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異世界帰りの大賢者  作者: 九一七
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第三十五話:懇願

 唐突ではあるが波留は困っていた。場所は田中霊子技術研究所の所長室だ。彼の目の前には土下座をして懇願する女が一人。綾川圭、34歳、168cm。田中霊子技術研究所の主任研究員だ。


 そしてこの女こそ、面接時に波留の目の前で傲岸不遜な態度を取った人物である。


「この通りだ、私に霊力強化の術式を施してくれ。頼む」


 波留は綾川を難しい顔で見おろし、彼の脇に控えていた沙耶は、彼女を虫でも見るような目で見おろしている。




 数日前、綾川は波留に相談を持ち掛けていた。水素プラズマの動きに制約をかける実験で、彼が作った制御機器だけでは、彼女の思いどおりに細かなパラメータの変更をすることに時間がかかりすぎることが分かったからである。


 その後どうすればパラメータを自由自在に変更できるかの議論になり、霊能力で直接重水素プラズマを制御すれば効率的な実験ができるという結論が出たところで、彼女が霊能力を得るにはどうすればいい? という話になった。


「――今の綾川さんの霊力じゃ無理ですね」

「”今の”と言ったな? ――」


 綾川は鋭かった。波留は彼女では霊力が足りないから無理だと諦めてもらおうと思って言った言葉に、余計なな一言が混ざってしまっていた。その一言を足掛かりに彼女は、それはもう根掘り葉掘り波留に聞きまくった。


 もちろん波留は説明した。死を懇願したくなるほどの痛みに耐え続ける必要があること。精神力が弱ければ廃人になるかもしれない危険性があることを。


 さらに、霊力が増えたところで、霊能力を使えるようになってさらに使いこなすまでにはそれ相応の修行も必要で、年単位の時間がかかることも伝えてある。


「使いこなせるようになるまでは今までどおりの研究や実験を続ければいいじゃないか。お前が困ることはなにもない」


 波留も一応は制御機器の機能強化に取り組むことを約束したが、それでも綾川は諦めなかった。霊力で気体原子や分子を直接制御できることにかなりの魅力を感じているらしい。


 この気体原子制御機器の機能強化が、後のとんでもない製品の基礎となるのだが、それはそのときに。



 両者の議論というか折衝は続き、両者引かぬまま暗礁に乗り上げ、結局その日は重水素プラズマの制御については課題として両者持ち帰りとなったが、その翌日に綾川が出した結論は、やっぱり彼女自身が霊能力を得るということだった。


 そんな理由があって冒頭の土下座の一幕である。


「見てくれ、万が一に備えてオムツもちゃんと買ってきたし、昨日と今日の朝は何も食っていない。出すものも出してきた。なっ、このとおりだ」


 波留は綾川が諦めてくれるように、激痛のあまり大小をお漏らしすることもあると、いわば脅しの意味で警告していたが、彼女には効かなかったようだ。


――コイツ、対処法はあるとか自信満々にほざいてたが、よりにもよってオムツ買ってきやがった。しかもそれを男の前で誇らしそうに掲げるか普通? ……女であることを捨てていやがる。


 そんなことを考えながらも、床に正座したまま満面の笑みでオムツを掲げる綾川を見下ろす格好になっている波留は、居心地の悪さを感じていた。彼は純粋な日本人だが、どうしても土下座という行為になじめない性分だった。


「とりあえず土下座は止めてくれ」


 勝ち取ったとでも思ったのだろうか、綾川は満面の笑みで立ち上がり、よろけてこけた。彼女は笑みを浮かべたまま痺れているであろう足をさすっている。


「本当に今日やる気なのか?」

「もちろんだとも」


 波留は綾川のあまりの熱意というか、意志の硬さに呆れてというか流されて、彼女の意をくむことにした。


 肉体的な損傷は術を使えば何とでもなる。命を落とすこともない。けれども精神的に壊れてしまえば波留であっても元に戻すことは出来ない。


 精神に干渉する術は異世界でも禁術あつかいされていたし、波留自身学ぼうとも思わなかった。霊力強化の術を掛けたこと自体を忘れさせることはできない。というか、精神が壊れてしまえばなにをやっても元に戻すことはできないのだ。それが異世界の常識だった。


――禁忌を犯しても学んでおくべきだったか? いや、さすがにそこには立ち入るべきじゃないよな。元に戻せるわけじゃなし。


「あまりの痛さに精神的に壊れても知らんぞ」

「女は痛みに強いのだよ。お産に耐えねばならんからな」

「分かった。ただし、誓約書は書いてもらう」

「もちろん書かせてもらうよ。紙とペンをよこせ」


 綾川は波留が渡したコピー用紙に、全ての責任は彼女自身にあって波留には一切の責任がないことをサラサラと書いていった。そして自らのサインをし、最後に白衣のポケットから取り出したカッターで自分の指を少しだけ切って血判を押したのである。


 波留は綾川から受け取った誓約書を読み、問題がないことを確認して沙耶に渡した。


「保管しておいてくれ」

「かしこまりました」


 期待に満ちた目で波留を見ている綾川に、彼は最後の問いを投げかける。


「覚悟はできてるな?」

「もちろんだとも」

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こちらの作品「逆行転生自己育成リア充計画~リトライ、リア終小説家のかなり遅すぎた初恋~」もよろしければお読みくださるとうれしいです。
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