第三十六話:破天荒な女
霊力強化の術は綾川の自室で行うことになった。田中霊子技術研究所には寮が完備してあり、十名ほどの入寮者がいる。もちろん自宅から通っている者もいるが、入寮しているのは研究者やその補助研究者が多い。ただの職員はほとんどが自宅通いだ。
それはいいとして、綾川の部屋はハッキリ言って整っているとは言い難かった。変な匂いはしないしごみが散乱しているわけでもないから汚部屋とまではいかないが。というか生活感が無いとまでは言えないが薄かった。
波留としては、日本においてはじめて親類以外の女性の部屋に入ったわけだが、これは一般的な女性の部屋とは言い難いだろう。彼はそう思った。
「さぁ始めよう」
綾川はそう言うなり白衣を脱いだだけにとどまらず、ズボンに手をかけてベルトを緩め、躊躇なく自らの手でズリおろした。何の飾り気もない無地でホワイトグレーのショーツが露になる。ベッドの上には大人用のオムツが置かれている。
沙耶が咄嗟に二人に間に入って波留の視線を遮った。けれども彼には見えてしまっている。その間にも綾川は、躊躇なくショーツまでも脱ぎ去ろうとし、沙耶が慌てて止めに入った。
波留は綾川のあまりの躊躇のなさと無頓着さと羞恥心のなさに衝撃を受けながらも、慌てて部屋の外に出てドアを閉めた。耐性がない波留の顔は真っ赤に茹っている。
波留と綾川が生きた年月は彼の方が長く4年ほどしか違わない。しかも彼は女性の顔の美醜にそれほどこだわるタイプではない――好みのタイプはある。それが沙耶の顔だ――。彼は異世界にいたころは帰還することに全力を傾けていたから、色恋というか女性そのものに興味を抱く暇などなかった。
たしかに綾川は整えさえすれば可愛いタイプの丸顔であるが、美人かそうでないかといえば明らかに後者であり、良く言えばブサカワ系の女だ。性格さえよければ男に困ることもないだろう。けれども残念なことにこの性格だ。
相手がたとえそんな彼女であっても、目の前でいきなり下半身を露出しようとする様を目の当たりにすれば、彼の反応も分からないではない。
ドアの向こうから沙耶の激しく叱責する声が聞こえてきた。その声で胸の鼓動が収まった波留は、動揺させられてしまったことに対してフツフツと怒りが込み上がってきた。その後しばらくしてドアが開けられる。
「準備が終わりました」
ドアを開けてくれた沙耶も怒りに震えていた。綾川はパジャマに着替えていて、下半身の不自然な膨らみがオムツを履いていることを丸分かりにしている。
「男の前でいきなり脱ぐな。人並みの羞恥心くらい持て……まぁいい。沙耶、そこのタオルを使って猿ぐつわにしてくれるか、舌をかみ切られでもしたらたまらん」
いつもは丁寧な言葉遣いを心がけている波留も、綾川のあまりの破天荒さに口調が荒くなっている。沙耶はそんな彼の思いをくみ取ったのか、はたまた怒りに任せてか、かなり乱暴に綾川の口にタオルを噛ませてキツく縛り付けていた。綾川は抵抗こそしていないが、あぐあぐと藻掻いている。
そんな綾川を沙耶は半ば強引にベッドに寝かせた。波留は冷徹な目で綾川を見下ろしている。
「では始めるぞ、個人差はあるが処置完了まで1時間前後だ。止めてくれと言っても止めないからな」
波留は部屋に遮音結界を張って音漏れを防いだ。そして目をきつく閉じている綾川を霊力で包み込み、体の中にまで浸透させていった。
「うっ!」
綾川がくぐもった声を漏らしたが、まだ痛みは走っていないはずだ。波留は今、彼女の脳幹から神経の末端に至るまでの、それこそ彼女の体中の神経細胞の連なりを把握しようと努めている。
そうする理由は、霊力は魂を根源として神経細胞を伝って伝播していくからだ。そして霊力を上げるということは、その神経細胞の連なりに霊力の経路を形成することであり、すなわちその過程において神経細胞を刺激してしまう。だから体中から激痛が走るのである。
神経経路を一時的にでも麻痺させれば痛みは感じなくなるが、それをやってしまうと霊力の経路まで絶たれてしまうから意味がない。よって被験者は体中の神経細胞を刺激される激痛に耐える必要が出てくる。
「沙耶」
波留の呼びかけに沙耶は視線で応え、少しだけ懐かしそうな顔をした。彼女の役割は回復術をかけ続け、被験者の体を常に正常に保つことだ。そしてこの役割は、彼が4頭のドラゴンと戦ったときに彼の体をドラゴンの絶大な魔力から守るために行ったことでもある。
それは置いておくとして、いよいよ波留は綾川の神経経路に霊力経路を形成する術式を発動した。
「むぐぐぐぎぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
綾川が発した絶叫はタオルのおかげでくぐもっているが、その痛みは充分に伝わってくるものだった。けれども波留は自分がこの術式を受けたときのことを思いだし、懐かしささえ覚えている。あれだけ強硬に志願したのだ。この女に可哀そうだとか術式を緩めてやろうだとか彼は考えなかった。
しばらくすると絶叫は収まってきたが、体表が赤く変色して血管が浮き出た状態になり、綾川の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
「やべでぇぇぇ……ごどじでぐでぇぇぇぇぇ…………」
術式を開始して30分も経とうかという頃に、とうとう綾川は死を懇願しだした。だからあれほど言ったのにと、思いこそすれ波留に術式を止めるつもりはない。たとえ死を懇願するようなことになっても術式を止めないようにと彼女に言われているからだ。
それに精神崩壊以外の安全は確保してあるし、気絶してしまえば術式は中止せざるを得ない。
――もうそろそろ45分になるか……ここまで気絶せずにいられるとは大した精神力だ。コイツのこと、少し見くびっていたかな。
そう、術式を止めるには気絶してしまえばいい。それは綾川にもちゃんと説明してある。けれどもそれをしないということは、彼女はまだ正気を保っているということだ。
波留がそんなこと考えていると、綾川の状態に変化が現れはじめた。今まではもがき苦しむように反応していた彼女の手足が、妙に縮こまって痙攣したり、顔の表情に僅かだが穏やかな色が混ざりはじめ、赤黒く染まっていた肌の色が薄らいできた。
その様子を見て沙耶は感心したような顔をしている。波留は当初、ついに漏らしたか? とでも思ったが、どうやらそれも違うようだ。
――コイツ、痛みを快感に変えてやがる? いや全然違う、痛みに慣れてきた?
綾川が言っていたように女は痛みに強いのか? そう思った波留ではあるが、真相は分からないし聞こうとも思わなかった。けれども彼は彼女のことを見直していた。それはこの術式を受ける苦しみを、己の身をもって体験したことがあるからだった。
――あの断続的に襲ってくる痛み慣れてしまうとは……。
波留がそんなことを考えて感心している間に術式は終了していた。綾川は気絶せずに最後までやり遂げた。その事実は、性格はどうあれ評価されるべきだと彼は思うのだった。




