第十五話:取引の合意とその後の一幕
取引の合意は成った。その後は検査方法とか寿命とか保証期間とか具体的な仕様や取引の詳細を詰めていった。処理代金については月末締めの翌月末支払いらしいから、5月末日に最初のロットが波留の実家に届く日程で調整したいと徳田に提案された。けれども、波留としては商売の空き期間を作りたくはない。
今は5月の中盤だ。6月に入るまでレンズの入荷を待ちたくはなかった。波留がそのことを相談すると、徳田は「各店舗の在庫をかき集めてなんとかします」と応じてくれた。納入数は切りよく3000組だ。
波留は度付きレンズの対応もしますよと提案したが、徳田は「在庫が増えますからね~」と消極的だった。けっきょく、レンズは今まで通り度なしに限定し、度付きが必要な人はコンタクトとかで対応してもらうということで話がついた。
商談が終わってコーヒーを頂戴しながら雑談をしていると。
「ところで田中さん、私どもは霊視メガネをまだ使用してみたことがありません。サンプルを頂けるとありがたいんですが」
「ああ、そうですよね、サンプルは有った方がいい。全部売れてしまって今は手元にありません。そちらで度なしメガネさえ用意していただけたら、この場で処理できますよ」
「本当ですか! ただちに持ってきます!」
そう言って徳田が席を立つと「度なしの商品サンプルをいくつか用意してくれ」と誰かに声を掛けていた。そして1分もしないうちにスーツ姿の若い女性がメガネケースに入ったサンプルを三つ徳田に渡した。
「これがサンプルになります」
そう言って渡されたサンプルを手に取った波留は、ケースを空けてメガネを取り出すと、少し丁寧に一つ1分ほどの時間を掛けて霊視の魔法を付与していった。一般人に魔力光は視えないはずだから、徳田の目には波留がレンズに手をかざしているだけにしか見えないだろう。
「マジシャンみたいですね」
知らない人が見れば接頭語に「妖しい」とついても不思議ではないシチュエーションだが、徳田は真剣な眼差しだった。
「これで完成です。見た目は変わっていないように見えますが、霊視ができる人には靄みたいな霊子……幽霊の霊に子供の子と書く霊子ですね、それが視えるはずです。霊視能力を付与したこのサンプルを使って他のサンプルを視てみてください」
「確かに靄というか、ボヤッとした薄い光を帯びてます。というか田中さんから物凄い光が出てます」
「ああ、これは霊力が強いとこう見えちゃんですよ。気づきませんでした。申し訳ないです」
波留は意識的に漏れ出す霊力を抑え込んだ。
「あ、光が見えなくなりました」
「今、意識的に霊力を抑え込んでます。そうですね、私じゃ参考になりませんから、社員の方を視てもらえますか?」
波留にそう言われて、徳田はスペースからヒョイと顔を出してフロアを見渡している。
「社員の体からも薄い光が出てます。光の強さにはかなり個人差がありますね」
「霊力の強さにはかなり個人差がありますから」
「なるほど、ん? あれ……」
「どうかしましたか?」
「いや、弊社の社長の肩から頭のあたりにかけて黒い靄のようなものが視えます」
波留は席を立って徳田の横に並んだ。
「確かに。あのいちばん奥の方ですよね?」
「そうです。あれがなにか分かりますか?」
「ああ、あれはかなり弱いですが悪霊ですね。ちょっと体調が崩れやすくなるとか、疲れやすくなるとか、その程度の霊障しかないです。放っておいても、数か月もすれば自然消滅するでしょう」
「そうですか。いやしかし、なんとかなりませんか?」
「そうですね、ちょうど悪霊を寄せ付けなくするお守りを持ってますから差し上げましょう。あの程度の悪霊ならそれを身につければ逃げていくはずです」
「助かります……ただ、弊社の社長はかなり頑固なところがありまして、ちょっと言いにくいんですが霊視メガネに関しても懐疑的なんですよね。ただ、霊視メガネの価格と売れ行き、そして評判は把握してますから、渋々ながら弊社で取り扱うことを認めてくれた経緯があるんですよ」
「はぁ」
「いや、社長にあなたは悪霊に取り憑かれているから、このお守りを身につけてくださいと進言しても、たぶん取り合ってもらえません
「だったら、社長さんの姿をスマホで動画に撮って見せてあげれば良いんじゃないですか?」
「そうですね。よくYoutuberがやってるように、スマホのレンズに霊視メガネをかざして撮影すればいいんですよね?」
「はい、それで撮影できるはずです」
そこまで話すと、徳田は「ここで待っていてください」と波留に告げ、一人の若手社員に何やら指示を出してフロアの奥に歩いていった。若手社員は徳田に渡された霊視メガネをスマホにかざしてその様子を撮影しているようだ。撮影しはじめた社員は、その映像を視てギョッと目を見開いている。
しばらく徳田は身振り手振りで社長と話していたが、徳田が振り返って撮影していた若手社員に手招きをした。社長の元まで速足で歩いた社員は、スマホを操作してその画面を社長に見せている。
スマホの画面を見た社長は、驚いたように椅子に座ったまま後退し、顔を青くしている。机を回りこんだ徳田は、若手社員になにかを耳打ちすると、若手社員は再び社長を撮影しだした。そして徳田は、再度机を回りこんで社長のもとへと駆け寄り、お守りを出して社長に話しかけている。
社長はそのお守りを恐る恐る手に取ると、自分の首に掛けた。すると社長についていた悪霊は、社長の体から離れ、フロアの外へと逃げて行くのだった。




