第四十五話:沙耶の戸籍
沙耶のお願いを聞いてから1ヶ月が経った。季節は7月になって各種霊薬の治験がはじまり、その薬効の高さと副作用の無さ――動物実験での――から、かなり期待されているそうだ。
動画保存用のデータセンターについては、生成AI用のデータセンターの近隣にかなり広い用地を買収し、将来的には連携を図ると沙耶は言っていた。
霊視メガネについては国内外とも需要が爆増し、現在増設工事中の処理ラインだけでは足りない事態に陥っている。理由は波留が霊能力普及のために出版していた霊力強化マニュアルと、霊力計測機がここのところ急激に売り上げを伸ばしていることにありそうだとの報告があった。
英訳された霊力強化マニュアルと霊力計測機が数社の代理店と契約して海外にも輸出されるようになったが、圧倒的に数が足らない状況になっていて、製造拠点を新たに作ることになった。
シワ取りクリームとエナジードリンクも順調に売り上げを伸ばしていると母から報告があった。
――読みが甘かったか。もう少し予算を付けてあげれば良かったかな……。
何の予算か? それは沙耶のおねだりに対する予算である。波留の計算では、現在増設工事中の処理ラインが稼働を始めるだけでもあと200億は予算を積み増しすることができる。ただし、霊視メガネと霊力計測機を製造する拠点の建造予算も必要になってきた。
――製造拠点の予算は行っても100億。人員は簡単に集まる。ノウハウは構築済み。ならば製造部長を執行役員に昇格して任せてみるか。
人材スカウトに一段落ついた白川が運転する車の後部座席で、そんなことを考えながら波留は生成AIのデータセンター構築を指揮している沙耶の元に向かっていた。
沙耶からの連絡で、生成AIのα版というかプロトタイプが完成し、テストを行うことになったからだ。
それともう一つの理由がある。それは、沙耶の戸籍を取ることを知らせるためだった。
波留は当初、沙耶の戸籍を作ることは難しいと思っていた。けれどもそれは彼女を人間として扱えない場面がでてくるかもしれないということであり、あまりにも不憫だ。
沙耶には人間と同等の、いや、人間よりも優れた自我がある。波留はそう思っている。そんな彼女と、人口生命体とか疑似生命体としてともに歩いていきたいのかと問われれば、それは断じて否であると彼は考え直した。
思い悩んだ波留が父と母にそのことを相談してみたら、今の日本には無戸籍の者が相当数いるらしく、養子縁組などを利用すれば比較的簡単に戸籍を取ることができるのではないかとアドバイスされたのである。
沙耶が人口生命体あるいは疑似生命体と知っているのは、創造主の波留を除けば彼の父と母だけである。問題は彼女の骨格が金属製であることと、DNAが異世界人のそれであるということだ。血の色はちゃんと赤いし、体重は何とでもなる。
骨格の問題について、波留は霊術を付与して誤魔化してしまおうと考えている。彼女が医者にかかることはない。けれども飛行機とかの搭乗チェックや、金属探知機を使ったボディチェックが問題だった。
会社が今よりもずっと大きくなって日本全国あるいは世界中を飛び回る未来が必ず来るだろう。そのときのためにも対策しておかなければならない。波留はそう考えた。
だから沙耶の骨格が何らかの方法でチェックされる場合を想定し、人間の骨と同じ反応を返すような霊術を波留は開発したのである。その術を彼女の骨格に付与してしまえばいい。彼はそう考えたのだった。
車がふじみ野市郊外のデータセンター敷地内に入った。白川が車を降りて入門の手続きを済ませ、波留に入門章手渡した。波留は名目上ここの社長ではあるが、入社したての新人職員全員に顔を知られているわけではないと思い、念のため通常の入門手続きをとった。
二人はそれを首にかけ、駐車場を出たあとは真っすぐに沙耶の元に向かう。
沙耶はコントロールルームでディスプレイに向かって、凄く集中した様子でキーボートのキーを超高速でタイプしていた。
「沙耶、準備はできてるか?」
波留が声を掛けた途端に沙耶の手がピタリと止まって声の方向に顔を向けた。彼女の顔が綻ぶ。
「社長、お待ちしておりました」
「α版ができたと聞いたが?」
「はい、それはすでに完成しています。今はデータセンターとの通信をテストしていました」
今はまだ構築中のデータセンターだが、その一部はα版のテスト用に開放されていた。
「ご苦労様。沙耶、ちょっと経営上の話がある。白川さんは少しの間外してほしいんですが」
「かしこまりました。見学でもして時間をつぶすとしましょう」
波留は沙耶に先導される形で廊下を歩き、社長室とプレートが掲げられた部屋に入った。要するに波留のために用意された部屋だが、彼がここに入るのは初めてである。
波留は部屋に入るとすぐに遮音結界を張った。
「沙耶、経営上の話と言ったのは本当じゃない。実は沙耶に戸籍を取ってほしいんだ。もちろん嫌なら嫌と断ってくれていい」




