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第三章-1 親睦競技会

 親睦競技会の当日、学園は朝から普段とは違う熱気に包まれていた。


 まだ空気に朝の涼しさが残る時刻だというのに、中央棟へ続く回廊には、すでに浮き立った声と足音が満ちている。競技用の軽装に身を包んだ者、応援に回る友人と連れ立っている者、いつもより早い足取りで実技場へ向かう者――その誰もが、今日という一日を待ち望んでいたのだと分かる表情をしていた。

 窓の外には、初夏の陽光が眩しく差していた。空は高く澄み、競技会にはこれ以上ないほどの好天だった。アルシオは、木剣袋を肩に提げたレックスと並んで歩いていた。


「朝から賑やかだな」


 前方の賑わいを見ながら、レックスがいかにも楽しそうに口元を上げる。


「皆、楽しみにしてたんだろうね」


「そりゃそうだろ。せっかくの競技会だぞ」


 レックスの歩幅は、いつもより気持ち大きい。口調こそ平静を装っているが、機嫌の良さは隠しきれていなかった。


「そんなに分かりやすく張り切らなくても」


「仕方ないだろ。俺はこういうの好きだし」


「そうだね」


 小さく笑って返すと、レックスは少しだけ得意そうに顎を上げた。


「アルシオこそ、昨日は遅くまで明かりが付いてたぞ。何してたんだ?」


「……調整だけだよ?」


「嘘つけ。前日までまた本読んでたんだろ」


 図星を刺され、アルシオはわずかに視線を逸らす。


 別に眠れなかったわけではない。ただ、競技会と聞いてから、胸の奥に小さな熱が灯っているのを自覚していた。木剣の感触ばかりが指に残っていたから、落ち着こうとして本を開いたのだ。

 そのとき、背後から弾んだ声が飛んできた。


「おはよう、皇子殿下!」


 振り返るより早く、アエラがこちらへ駆けてくる。今日はすでに馬術用の装いで、体に沿った濃紺の上着に細身の乗馬ズボン、長靴姿だった。いつもの制服とも舞踏会の華やかな装いとも違うのに、妙にしっくりきている。動きやすそうな格好のせいか、普段よりさらに風のような軽やかさがあった。


「おはよう、アエラ」


「おはよう。ふふ、今日は頑張ろうね」


 にっと笑ったあと、アエラはアルシオの肩から提げられた木剣袋へ視線を向けた。


「ねえ、緊張してる?」


「少しは」


「へえ。意外」


「君は?」


「してないわ」


「それはそれでどうなんだろう」


「だってとっても楽しみなんだもの」


 言い切る声音に迷いがない。馬の背に乗って風を切ることを思い浮かべているのか、その緑の瞳は朝の陽射しを受けてきらきらと輝いていた。

 後ろからユフィーリアとゲイルも歩いてくる。ユフィーリアはいつも通り穏やかな微笑を浮かべていたが、ゲイルは模擬剣の出場者らしく、少し肩をいからせていた。


「おはようございます、皇子殿下」


「おはよう、ユフィーリア。ゲイルも」


「……おはよう」


 ぶっきらぼうな返事ではあったが、前ほど露骨な刺々しさはない。そのことに気づいて、アルシオは少しだけ口元を緩めた。


「みんな、怪我には気をつけてね」


「それは貴方もでしょう?実際、皇子殿下とレックスってどっちが強いの?」


「さぁ、正式に試合したことないからね」


「え?そうなの?」


「鍛錬はいつも一緒だけど、力も速さもレックスの方がすごいよ」


「アルシオは、動きを読むのに長けてるからな。今日は容赦しないぜ」


 レックスが横で鼻を鳴らす。


「皇子殿下に怪我させないでね、レックス」


「俺がそんなへまをするか」


「うわ、すごい自信」


 そんな軽口を交わしながら一行が実技場へ向かうと、すでに観客席代わりの仮設台には多くの生徒が集まり始めていた。中央には簡易の闘技場が設けられ、その周囲には弓術の射場、さらに奥には馬場へ続く柵が見える。普段は鍛錬のための場所でしかない実技場が、今日だけは学園の中心そのものだった。


 やがて開会の合図とともに、生徒たちのざわめきが少しずつ静まっていく。教壇代わりの高台へ上がったのは、実技全般を統括する教官だった。簡潔な挨拶のあと、各競技の注意事項と進行が説明される。親睦を目的とした競技会であること、安全を最優先すること、ただし全力を尽くすことをためらう必要はないこと。


「では、各自持ち場へ。模擬剣出場者は第一闘技場前へ集まるように」


 名を呼ばれ、アルシオは木剣袋を握り直した。レックスもまた、先ほどまでの軽口を引っ込め、まっすぐ前を見ている。


「行こうか」


「ああ」


 模擬剣の出場者たちが集まる一角には、すでに肌を刺すような空気があった。互いを値踏みするような視線、軽く木剣を振って感触を確かめる者、無言で集中している者。その中で、ひときわ目立つ長身の姿がひとつあった。


 頭ひとつ分は抜けた背丈。鍛えられた堂々たる体格。赤毛の硬い髪が朝の陽を受けて鋭く光っている。目つきは鋭いのに、顔立ちは荒々しいというより精悍で、立っているだけで周囲の空気がわずかに張る。


 あのとき実技場で目が合った男だった。


 アルシオがその姿を認めたのと、相手がこちらへ視線を向けたのはほとんど同時だった。ほんの一瞬だけ目が合う。だがその男――ランスは、前回と同じように無言でわずかに頭を下げ、それ以上近づいてくることはなかった。


「……あいつか」


 低く呟いたのはレックスだった。


「知ってるの?」


「あれがガルデの公爵家の次男だそうだ」


「強そうだね」


「強いな。立ち方、足運び一つ見ても、武人のそれだ」


 そう言いながら、レックスの口元はどこか楽しそうだった。


 対戦表が掲示されると、すぐに模擬剣の第一試合が始まった。木剣が打ち合わされる乾いた音が、朝の空気を裂く。歓声とどよめきが上がり、勝敗が決まるたびに会場の熱は増していった。予想以上に、どの試合も見応えがある。第一期生とはいえ、ここに集まっているのは各国でそれなりの教育を受けてきた者たちなのだ。


 アルシオの初戦は、北方の侯爵家の子息だった。礼を交わし、向かい合う。相手はアルシオを見るなり、ほんのわずかに気圧されたような表情を見せたが、開始の合図と同時に迷いなく踏み込んできた。

 悪くない踏み込みだった。けれど、一直線すぎる。アルシオはその軌道を見切り、木剣をずらして受け流す。次の瞬間、崩れた体勢の脇へ素早く踏み込み、打ち込みを決めた。周囲から小さなどよめきが起こる。

 思っていたよりあっさり勝負はついた。だが、油断はしていなかった。勝っても胸の内は不思議なほど静かで、同時にどこかもっと先を見ている自分がいた。

 レックスの試合は、その直後だった。こちらは最初から観客の声が一段大きい。レックスは正面から堂々と打ち合い、相手を圧する。力任せではない。踏み込みも、受けも、打ち返しも素直で無駄がない。数合ののち、鮮やかに一本を取ると、歓声がひときわ強く上がった。

 その後も試合は進み、アルシオもレックスも危なげなく勝ち上がっていった。ゲイルもまた順当に二回戦を抜け、観客席からはアエラとユフィーリアの拍手が送られている。

 そして、ランスの試合。開始の合図から終わりまで、ほんの短い時間だった。無駄がない、などという言葉だけでは足りないほど、完成された動きだった。踏み込みは鋭いのに無理がなく、受けはぶれず、打ち込みは一切の躊躇がない。相手も決して弱くはなかったはずなのに、力量の差をまざまざと見せつけられるような勝ち方だった。


「……別格だな」


 どこかで誰かがそう呟いた。アルシオも、同じことを思っていた。やはり、ただ者ではない。試合が進み、ついに準決勝の組み合わせが発表される。


 第一試合――ランス・オルトリアン 対 ゲイル・セバイン。

 第二試合――アルシオ・セレスティア 対 レックス。


 掲示を見た瞬間、周囲の空気がざわりと揺れた。


「うわ……」


「皇子殿下と従者が当たるのか」


「よりによって準決勝で?」


 囁きはすぐに広がり、観客席からも驚きの声が混じる。レックスは対戦表を見上げたまま、ふっと息を吐いた。


「きたな」


「今更だけど、変に手を抜いたりしないでね」


 アルシオは真っ直ぐにレックスに鋭い目線を送る。


「僕も負けるつもりはさらさらないから」


「……当然真剣にいく」


 そこには、いつもの従者としての顔ではない。幼い頃から木剣を交え、並んで育ってきた乳兄弟としての、まっすぐな返答だった。

 観客席では、アエラが思わず息を呑んでいた。アルシオの様子は、いつもの静かさや穏やかさはない。凛と研ぎ澄まされた空気を纏っている。普段は一歩引いて見える彼が、この勝負だけは譲る気がないのだと、遠くからでもはっきり分かった。


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