第五十話:人工筋肉
波留が足を運んだのはアンドロイドの動力系を担当している研究室だ。
「どんな塩梅ですか?」
「あ、田中所長」
作業机で椅子に座り、一心不乱に乳鉢の中の黒い物体を練っていた高田は、波留が入ってきたことに気づくと作業の手を止めて顔を上げた。
高田はもともと高分子系のゴム素材を研究していた大学の助手であるが、自身の研究に行き詰っていたところに、田中霊子技術研究所がゴム素材系の研究者を募集していることを知って応募してきた経緯があった。
『霊力という私にとっては未知の力がゴム素材にどんな特性を与えるのか、どんな変化が起こるのか、あるいは未知の物質に変化するのかに興味がありますし、ものすごく期待しています』
波留は面接のときにそんなことを力説していた高田に興味を持った。
そんな高田だが、年齢は32歳とまだ若く、綾川ほどではないがバイタリティに溢れていて、研究にも熱心に取り組んでいるようだ。
「霊力がもつ恐るべき可能性と応用性に感服していたところです。ああ、今やっていた作業は新たに判った特性の素晴らしさに興奮しすぎた心を鎮めるためにゴムを練って心頭滅却していたところです」
――ああ、コイツも一種の研究バカか。だがそれがいい。
「そうですか。どんな特性が判ったのですか?」
「霊力を特定の条件で付加したときに、天然ゴム系素材の伸張性を凌駕する高耐性フッ素ゴム系素材があることがわかりました。いや、高耐性のフッ素ゴム素材なんて通常環境下では硬くてシール材くらいにしか使えないんですけどね。おっと、話がそれてしまいました。それで……特性です。その素材は人間の筋肉よりもしなやかで、かつ強力な張力もあってまさに理想の素材です。ただ……」
まくし立てるようにそこまで話した高田が言い淀んだ。
「ただ?」
「……コストが」
高田はそこでまた言い淀んだ。
「アンドロイド1体分でどのくらいになりそうですか?」
「そうですね、素材価格だけでだいたい120万ほどになりそうです」
「確かに高いですね」
そう返した波留だったが、彼の評価は高田のそれとは違っていた。フッ素ゴムがニトリル系の高耐性ゴムよりも高価であることは調べればすぐに分かることだ。
そうであっても大量にまとめて仕入れれば数割は安く買える。さらに、原価に占める割合で考えるとチタン合金も同様に高価だ。それを含めても1000万円の売価を考えると営業利益率で50%は余裕で越えてくると波留には計算できた。
最もコストを食いそうなのは組み立て工程だが、波留は沙耶を創造したときと同様に術を使って組み立てようと考えている。それはもちろん組み立て用の装置になるわけだが、すでにノウハウは異世界にいたときに完成しているし、素材が生きた細胞でないぶん装置コストも安くなる。
だから組み立てコストが製造原価に占める割合は小さい――初期投資はかかるが――。それが波留の見立てである。
「ですが、想定していた金額に収まりそうですからフッ素系素材で最適な組み合わせを模索してください」
「そうですか、安心しました。ですけどアレですね、リニアアクチュエーターの常識が一変しますよ。というか産業革命レベルで歴史が変わるかもしれませんね」
断言するようにそう言った高田の瞳は輝いていた。そんな高田に波留は言う。
「名称はオカルティックですが、霊子とか霊力という粒子や物理現象の発見自体が革命的ですからね。それらを使った技術をほぼ独占状態で利用できる今のうちに絶対的な立ち位置を当研究所が得られると私は確信しています。そしてそれは高田さんたち当研究所の研究者たちに掛かっています。頑張ってください」
「そこまで言われると、なんかおもはゆいです。でも、言われなくても全力を尽くしますよ。こんなに面白い研究ができるんですから」
高田は確かに研究バカであるが、綾川と違って一般常識も普通にあるし、社会人としての常識的な会話ができる。それだけの分別を持っていることに波留は心から安堵し、彼の評価を一段上げることにした。
それは置いておくにしても、ゴム系素材を使用したリニアアクチュエーターの工業的な応用範囲は恐ろしく広い。そしてそれを制御する霊力関係の制御ユニットも同じである。
波留はそれを見越して今年度末ごろにはAI搭載アンドロイドの製造工場と共に、霊力制御ユニットの大規模な製造工場を立ち上げを開始しようと考えている。
その工場では、霊力制御ユニット以外にも霊力発生ユニットと霊術格納ユニットも量産する予定だ。そのアナウンスを来年早々に行い、来年度の夏ごろには出荷にこぎつけたいと考えている。
工場予定地の選定はすでに始めていて、来年度の新卒と転職者を大々的に募集する予定だ。
波留は霊力を使った工業製品を独占製造するつもりがない――イニシアチブは取るが――。大々的にこれらの霊力関係機器を拡販して日本の工業力を大幅に底上げしようと考えている。
そうすれば日本の経済状況は好景気に沸くことになるだろうし、その金は回り回ってより大きくなって返ってくる。それが波留の狙いである。
外国からの圧力は当然厳しいものになるのだろうが、それに対応するのは政府の仕事だ。そんなところまでは波留の守備範囲にない。
――せいぜい頑張ってくれ。
まるで他人事のようにそう思った波留は、もう一人の研究者の進捗状況を確認するために高田の研究室を後にするのだった。




