第三十八話:閑話~とある新人不動産業者の憂鬱
「徳崎さ~ん、ついさっき父さ、あっ、所長から連絡がありましたよ~」
「連絡って?」
「川崎ハイツ202号室の件と言えばわかるって言ってました~」
美代ちゃんからその物件名を聞いたとたん、昼飯を食って腹が満たされた満足感が吹き飛んで、気分がどん底に落ちていった。
就職先がなかなか決まらず、所長とその娘の美代ちゃん二人だけで営業していた不動産屋になんとか入社できたのが去年の四月だった。初めてのことだらけで仕事に慣れるまで戸惑いも多かったけど、所長と美代ちゃんの人柄もあって徐々に仕事のコツを掴んで行けた。
けれども状況が変わってきたのは6月を過ぎてからのことだった。巷で話題になっている霊視メガネっていうアイテムが販売されたのがきっかけだった。
不動産業特有の問題の一つに事故物件というのがある。賃貸のマンションとかアパートの住人が、借りている部屋で亡くなってしまった物件のことだ。
事故物件が発生したときの面倒な仕事はこの際置いておくとしよう。いや、本気で面倒な仕事になるのだが、それについて言いたいわけじゃないんだ。
問題は霊視メガネだ。50万もするこのメガネを所長が買ってきた。これで事故物件になっても安心だってな。霊視メガネも量産化に成功したのか今では10万まで下がってるけど、それはどうでもいい。このメガネの怖いところは本当に幽霊が視えるところなんだ。
苦手なんだよ。幽霊が居るとか全然信じてなかったし。友人と夜に心霊スポットに行っても、ちっとも怖くなかったし、何も起こらなかったし、なんとも思わなかった。いや、楽しかったくらいだ。今までは。
けれども一旦認識してしまうと話は別なんだよ。奴らを視ると本能的な恐怖心が湧き上がってくる。こう、ゾワゾワっと来るんだ。事故物件で奴らが出たのは今まで2回経験してる。
2件とも所長と一緒だったからまだマシだった。所長にメガネを借りて初めて幽霊を見た。生で見た幽霊は本当に気持ち悪いというか悍ましくて、その場でへたり込みそうになった。けれども根性でなんとか耐えることができた。
幽霊に恐怖していることを所長に悟られたくはなかった。不動産業で働いていく以上、今後も幽霊を視る機会は無くならないだろうし、なにより就職活動なんてもうしたくはない。
就活時期、大学の友人たちはやりがい優先だの、楽しく働きたいだの、成長できる仕事がしたいだの楽しそうに自分の夢を語っていたけど、それは成績が良くて仕事を選べたからだ。
遊んでばかりで、ぎりぎりなんとか卒業できた身からしてみれば、そんな余裕などなかった。いや、自業自得なのは理解してるし、愚痴って訳じゃないんだ。
ただ、出るかもしれないと思うと、ズーンと足が重くなる。けれども、笑顔で霊視メガネを渡してくる美代ちゃんの前でそんなことは言ってられない。
「頑張ってきてくださいね」
可愛すぎるよ。この美代ちゃんの笑顔を見るだけで勇気が奮い立ってくる。彼女から受け取った霊視メガネは値段が10万円に下がったときに所長が追加購入したものだ。
「あっ、それからこれも所長からです。万が一が有ったらいけないからって」
涙が出そうになった。美代ちゃんが渡してくれたのは田中特殊雑貨製のお守りだ。しかもお守りとしては最上位。値段はたしか10万円だったはずだ。
なんでそんなに詳しいかって? それは初めて幽霊を見たあと、借りてる部屋に貼るために護符を買ったから。
なんせ今借りてる部屋は事故物件だからな。たしか会社員が住んでて心臓発作かなにかで突然死したと所長からは聞いている。
なんでそんな部屋を借りたかって? 安いからに決まってる。入社したての部屋を借りたころはまだ幽霊を見たことがなかった。だから全然気にすることなく借りた。けれども視ちまった後は後悔したさ。
一応坊さんのお祓いはしてあるらしいけど、全然安心できなかったから泣く泣く自前で買ったんだよ。田中特殊工房製のお札をさ。そのときに調べまくったんだ。
お祓いが済んでるってこともあって結局買ったのは一番安い護符だったんだけど、それでも一組で2万もした。所長曰く単独の事故物件ならそれで充分らしい。
でもアレだよな。田中特殊雑貨工房ってやり方が上手いっていうか、幽霊を視えるようにして護符とかお守りを売りまくるって、完全にマッチポンプだよ。
そうなんだけど、田中特殊雑貨工房の功績はやっぱり大きいと思う。だって悪霊に取り憑かれて体調を崩してた人とか、精神的に病んでいた人がそれこそ何万人も救われてるんだよ。それに不動産業者にとっては救世主的存在で、今ではなくてはならない存在になった。
マッチポンプであろうがなかろうが、幽霊が実在して人に悪さをしているってことを明るみに出しただけでも田中特殊雑貨工房の功績は大きいと思う。
まぁそれはそれ、美代ちゃんに嫌な顔はさすがに見せられない。お守りもあることだし、行くとしようか。
「ありがとう美代ちゃん、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
うん、その笑顔さえ見せてくれれば気合が入るってもんだ……でも、やっぱり出てほしくはないよな。




