第五十一話:霊力制御の数値シミュレーション
次に波留が足を運んだのは数値シミュレーションの研究をしている女性研究員の研究室だった。彼女は真っ暗な研究室でたった一人、プログラムソースらしきテキストを前に、今にも消えてしまいそうな雰囲気を漂わせて落ち込んでいるように見えた。
――またか……。
彼女の名前は小林千里、年齢は25歳と研究所内では最も若い研究員だ。他の研究室と違って彼女の研究室に研究助手はいない。彼女は根っからの計算機ヲタクであり、数値シミュレーションに全てを捧げていると言ってもいいほどにのめり込んでいる。
そんな彼女が落ち込んでいる原因を波留はすぐに理解した。前回ここを訪れたときと彼女の状態が同じだからだ。
「小林さん、気にすることはないとこの前言ったじゃないですか」
波留に声を掛けられた小林は、ガバっと上体を起こして彼の方を見た。
「田中所長~聞いてくださいよ。このAIが私が一週間かけて書いた渾身のソースを渡した途端、一瞬で理解してデバッグをはじめたんです。一瞬ですよ一瞬、書くのに一週間もかかったのに。しかもデバッグまで一瞬で終わらせてパラメータの入力を要求してきやがりました。これからちまちまデバッグを楽しもうと思ってたのにヒドイじゃないですか」
波留は彼女の性格というか趣味に呆れるしかなかった。デバッグは地味で面倒くさい作業だ。普通のプログラマーならAIが一瞬でデバッグをしてくれるなら喜ぶはずである。そう思って彼女の端末にAIのインターフェースをインストールした。
前回は沙耶が片手間で書いたシミュレーションプログラムのソースコードを読んで自分よりはるかに上を行くそのコードの出来に落ち込んでいた。
これは沙耶に自我があるからこそ書けたコードであり、AIには発想できない斬新なアルゴリズムになっていた。プログラマーではない波留には理解できないことだが、その斬新さと美しさを一目見ただけで理解できたのが小林である。
そんな小林に、波留は「上には上がいることなんて当たり前です。そのコードを理解できるだけでも、ましてや美しいと思えるだけでも誇っていいと私は思っていますよ。だから前を見て追いつき追い越してください。期待しています」と言って慰めた経緯があった。
小林はそんな波留の言葉を聞いてやる気を見せていたが、そこにAIが追い打ちをかけてしまったのだろうと波留は理解した。
「確かにAIは早くて正確ですが、エレガントなコードを創造する発想力は持っていません。すべては誰か人間が書いたコードの模倣です。気にするだけ損です」
「そうなんですか?」
小林の瞳に光が戻った。ような気がした波留が畳みかける。彼女にはなんとか復活してもらって本来のスペックを発揮して欲しいからだ。
「ええ、AIに創造性はありません。いや、あってはならないのです。創造性は人間だけが持つべき能力ですから。当社のAIはそのコンセプトのもとに設計されています。そしてその当社のAIであっても、莫大な記憶と速さ、そして正確性があるだけです。他社のAIはまだまだ未熟で正確性にも欠けます」
「ちょっと元気が出てきたような気がします」
小林の瞳に完全に光が戻った。頬が緩んで笑顔にもなった。
――単純で助かった。
それが波留の正直な小林の印象だが、同時に、面倒くさいヤツだなとも思った。
そんな小林であるが、アンドロイドの量産をする上では必須の要素をシミュレーションしてくれている。それは最初のシミュレーションプログラムを書いた沙耶でもできることだが、彼女には大きな仕事をいくつも任せているから代わりになる人材が必要だった。チマチマとパラメータを変えながら膨大な組み合わせを確かめていく時間など沙耶にはない。
そんな理由があって波留は小林を雇った。小林にはプログラムの改良と、量産に最適なパラメータの選定を任せてある。
小林は何のパラメータを最適化しようとしているのか?
アンドロイドの組み立て装置における、アンドロイドの部品ごとの霊力配分である。
波留は人手や機械を使って物理的にアンドロイドを組み立てようとは考えていない。そんなことをしてしまえば組み立てコストが何十倍にも膨れ上がってしまい、さらに組み立て時間も想定の数倍は掛かるだろうと考えられた。
だから波留は組み立てのすべてを霊術に頼ることを考えた。これは異世界で沙耶のプロトタイプを創造したときと同様である。
筋肉の代役となるフッ素ゴムと骨格となるチタン合金は外注したほうが安くなるという結論が出て、すでに金型を発注済みだ。頭脳にあたる制御ユニットと記憶ユニットはすでに量産装置が完成している。
残るはフッ素ゴムの配合最適化と組み立て装置のシミュレーションによるパラメータ最適化、そして波留が担当している神経経路の生成術を最適化して組み立て装置にインストールすればプロトタイプのアンドロイドが試作できる状況である。
波留は高田と小林の状況を確認し、試作のときは近いと実感したのだった。




