共犯の経費
衛兵隊の宿舎へ着いたが、今夜は休めそうにないな。
宿舎入口脇の狭い詰所でユーカと横になるも、身体が緊張を解いてくれない。悪霊特有のおぞましい感覚とも違う、異常な不安感が俺の心を昂ぶらせていた。
あれが見間違いでなければ危険な存在だ。調査を続けるか、それとも一度戻って協力を仰ぐか。当然、このまま逃げるという選択肢はない。
くそっ、見たものが獣の姿なら、まだマシだった。
「何か見ましたね?」
「分かるか」
「だってリートさん、あれからずっと黙っています」
見たものを教えるか? ユーカも立派な騎士で調査隊の一員だ。情報を共有した方がいい。
だが、せめて今は心穏やかに休むべきだ。今夜だけでも俺が後輩の盾となろう。
「明日の調査は止めて、いっぺん事務所へ戻ろう」
「言ってください。気になります」
「眠れなくなるぞ。それに事務所へ戻れば嫌でも聞くことになる。今は楽しいことだけ考えて、ゆっくり身体を休ませるんだ」
目を瞑ると、宙に浮かぶ黒い影が瞼の裏に映る。
ああ、窓の外が気になる。
清々しい朝である。いつもなら喧しく感じるスズメやニワトリの鳴き声も清々しい。
休めないだろうと思っていたら、いつの間にかぐっすりだ。すごいな俺。悪夢すら見ずに熟睡なんて、我ながらどれだけずぶといんだ。
一晩寝て、顔を洗い歯を磨いていたら、異常な不安感は見事に消えてなくなった。代わりに首をもたげてきたのは、謎に対する好奇心だ。
奴は一体何者なのか、あの場所で何をしていたのか、何故生首を持っていたのか、興味が尽きない。
「しっかり歯を磨くんだぞ。虫歯は辛いからな」
「……はい、“お父さん”」
そうだ。虫歯の恐怖に比べれば、あんなものどうってことはない。左の奥歯が虫歯になったときは、想像を絶する痛みに床をのた打ちまわったものだ。全ての気力が失せ、仕事のことなんて一つも考えられなかった。寮母のロロンナさんに薬を煎じてもらわなかったら自殺していたかもしれん。歯を抜く時は抜く時で、俺の人生で最も痛い思い出となった。
「ユーカは眠れたか?」
「ええ、これでも野戦訓練の成績は良かったんです。どこでも眠れますよ」
頼もしい後輩である。
せっかく西区へ来たのだから、あそこへ寄っていこう。仕事続きの後輩を労うのだ。
「知っているか? ……この近くには温泉がある」
「私をさぼりの共犯にする気ですか」
「心と体の治療だ。必要経費だと思わないか? それに名物の菓子も――」
「行きましょう。必要経費です」
菓子に釣られる点は直した方がいいかもしれない。まさか菓子で他組織に買収されないだろうな? 先輩ちょっと不安です。
二人で宿舎の管理人に礼を告げ、温泉へ向かう。空かした腹を撫でつつ歩きながら、俺はサーラ先輩の言葉を思い出していた。昨夜の俺について、である。
夜、人が眠る直前は最も不安になる時間なのだそうだ。暗闇によって視覚を遮断されると他の感覚が鋭敏になる一方、正常な思考ができなくなる。これは精神が、“現在、自身は異常な状況にある。対処せよ”と無意識に指令を出すからなのだという。
状況とは関係がないはずの、将来や人間関係のことで悪い想像をするのもそれが原因である。
解決は簡単だ。眠るまで楽しいことや嬉しいことを想像するだけでいい。自身が主人公の物語を空想するのでもいいし、誰かへの感謝の気持ちを思い出すのもいいだろう。それすら無理だというなら、環境や食べ物を変える必要がある。自分自身を構成する材料から見直すのだ。
と、ここまではいい。問題は奴の存在だ。
奴が王都の住民に害をなす敵であるなら、不安を全て払拭するわけにはいかない。適度な不安と緊張がなければ、戦うことができないからだ。適度な緊張がもたらすもの、それは戦意であり覚悟である。戦意を失わない者は強い。
戦意でもって住民の不安を払拭することこそ、王都を守る騎士の仕事なのだ。
西区中央を東西に貫く大通りへ出て、西の鐘楼を背に王城へ向かって進んでいると、背後から鐘の音が聴こえてきた。もう昼か。
大通りの中ほどへ進むと、大きな石造りの建物が見えてきた。温泉場だ。
温泉左隣の公園には、午前の仕事を終えた職人達が集まっている。
「じゃあ公園で待ち合わせな」
「はい、お菓子は私が買っておきますね」
「買うのはいいが買収されてはいけない」
「何を言っているのか全然わかりません」
さて、湯を浴びる前に確認することがある。
ユーカが温泉場へ入るのを見届けた後、俺は大通りを見渡し巡回中の衛兵を探す。ちょうど王城方面から鎧を着た女が歩いてきた。
「お疲れさん、万象調査隊の者だ。ちょっと尋ねたいんだが」
「お疲れさま。どうしたの?」
「昨夜から今朝方にかけて、西区で殺しがなかったか?」
「何も聞いてないよ。守衛隊長に聞いてみる?」
「いや大丈夫だ。ありがとう」
踵を返し、温泉場へ入る。かすかに硫黄の匂いがした。
番頭に金を払い服を脱いで全身を確認するが、昨夜の影響はなさそうだ。奥へ進むと、露天風呂を囲むように細い柱で支えられた回廊があり、手前に洗い場、右手に屋内風呂がある。
昔は入湯税が高く金持ちしか利用できなかったそうだが、現在は庶民が気軽に楽しめるほど低価になった。かつての軍事予算が燃料費へ回されているおかげだ。他地区へ温泉を引く計画もあがっているらしい。
洗い場で身体を流し、露天風呂へ浸かると胸の奥から声が出た。白い雲が浮かぶ正午の空を見上げ、柔らかい湯の心地良さに身を委ねる。硫黄の匂いに不快さはない。
この温泉は大昔から自然に湧き出ていたそうだ。この場所に王都の前身である宿場町ができたのも、商人達が温泉を求めてやってきた結果である。
そういえば硫黄の匂いは火山の匂いである、と文献で読んだことがある。いつか連峰が火を噴くこともあるかもしれんな。火山を見たことは一度もないが、硫黄が燃えるのだから、きっと青い炎を噴くのだろう。いや、溶岩の川ができるというから赤いのか? 一千年以上、噴火しなかった山が火を噴くことはあるのか。わからん。付近の土や石を調べれば過去の噴火の有無が分かるらしいが……
取り留めの無い考えを自由に巡らせていると、俺の心が「仕事の考えをまとめろ」とささやいてきた。
せっかく温泉へ来たのに心までは休まらんか。職業病だなこりゃ。




