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『振り返るな、それは見られるのを待っている』 〜イギョウ様と、名前を持たぬものの話〜  作者: 普通


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第1話 それは、見られるのを待っていた

分かりました。「振り返る・目を合わせる」をトリガーにして、因習ホラーと日常侵食型の両方を取り入れたスタイルで書きます。

———

第1話 それは、見られるのを待っていた

忠告をしておく。

東北のある地域に、正月明けに子供が行方不明になる町がある。

毎年ではない。でも、続いている。

そしてその町の人間は、誰も本気で探さない。

理由を知っている人間は、探したら自分が喰われると知っているからだ。

理由を知らない人間は、知っている人間に止められるからだ。

これは、その町に嫁いだ俺の妻の話だ。

そして、俺たちが「見てしまう」までの話だ。

———

妻と結婚したのは、二十九歳の時だった。

妻——仮に「さよ」と呼ぶ——は東北の出身で、大学進学を機に上京してきた女だった。

東京で知り合って、三年付き合って、結婚した。

さよは故郷の話をほとんどしなかった。

聞けば答えてくれるが、自分からは話さない。

「田舎だから特に何もない」とよく言っていた。

俺はそれを、都会に憧れた地方出身者の照れだと思っていた。

———

結婚して最初の正月、俺は初めてさよの実家に行った。

山沿いの、静かな町だった。

雪が深くて、人が少なくて、空気だけが妙に澄んでいた。

さよの両親は穏やかな人たちだった。

特に母親はよく気を遣ってくれて、料理をたくさん出してくれた。

一つだけ、奇妙なことがあった。

その家には、鏡がなかった。

洗面台の上も、脱衣所も、玄関も。

普通あるはずの場所に、何もない。

さよに聞いたら、「昔からそういう家だから」と言った。

それ以上は説明しなかった。

———

二日目の朝、俺は散歩に出た。

雪の積もった道を、一人でぶらぶら歩いた。

静かな町だった。

正月だから人が少ないのか、それとも普段からこうなのか、判断できなかった。

山沿いの道を歩いていたら、小さな祠があった。

古い木造の、屋根だけ残ったような祠だ。

中に何があるかは見えなかった。

なんとなく、立ち止まった。

その時、気配がした。

祠の後ろから、誰かがこちらを見ている気がした。

振り向こうとして——

———

「振り返ったらいかん」

———

後ろから、低い声がした。

驚いて、前を向いたまま固まった。

声の主は、老人だった。

散歩でもしていたのか、厚いコートを着た、腰の曲がった男性だ。

「振り返ったらいかん」と老人はもう一度言った。

「……なぜですか」

「見られたら、向こうも見る」

老人はそれだけ言って、さっさと歩き去った。

———

さよの実家に戻って、その話をした。

さよの母親の顔が、一瞬だけ固まった。

「誰に言われたの」

「さっき道で会った老人で……」

「どんな人だった」

俺が老人の様子を説明すると、さよの母親は少し考えてから言った。

「この辺りの人じゃないと思うけど……」

それから、静かに続けた。

「でも、正しいことを言ってくれた」

———

その夜、さよから話を聞いた。

この地域には、昔から言い伝えがある。

正月の時期、山から何かが下りてくる。

その何かは、人の視線を感知する。

こちらが「見た」と認識した瞬間、向こうも「見る」。

一度目を合わせたら、繋がりができる。

繋がりができたら、向こうは離れない。

———

「目を合わせたら、どうなるの」

俺は聞いた。

さよは少し間を置いた。

「連れていかれる、って言い伝えはある」

「でも」

さよは窓の外を見た。雪が降っていた。

「私が子供の頃に聞いた話だと……連れていかれるんじゃなくて」

「ずっと、見られ続ける」

———

意味が、すぐには分からなかった。

「見られ続ける、って」

「向こうの視線が、離れなくなる。どこにいても。何をしていても」

さよは言った。

「この辺りで行方不明になった子供たちも……本当に消えたんじゃなくて、見られ続けて、最後には自分から山に入っていくって」

「呼ばれるから?」

「視線に、引っ張られるから」

———

俺は、昼間に祠の後ろで感じた気配を思い出した。

あの時、振り向かなかった。

老人に止められたから。

もし止められていなかったら——

———

「この地域の人は、どうやって防いでるの」

「見ない」

さよは短く言った。

「気配を感じても、視線を向けない。後ろに何かいる気がしても、振り返らない」

「だから、この家に鏡がないんですか」

さよの母親が、台所から顔を出した。

「鏡は……映したものを、向こうに見せてしまうから」

———

東京に戻ってから、しばらくは忘れていた。

日常が戻れば、怖い話は怖い話として記憶の棚に収まる。

———

でも、一つだけ変わったことがあった。

———

俺は、後ろが気になるようになった。

———

電車に乗っていると、後ろから視線を感じる気がする。

振り向いたら、普通に人がいる。それだけだ。

夜道を歩いていると、後ろに気配がする。

振り向いたら、誰もいない。それだけだ。

でも「それだけ」と思えなくなっていた。

———

さよに話したら、さよは少し表情を変えた。

「振り返った?」

「振り返ってる。普通に」

さよは黙った。

「東京なら、大丈夫だと思うけど」

「思うけど、って」

「……向こうが、どこまで来るかは分からない」

———

その言葉が、ずっと頭に残った。

———

どこまで来るか、分からない。

———

三ヶ月後。

さよが妊娠した。

喜んだ。本当に喜んだ。

さよの両親に電話したら、父親が出た。

「おめでとう」と言ってくれた。

でも電話の最後に、こう言った。

「産まれたら、こちらには連れてくるな。頼む」

———

理由を聞いたら、父親は一言だけ言った。

「子供は、すぐ振り返る」

———

子供が産まれたのは、秋だった。

男の子だった。

よく笑う子だった。

よく動く子だった。

———

抱っこしていると、急に後ろを向く。

何もない方向を、じっと見る。

赤ちゃんはよくそういうことをすると、育児書に書いてあった。

「天使が見える」なんて言葉も、SNSで見た。

でも俺は、その度に少し、嫌な気持ちになった。

さよの実家で聞いた話を、思い出してしまうから。

———

息子が一歳になった正月。

さよの父親が倒れた。

脳梗塞だった。

さよは実家に戻らなければならなかった。

俺も仕事を調整して、一緒に行くことにした。

息子も、連れていくしかなかった。

———

さよの母親は、息子を見て、複雑な顔をした。

喜んでいた。でも、怖がってもいた。

「できるだけ、外に出さないで」とだけ言った。

「この時期だから」とも言った。

———

病院でさよの父親と面会した帰り、駐車場で息子を抱っこしていた。

夕方だった。空が赤くて、山の稜線が黒く見えた。

息子が、急に山の方を向いた。

じっと、見た。

俺は息子の視線を追いそうになって、止めた。

さよの実家で聞いた話が、頭をよぎったから。

———

見ない。

気配を感じても、視線を向けない。

———

でも息子は、見ていた。

小さな目を、山の方に向けたまま。

ぴくりとも動かずに。

———

「おい」

俺は息子に小声で言った。

「そっち見るな」

息子は振り返らなかった。

山を、見続けた。

———

その夜だった。

さよの実家で、息子を寝かしつけた。

隣の布団で、俺も横になった。

眠れなかった。

天井を見ながら、息子の寝息を聞いていた。

———

深夜、息子の寝息が止まった。

———

俺は体を起こした。

息子を見た。

起きていた。

暗い部屋の中で、目を開けて、天井を見ていた。

———

「どうした」

小声で言った。

息子は答えない。一歳だから、喋れない。

ただ、天井を見ていた。

———

俺は息子の視線を、追った。

———

天井に、何もなかった。

———

ほっとして、もう一度息子の顔を見た。

———

息子が、俺を見た。

———

普通のことだ。

父親の顔を見た、それだけだ。

———

でも、息子の目が——

———

いつもと、違った。

———

何が違うのか、うまく言えない。

目の形も、色も、同じだ。

でも、何かが違った。

———

俺は、目を逸らした。

反射的に。

———

息子はしばらく、俺の方を見ていた。

それから、ゆっくりと天井に視線を戻した。

———

俺は布団の中で、動けなかった。

———

翌朝、さよに話した。

「昨日の夜、息子の目がおかしかった」

さよは俺の顔を見た。

「おかしいって、どう」

「なんか……違った。いつもと」

さよは少し黙ってから言った。

「目を、逸らせた?」

「逸らした」

さよは息を吐いた。

「それは、よかった」

———

「よかった、って……息子は大丈夫なの」

「昼間なら大丈夫だと思う」

「夜は?」

さよは答えなかった。

———

その日の夕方、俺はさよの父親の病室に一人で行った。

父親はベッドに横たわっていたが、意識はあった。

俺が来たのを見て、少し表情が動いた。

「息子さんの目が、夜におかしくなりました」

俺は単刀直入に言った。

父親は目を閉じた。

しばらく、動かなかった。

———

「お前は、あの祠の前で振り返らなかったと聞いた」

父親が言った。

「さよから聞きました。振り返りませんでした」

「でも、気配は感じた」

「感じました」

「それだけで十分だ」

———

父親は目を開けた。

天井を見たまま、続けた。

「感じた、ということは、向こうもそれを知っている」

「お前が振り返らなかった理由も、知っている」

「向こうは賢い。力ずくで振り返らせることはしない」

「ただ……」

———

「お前の息子を使う」

———

俺は、黙っていた。

「子供は本能で振り返る。怖いものを見ても、視線を逸らせない。向こうはそれを知っている」

「息子を通して、お前と目を合わせようとする」

———

「どうすればいいんですか」

———

父親は少し間を置いた。

———

「早く、この町から出ろ」

「それだけか?」

「それだけだ」

———

「根本的な解決は?」

父親は首を振った。

「お前たちには関係のない話だ。この町で生まれた人間だけの問題だ」

「さよも?」

「さよは、もうこの町の人間じゃない。東京で生きている」

「だから連れ出せた」

———

俺は病室を出た。

廊下を歩きながら、一つのことを考えていた。

———

「感じた、ということは、向こうもそれを知っている」

———

あの祠の前で、俺は気配を感じた。

振り返らなかった。

でも、感じた。

———

向こうは俺を、知っている。

———

そして今、俺の息子も、向こうを知っている。

———

この町を出ても。

———

繋がりは、続くのか。

———

その夜、俺は息子を抱いて眠った。

息子が夜中に目を開けても、俺が先に気づけるように。

———

明け方近く、息子が動いた。

俺は目を開けた。

息子は起きていた。

今度は天井じゃなく、ドアの方を見ていた。

———

ドアの前に、何かいた。

———

見えるわけじゃない。

でも、「いる」と分かった。

暗い部屋の中に、ドア一枚隔てて、何かがいた。

———

息子が、ゆっくりと俺の方を向いた。

———

俺は、目を閉じた。

———

息子の視線が、俺の顔の上にあるのを感じた。

見られていた。

でも、見なかった。

———

どのくらいそうしていたか、分からない。

やがて息子が動いた。

寝返りを打つような音がした。

———

静かになった。

———

俺は、ゆっくりと目を開けた。

息子は眠っていた。

ドアの前には、何もなかった。

———

俺は、その朝さよに言った。

「今日、帰ろう」

さよは頷いた。

何も聞かなかった。

分かっていたのかもしれない。

———

東京に戻ってから、息子の目が夜におかしくなることは、なくなった。

なくなった、と思っていた。

———

一ヶ月後。

俺は夜中にトイレに起きた。

廊下を歩いていたら、息子の部屋からかすかな音がした。

ドアを開けた。

息子は眠っていた。

でも、手が伸びていた。

ドアの方に向かって。

———

まるで、何かを招くように。

———

俺は息子の手を、そっと布団の中に戻した。

声は出さなかった。

———

翌朝、さよに話した。

さよは少し考えてから言った。

「まだ、続いてるのかもしれない」

「どうすればいい」

「分からない」

さよは窓の外を見た。

曇った、冬の空だった。

「お父さんに聞いてみる」

———

その日の夜、さよが父親に電話した。

俺は隣で聞いていた。

さよが話し終えて、電話を置いた。

———

「何て言ってた」

———

さよはしばらく黙っていた。

———

「息子が、向こうを見てしまった可能性がある、って」

「可能性があるって、どういうこと」

「あの夜、息子が一人で部屋にいた瞬間があったかどうか、って聞かれた」

———

俺は思い出した。

病院から帰った夜。

さよとさよの母親が台所にいた時間。

俺が荷物を整理していた時間。

息子を、居間に一人で寝かせていた、あの十分間。

———

「……あった」

———

さよは頷いた。

「その間に、見てしまったかもしれない、って」

「お父さんは、何か方法を知ってる?」

———

さよは首を振った。

———

「この町の人間にしか、できないことがあるって」

「さよにも、できない?」

「私はもう、この町の人間じゃないから」

———

「じゃあ、誰が——」

———

さよは俺を見た。

———

「お父さんが、退院したら来る、って」

———

「それまでは」

さよは息子の部屋の方を見た。

———

「息子から、目を離さないで」

———

俺は頷いた。

———

その夜から、俺は息子と同じ部屋で眠っている。

息子が夜中に目を開けても、手を伸ばしても、どこかを見ても、俺がそこにいるように。

———

ただ一つだけ、俺には分からないことがある。

———

息子が何かを見ている時。

その視線の先に、本当に何もないのかどうか。

———

俺には見えない。

見ようとしていないから。

———

でも息子には、見えている。

———

それが何なのか。

———

俺は、まだ知らない。

知りたくない、とも思っている。

———

でも。

———

息子が俺の方を向く瞬間がある。

あの夜のように。

———

その時、俺はいつも目を逸らす。

———

いつまで、逸らし続けられるか。

———

それだけが、今の俺の問題だ。

ありがとうございました。

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