第二話:大賢者、実家に帰る
鳴沢氷穴を出た波留は、道路沿いに北を目指して歩きはじめた。20年ぶりに踏みしめるアスファルトの感触が懐かしい。時刻はおそらく深夜である。
――コンビニ探そう。
そう思いながら樹海を貫く道路を波留は歩く。自動車とはまだ数台しか出会っていない。そしてふと違和感を覚える。
――ココ、俺が生まれた日本だよな?
波留が感じたもの、それは魔素だった。
――すごく薄い。でも確かにある。
濃度は体感で異世界の100分の1ほどではあるが、大気中に漂う魔素を確かに波留は感じ取っていた。そして視てしまう。
――っ! ゴースト?
舗装された二車線の道路沿いには<国道 139 ROUTE>と青地に白で書かれた、逆三角の標識が立っている。その真下。すごく薄いが、明らかに異世界にもいたゴーストと思われる存在が波留をじっと見ていた。
――中年の男……ん? そうか、幽霊だ。青木ヶ原樹海は自殺の名所じゃん。
波留は気づいた。首に縄の後がくっきりと見えるゴースト。それは間違いなく日本風に言えば幽霊だった。異世界ではたとえゴーストであっても魔物とみなされていた。レイスより遥かに弱く、怒らせると憑りつこうとしたり精神攻撃をしてきたりするが、はっきり言えば雑魚中の雑魚である。
なんとなくだが波留は理解した。異世界で魔素と呼ばれていたもの、それがたしかに日本にも存在している。けれども薄すぎてそのままでは魔法が発動しない。だから地球では魔法はオカルト呼ばわりだ。それはともかく、こちらでは魔素とは呼ばずに霊子と表現したほうが受け入れられやすいのかもしれない。
――となると、霊能者とか、視える人とか、完全なオカルトじゃぁないわけ? 坊さんとか神主がやってることって効果ある?
異世界でもゴーストとかレイスは聖職者に弱かった。それを考えると、仏教の住職とか神道の宮司とかは幽霊に対処できるのかもしれない。
――まぁ、あの存在感の薄さと魔素濃度の低さを考えると、なんとも言えないか。普通の人には視えないだろうし。
波留が視た幽霊は、明らかに異世界のゴーストよりも存在感が薄くて弱そうだった。魔力をまとった手で軽く撫でただけでも、消滅してしまうだろう弱さにしか彼には感じられない。だから彼は無視することにした。
そんなことを考えながらしばらく歩くと、見慣れたというか懐かしいというか、特徴的な7が書かれた看板が見えた。
――あった!
波留が見つけたのはもちろんコンビニである。
波留はポケットの上から手を当てて確かめる。
――うんちゃんと入ってる。
服装も異世界のコスプレじみたものではない。記憶を頼りに異世界で自作したダークブラウンのカジュアルスーツと白のカッターシャツ、それと革靴に着替えてある。ノーネクタイだが、不審人物と怪しまれることはないだろう。
――けど、おカネは大丈夫かなぁ? まぁ、たとえ古くなっててもコインなら大丈夫か。
波留の財布には福沢諭吉の1万円札が1枚、野口英世の千円札が三枚、五百円玉が1枚、50円玉が1枚、10円玉が3枚、1円玉が2枚入っている。
――2022年から20年経ってるはずだから今は2042年のはずだ。気温と植物を見るに今は春? 季節はどうでもいいか。
波留は緊張しながらコンビニに入った。懐かしい入店音が彼を歓迎している。店員はひとり。客は彼以外にいない。
――一応日付だけでも確認しておこう。
そう考えて波留は雑誌コーナーに足を運んだが、新聞は見当たらなかった。それでも彼は雑誌を手に取って発行年月を確認する。
――っ!? 2026年4月……。どゆこと?
確かに波留は異世界で20年を過ごした。それは間違いない。
――こっちと向こうじゃ時間の流れ方が違う?
そういうことなのだろう。波留は異世界と地球の時間の流れは同じだと思い込んでいた。というより、時間の流れが違うかもしれないとは考えもしなかった。
――ということは……。
波留の口の端は知らず知らずのうちに吊り上がっていた。異世界で20年が経過する間に、地球では5年しか経過していなかった。ということは両親はまだ50代前半のはずだ。まだ現役バリバリだ。
――そして。
波留自身も23歳で通用するだろう。
――問題は大学か……。
5年間行方不明になったとすると、おそらく除籍になっているだろうと波留は考える。
――復学する? いや、たぶんダメなんだろうなぁ。というか、大学行く必要ある?
異世界で得た知識、そして魔法。魔素が薄くてもあるならばかき集めて魔力の補填もできる。収納魔法で持ち帰った魔石とか希少金属とか素材とか薬品もある。
――武器とか防具は売れないよな……素材に分解して使えばいいか。となると……。
波留は考えた。なにか魔法で作ってそれを売れば生計を立てていけるだろう。そして、5年もブランクがあるなら大学に行くメリットはあまりない。受験しなおして大学に行っても、5年も行方不明期間があったらいい就職先なんてあるはずがない。そう思えてならなかった。
――それでもまぁ、なんとでもなるか。
それは異世界を20年生き抜いたことで生まれた余裕というか、人生感というか、日本というヌル過ぎる世界では、苦労することはあっても生きていけないということはないだろうという自信から来るものだった。
波留はおにぎり4つとペットボトルのお茶を手に取りレジに行く。
――へぇ~、機械で支払いするのか。古いかもしれないけどなんとかなるかな。
店員に言われるまま福沢諭吉の1万円札を機械に入れると、出てきたおつりは千円札が8枚と小銭だった。1万円札を使ったのはおつりが欲しかったからだ。
――北里柴三郎……なにした人だっけ? ま、どうでもいいか。
機械から出てきたおつりとレシートを取って波留は店を出た。そして駐車場の隅まで歩いておにぎりを取り出し、かじりつく。
――ん~、美味い!
波留は懐かしすぎるおにぎりを味わいながらレシートを見る。
――2026年4月26日(日)02:17か……。
日曜日なら両親は家にいるだろう。そう思った波留は、急いでおにぎり四個を平らげてお茶で流し込むと、ゴミ箱にゴミとペットボトルを捨てて家路を急いだ。
日本への界を跨いだ転移魔法を使ったせいで、今の波留の魔力はゼロに近い。魔石を使って補填すれば転移魔法で家まで転移できるが、こんな時間に帰っても両親は起きていないだろう。
そう考えて波留は速足で国道139号線を歩き、日の出とともに富士山駅にたどり着くことができた。そこから始発に乗って乗り換えながらふじみ野駅に到着したのは、午前8時を過ぎたころだった。ここからは徒歩で10分ほどだ。
波留は逸る気持ちを抑えることもせず、かなりの早歩きで実家へと急いだ。
――見えた!




