラ先輩は作業の手を止めて、何かを考えている。
「自分の首を持ち歩く悪霊、というのは文献で読んだことがあるけど、隧道の影には首があったんだよね?」
「確かに頭がありました」
「うーん、そういった存在は記憶に無いね。逆さに見えたのも理屈は付けられるけど……球面のガラスを通して見ると、世界が逆さに見えるんだ。スプーンに映った自分の顔みたいにね。でも隧道の真ん中に巨大な球面のガラス……?」
隧道の影は逆さになって空中に浮いていた。逆さに見えただけなら、足元がどこかに接地していないとおかしい。
糸や縄で身体を吊っていた可能性もあるが、人と同程度の体重を支えるにはある程度の太さと頑強さが必要だ。しかし俺の目にそれらしきものは見えなかった。強い光は無かったから、逆光で見えなかったというのも考えにくい。
そもそも、身体を吊る理由が不明だ。隧道の天井からぶら下がったところで何もできない。
「よし、現場へ行こう。私も見てみたい。とりあえず今日は準備をして、明日の夕方に向かおう」
「住民への聞き込みもしたいんですが」
「じゃあ出発は明日のお昼ね」
サーラ先輩はそう言って鞄に物を詰め始めた。俺も、必要なものを書斎から拝借しよう。遠眼鏡、鏡張りのランタン、固形の燃料。あとはまともな武器だな。
「先輩、書斎に武器はないですよね?」
「うん。あっ、あれを持っていこうか」
三人で書斎を出ると、サーラ先輩は地下倉庫の鉄柵に鍵を差し込んだ。がちり、と重厚な金属音が響く。隅までしっかりと整備された鉄柵が、音も無くなめらかに開いた。
下へ続く階段が暗がりに口を開けた。先輩を先頭に、俺とユーカも続いて下りていく。
「ユーカは地下倉庫へ来るの、初めてだったよな」
「はい」
階段を下りきると、目の前に空間が広がっている。暗闇に包まれ奥の壁が見えない。地面は最高級の御影石で造られていて頑丈だ。
入口脇の壁に据付けられた一つのカンテラに火を灯すと、壁に嵌め込まれた他の照明に連鎖して火が灯っていく。二階建ての民家が四、五件入ってもまだ空間が余りそうなほど広大な空間である。明かりに照らされたその場所には柱が計八本、規則正しく並べられている以外、何も無い。
ユーカは空間を見渡し、疑問を抱いたようだ。
「ここは? 何もありません」
「まあ見ていろ」
サーラ先輩が床の一点に手を触れると、始めからそこにあったように梯子付きの大きな棚が次々と現れ、空間を埋めていった。棚が現れる位置や角度はてんでばらばらで、無作為に、乱雑に出現しているが倒れている棚は一つもない。
俺達は棚の間を縫うように奥へ進んでいく。
「すごいです……」
ユーカは棚を見上げ、口を開けていた。
「倉庫の隠蔽に神秘の力を利用しているんだ。棚の位置にもちゃんと意味がある。仕組みはサーラ先輩と国王陛下しか知らない」
「エグバジル先生も仕組みを知ってるよ。十七年前、万象調査隊が結成された一年後に、エグバジル先生がこの地下倉庫を作ったんだね。ただの物置だったこの場所を拡張してね」
先輩はそう言って渋い顔をした。やっぱりエグバジルさんのことが苦手なんだな。
「物に触ったり動かしてはいけないよ。手前にあるのはガラクタだけど、奥にあるものは全部遺物だからね」
「歴史的な資料をガラクタとは呼びません」
サーラ先輩がある棚の前で立ち止まった。棚から引っ張り出したのは、真新しい黒色の槍だ。長い黒檀製の柄に前腕ほどの長さがある刃が付けられている。渡された槍を手に持つと、異常なほど穂先が軽い。通常の槍のように、柄のしなりを利用して叩くのではなく、素早く突き刺したり薙ぐための重量配分だ。
刃に巻かれた布を外すと、穂先の刃紋が山吹色に輝いていた。
「これは霊槍だよ。“シルヴァール”という銘が付けられている。出自が判明している数少ない遺物の一つなんだ」
サーラ先輩はそう言って、別の棚から薬液に満たされた瓶を取り出した。《獣爪の独楽事件》の証拠品、皮膚に覆われたムカデのような謎生物が収められた瓶である。
謎生物の瓶をシルヴァールへ近づけると、穂先が引き寄せられる感触がある。徐々に引き寄せる力が強くなり、かち、と音を立てて穂先が瓶へぶつかった。
「この世ならざるもの、魔法的な力、そういったものに引き寄せられるという機能がある」
「出自というのは?」
「槍を作った鍛冶師の女が直接ここまで持ってきたんだよ。持ってきたというか、連れてこられたというか……。シルヴァールってのは鍛冶師の名前だね」
「ここまで、って地下倉庫まで来たんですか?」
「そう」
今から十年ほど前のこと。製鋼所で働く男が、山吹色に輝く美しい鋼を作った。男は、これで刃物を作ればさらに美しくなるに違いないと鋼を自宅へ持ち帰り、鍛冶師をしている妻へ贈った。妻は何日もかけて槍の穂を鍛え上げた。そうして出来上がった槍を壁に立てかけていたら、何故か、気が付くといつも倒れている。重量配分を失敗したか、と何度か試しに倒してみたら、穂先が必ず同じ方角へ向く。これは面白いと、夫婦二人で穂先の方向へ進んでいくと、王城のある一点を指していた。
「地下倉庫に置かれた遺物に反応したんだね」
「シルヴァールは索敵以外にも使えるんですか?」
「もちろん。槍としては一級品だし、一度、ランジャック隊長がこの槍で悪霊を退治しているよ。まさしく退魔の槍だ」
時代が時代なら、隊長は英雄に祭り上げられているのではないか。




