第二十三話:治験
毛生え薬、すなわち発毛剤を商品化するには治験を通して厚生労働省の承認を得なければならない。けれどもその手順はかなり面倒であり、時間がかかる。
父は自分の頭髪がすでに生え揃っているから焦りは無いようだが、父と同じ悩みを抱えていた父の知り合いである杉本――田中霊薬に入社済み――は鬼気迫る感じで治験に向けての動きを取っているようだった。
なぜか? 未承認薬を他人に試してはならないという法律の壁があるらしいからだ。杉本は早く薬を使いたい。そのためには可能な限り急いで治験の段階まで事を進める必要があるとのことだった。
新薬の認証は基礎研究⇒非臨床試験⇒治験――臨床試験――の順で進んでいくが、基礎研究は波留が実施済みであり、今は非臨床試験――動物実験――の段階まで進んでいるようだ。
新薬の認証がここまで厳しいのは、第一に副作用の危険性と倫理的な問題があるからだが、もともと毛生え薬は波留が異世界で通常の薬草――効果も薄く最も安価な回復薬――を煎じた飲み薬を10倍に希釈し、頭髪だけが生えるような魔法を付与しただけのものであり、安全性には全く問題がなかった。
日本での基礎研究では、異世界で使った薬草が手に入らないことから、そこら辺の野原で簡単に手に入るトクダミとヨモギを乾燥させて煎じた溶液――異世界での経験を参考にかなり薄めに作ってある――に魔法を付与して効果を確かめてある。ぶっちゃけ、付与する溶液は純水以外ならなんでも良いと波留は理解していた。重要なのは魔法なのだから。
基礎研究のことについて言及しておくと、杉本が入手してきた10匹のラットの頭部から背中にかけて体毛を剃り、薬を投与したグループと投与しなかったグループに分けて体毛が生える速度を計測したものであり、薬を投与したグループのみに頭部の発毛が無事確認できている。
杉本はそのデータと薬品サンプルを持って懇意にしているらしい大学の教授に掛け合い、今現在、非臨床試験が進行中ということらしい。
そしてその大学の教授も、頭部がかなり寂しいというか、すでに頂点部分が禿げ上がっているらしく、試験は鋭意進行中とのことだった。
――そう言えばあの貴族も目の色を変えてたっけ……。
波留は異世界で毛生え薬を開発したときのことを思いだしていた。あれは異世界でほとんどの病気を治す万能薬の完成を王都の医局に報告したときだった。
その局長を務めていた伯爵位を持つ貴族が『万能薬が開発できたならこの頭を何とかできんか』と寂しくなった自分の頭部をさすりながら相談された。
かなりお世話になっていることもあって、波留はその相談に乗って毛生え薬を開発したが、その効果確認に『自分を使え』と申し出たというより、懇願してきたのである。その状況と必死さが、父の話に聞く杉本や大学教授と重なって波留は懐かしさを覚えたのだった。
それはさておき、新薬が認証されるまでの期間に波留は絶望感を味わうことになった。
――遅すぎる。あり得ない……。
治験がいかに慎重に事を進めなければならないか、最悪人命が関わってくるだけにその理由は波留にも理解できる。けれども治験をはじめてから認証されるまで平均で7年弱かかるというのはあまりにも非効率的で遅すぎる。
杉本の話によると認証されるまで最短でも4年かかっているとのことだった。長ければ10年以上かかることもあるらしい。
異世界に治験などまどろっこしい手順は必要なかったから、効果と安全性の確認は早ければ数日で終わる。いちおう数年単位での経過観察は行われるが、そこは自己責任というか、服用する側もそれを理解してクスリを使うのが当たり前だった。
――これも日本人の慎重すぎる性格と、責任を負いたくない事なかれ主義が原因か? それとも、利権争いが絡んでる?
波留は日本で暮らしてきた時間よりも異世界で暮らした時間の方が僅かだが長い。だから日本人というか現代人がなに事にも時間をかけすぎるということに、陰謀論的妄想に駆られるくらい、辟易していた。
――このままじゃ会社が立ちいかない。
せっかく立ち上げた田中霊薬だが、期待していた飯のタネが果実を実らせるまでに4年もかかるとあっては会社の存続さえ危ぶまれる。だから波留は考えた。
――エナジードリンクでも売り出すか。
となると新たな工場が必要だ。認知さえされれば絶対に大ウケする自信が波留にはあった。工場建設資金も田中特殊雑貨工房の利益から融通すればなんとかなるだろう。
原料は一般的などこにでも売っているエナジードリンクに倣えばいい。ちょっとだけ体力と生命力を活性化させ、不調になっている原因があれば、それを僅かに緩和させる魔法を付与する。
そうすれば既存のエナジードリンクより効果が高く、副作用の心配がない製品ができる。
――問題はやっぱり人か……さて、どうやって集める?
エナジードリンクみたいな清涼飲料水で利益を得るには大量生産が不可欠だ。すると工場は大規模になるし、その人員も多数集めなければならない。
――父さんに相談してみるか。
こうして新たな商品が開発されることになった。その結果がどうなるか? それはそのときが来るまでは何とも言えないなと波留は思う。ただ、彼には絶対に成功する確信があった。




