第三章-2 皇子と従者
やがて、準決勝第一試合の開始が告げられる。ランスとゲイルが闘技場へ向かうのを見送りながら、アルシオは自分の掌をそっと握った。胸の内は不思議なほど静かだった。けれど、その奥では高揚している自分が確かにいる。
準決勝第一試合――ランス・オルトリアン対ゲイル・セバイン。
名を呼ばれた二人が闘技場へ上がると、場の空気がわずかに変わった。先ほどまでのざわめきが静まり、観客たちの視線が一点へ集まっていく。
ランスは無言のまま木剣を構えていた。赤毛の硬い髪が陽を受けて鋭く光る。堂々とした長身と鍛えられた体躯は、それだけで対する者を威圧する。しかし、ゲイルも怯んではいない。いつもの不機嫌そうな様子はなく、その目には闘志があった。
互いに一礼し、間合いを取る。開始の合図が響いた。先に動いたのはゲイルだった。鋭い踏み込みとともに、迷いなく打ち込む。速い。単に勢いだけではない。相手の出方を見たうえで、最短で間合いを潰しにいっている。
だが、ランスは一歩も慌てなかった。木剣をわずかに傾けるだけでその一撃を受け流し、次の瞬間にはもう、反撃の軌道へ入っている。重い。けれど速い。受けたゲイルの顔がわずかに歪む。
「……っ」
押し切られまいとゲイルも即座に踏み直した。左右へ揺さぶり、間合いを変え、正面からではなく横へ抜けるように打ち込む。先ほどまでの試合よりも明らかに動きに切れがある。勝ち気な性格のまま、その実、かなり鍛えているのだと分かる剣筋だった。
木剣がぶつかり合う鋭い音が重なり、ついにランスが大きく踏み込んだ。受けたゲイルの体勢がわずかに開く。その一瞬の隙を、ランスは逃さなかった。重い一撃が、ゲイルの木剣を弾き飛ばした。
勝敗が決まり、会場にどよめきが広がった。
「勝者、ランス・オルトリアン!」
告げられた名に、歓声が上がる。ゲイルは悔しさを隠しきれない顔で唇を噛んでいたが、それでもすぐに正面から礼をした。ランスもまた無駄な誇示はせず、静かに一礼を返す。
闘技場を降りるゲイルを、アエラが真っ先に迎えた。
「惜しかったじゃない」
「全然惜しくない。あいつ、全力じゃなかった」
ゲイルは吐き捨てるように言った。力量差は明白で、それで手加減もされていた。屈辱以外何もない。
「でも、最初の打ち込みはよかったですわ」
ユフィーリアがやわらかく言うと、ゲイルは少しだけ肩の力を抜いた。
「……あいつは決勝しか見てない」
そう言って、闘技場の中央へ目を向ける。すでにランスは次の試合を待つ者のように静かに佇んでいた。アルシオも、その背を見ていた。強い。勝負の流れを読むことにも長けている。自分の剣を無理に押しつけるのではなく、相手の動きごと呑み込んでしまうような強さだった。
「……本当に強いね」
ぽつりと零すと、隣のレックスが短く答える。
「ああ」
その声には、警戒と、どこか楽しみにも似た色が混じっていた。
「次だな」
「うん」
呼ばれた名前に、二人は同時に闘技場へ上がった。 準決勝第二試合――アルシオ・セレスティア対レックス・フェルナー。
その組み合わせが目に見える形で闘技場の中央に立った瞬間、観客席から一段大きなどよめきが起こった。皇子と、その従者。いつも並んでいる二人が、今は向かい合っている。
アルシオは木剣を握り直した。向かいに立つレックスの顔には、もういつもの軽口もなかった。ただ真っ直ぐに、自分だけを見ている。
どこか懐かしいと思った。幼い頃から何度もこうして向かい合ってきた。遊びの延長だった頃もあれば、悔しくて泣きそうになった日もあった。けれど今日は違う。今だけはただ、勝負相手だった。
開始の合図。最初に動いたのは、ほぼ同時だった。正面から打ち込むレックスの一撃を、アルシオは横へずらして受け流す。そのまま脇へ踏み込み、打ち返す。だがレックスも読んでいたように身を返し、逆に距離を詰めてきた。
近くで何度も受けてきたはずの踏み込みなのに、今日のレックスは一段鋭い。迷いがない。
真正面からぶつかれば体格で分が悪いことは分かっている。アルシオにはアルシオの戦い方がある。相手の動きを読む。重心の動き、肩の入り、手首の向き。そのわずかな癖を拾って、必要なところへだけ踏み込む。
乾いた音が、何度も響いた。観客席も、いつしか静かになっていた。歓声を上げることを忘れたように、皆が二人の打ち合いを見つめている。
「……すごい」
誰かが漏らした声が、遠くに聞こえた。
アエラは息をするのも忘れていた。先日見た二人の打ち合いよりも、今の二人の動きは格段に緊迫感がある。レックスがアルシオに対して、本気で鋭い一撃を繰り出している。主人と従者の関係は、今は全く無い。そして、レックスの一撃をことごとく受け流しながら、アルシオもまた、隙を見て一撃を返す。穏やかな顔で本を読んでいる時とはまるで違う。静かで、鋭くて、目が離せない。会場の誰もが、そう思っていた。
レックスが押し込もうとすれば、アルシオはその力の流れを読んで外す。アルシオが隙を突けば、レックスは身体ごとねじ伏せるように打ち返す。
互いの癖も、息遣いも、重心の置き方も知っている。だからこそ、誤魔化しが効かない。ふと、ほんのわずかにレックスの肩が沈んだ。仕掛けてくる。アルシオはそう確信し、先に動いた。横へ流れるように踏み込み、最短で打ち込む。だがその一手は、読まれていた。レックスはあえて誘うように空けた間合いへ、正面から強く踏み込んでくる。
「っ――!」
受けた瞬間、押し切られた。体勢がぶれる。その隙に、レックスの一撃がきれいに胴に入る直前で、止められた。
静寂。次いで、一気に歓声が湧き上がる。
「勝者、レックス・フェルナー!」
宣告が響いた。アルシオはその場で一つ息を吐き、木剣を下ろした。掌がじんじんと熱い。悔しさは、たしかにあった。だが、不思議と嫌な負けではなかった。レックスもまた木剣を下ろし、真っ直ぐにアルシオを見た。勝者の顔をしているのに、その目の奥には浮かれた色はない。
「……大丈夫か」
低く問われ、アルシオは思わず笑ってしまった。
「大丈夫だよ。やっぱりレックスは強いね」
「言っただろ。真剣にいくって」
「うん」
頷いてから、アルシオは少しだけ目を細めた。
「ありがとう」
一瞬、レックスが言葉に詰まる。だがすぐに、少しだけ照れたように鼻を鳴らした。
「……手加減なんて、できるかよ」
その声は小さかったが、アルシオには十分聞こえた。二人は礼を交わし、闘技場を降りる。
観客席ではアエラがまだ息を整えきれないまま、二人の背を見ていた。勝ったのはレックス。けれど、負けたアルシオの横顔にも、敗北だけではない何かがあった。悔しさと、それでも真正面から戦えたことへの静かな熱。それが、胸の奥を妙にざわつかせる。
「……なんで、あんな清々しい顔出来るのかな」
小さく呟くと、ユフィーリアが隣でそっと頷いた。
「正々堂々と戦っておられたから・・・かしら」
ゲイルもまた、腕を組んだまま難しい顔で見つめていた。
「皇子も、すごいな」
ゲイルにしては、素直な感想であった。そこに皮肉めいた言葉は出なかった。
闘技場の向こうでは、すでに次の準備が始まっていた。




