第九章-1 令嬢たちの茶会
翌日の茶会は、王城の庭園に面した中規模のサロンで開かれた。主にアリーシャが主催する半公的な接遇の場である。昨夜の歓迎会とは違い、招かれているのは皇国の令嬢たちが中心だった。白い卓布の上には、季節の花を模した菓子と、繊細な白磁の茶器が並んでいる。窓の外には手入れの行き届いた庭園が広がっていた。雪をかぶった草木の間から、鮮やかな冬の花がのぞいている。陽光は雪に照り返され、やわらかな明るさとなって室内へ差し込んでいた。一見すれば、穏やかで華やかな午後だった。けれどアエラは、席へ着きながら胸の奥で静かに息を整えた。
昨夜とは違って、ここにアルシオはいない。女たちだけの場は、華やかに見えて、きっと昨日よりもずっと鋭い場所だ。アエラはそっと周囲を見る。クラリス・アルトハイムを筆頭に、皇国の名門令嬢たちが優雅な微笑みを浮かべて席に着いている。その中に、エレオノーラ・ヴァレンティスの姿もあった。淡い瑠璃色のドレスをまとったエレオノーラは、背筋を伸ばし、静かに茶器の前に座っている。控えめでありながら、その姿には皇国の令嬢らしい品があった。
上座に座したアリーシャが、穏やかに微笑む。
「今日は皆さん、集まってくれてありがとう。エストリアから、アエラマリーナさんが来てくださっているわ。せっかくの機会ですもの。皇国も学園に習って、他国に触れてみましょう」
アリーシャは一度、アエラへやわらかな視線を向ける。
「ここには殿方もいないことですし、気軽におしゃべりしましょう」
アリーシャの言葉に、アエラはその奥にあるものを感じ取っていた。場を整えてくれたけれど、アエラがこの場でどう立ち回るのか、見定めるつもりなのだ。アエラは膝の上でそっと指を重ね、微笑みを作った。
「お招きいただき、光栄です。アエラマリーナ・アルタイルと申します。皆様とお話しできることを、楽しみにしておりました」
そう答えると、令嬢たちの視線が一斉に集まる。好奇、品定め、そして昨夜から続くわずかな敵意を感じた。その中で、クラリスが優雅に扇を閉じた。
「わたくしも、今日をとても楽しみにしておりましたのよ」
柔らかな声音だった。
「ぜひ、エストリアや、学園でのお話をお聞かせくださいませ」
「ええ。わたくしたち、共和国の文化にはあまり馴染みがありませんの」
「学園では、実際どのように過ごされているのです?」
「皇国とは随分違うのでしょうね」
周囲の令嬢たちも、穏やかに言葉を重ねる。アエラは笑顔で答えた。
「学園は、とても自由な場所ですわ。もちろん規律はありますけれど、国や身分だけでなく、一人の学生として接することを大切にしています」
「まあ」
クラリスが感心したように目を丸くする。
「では、平民の方とも同じ教室で学ばれるのですか?」
「ええ。推薦を受けた者であれば、身分に関わらず学ぶ機会があります」
「不思議ですわね」
扇の奥で、小さく笑う。
「皇国では、なかなか考えにくいことですもの」
「けれど、だからこそ学べることも多いですわ。違う立場の考え方を知る機会は、きっと無駄にはなりません」
クラリスは頷きながらも、その瞳はどこか探るようだった。
「エストリアらしい考え方ですのね。自由で、開かれていて」
その“自由”という言葉が、ほんの少しだけ浅く聞こえる。これは褒められているわけではない。アエラは笑顔を崩さない。ここで反応してはいけない。アリーシャは上座で静かに茶を飲んでいる。止める気はないようだ。
「アエラマリーナ様は、学園ではアルシオ殿下のご学友なのでしょう?」
クラリスが、何気ない調子で続けた。周囲の空気がわずかに変わる。
「殿下は、学園ではどのようにお過ごしなのですか?」
興味深そうな声音だった。けれど、その実は探られている。第一皇子としてのアルシオの姿を、アエラとの距離を、――そしてアルシオがどれほど彼女へ心を許しているのかを。アエラはティーカップを静かに置いた。
「とても真面目な方ですわ。ですが、思っていたよりずっと親しみやすい方でもあります」
その答えに、何人かの令嬢が目を瞬かせた。
「親しみやすい、ですか?」
「ええ。学園では皆で議論をしたり、図書館で本を読んだり……あとは、生徒会の仕事を共に務めております」
「生徒会まで?」
別の令嬢が驚いたように声を上げる。
「殿下ほどのお立場のお方が、そこまでなさるのですか」
「アルシオ殿下は、一つ一つの仕事に真摯に向き合ってくださいます」
自然に言いながら、アエラはかすかに胸の奥が温かくなるのを感じた。わずかに表情が緩んでしまったのか、クラリスは微笑んだ。
「学園では随分親しくしておられるのですね」
柔らかい言葉だが、その奥には確かに棘がある。
「皇国では、殿下ほどのお方へそこまで気安く接する女性は、あまりおりませんもの」
アエラは、真正面からその視線を受け止めた。
「学園では、立場だけでなく、一人の学生として向き合うことが大切にされていますから」
「まあ」
クラリスは優雅に微笑む。
「では、殿下も学園では“普通の学生”として過ごしていらっしゃるのですね」
その言葉に含まれた違和感を、アエラは聞き逃さなかった。第一皇子が一人の学生として過ごすのに、なんの問題があるのか。まるで皇国での姿とは別物だと言いたげな。けれどアエラは、静かに首を振った。
「いいえ」
室内がわずかに静まる。
「アルシオ殿下は、どこにいてもアルシオ殿下ですわ」
アエラは穏やかに続けた。
「責任感があって、周囲をよく見ていて、ご自分より先に他人を気遣ってしまう方です。学園でも、それは変わりません」
クラリスの笑みが、ほんの少しだけ揺れる。
「ただ、学園では皆が殿下を第一皇子だからではなく、一人の人として見ています」
静かに、だが確かに返していた。立場だけを見ているのは、そちらではないのですか、と。クラリスは扇を少しだけ開いた。
「そうですの。ところで、アエラマリーナ様は生徒会にも入っておられるのですか?」
「ええ」
アエラは頷く。
「生徒会長を務めております。アルシオ殿下は副会長として、わたくしを支えてくださっています」
その瞬間。ざわり、と空気が揺れた。
「まあ……」
「殿下が、副会長……?」
「アエラマリーナ様が、会長職を……?」
戸惑いと、信じ難そうな色。クラリスはすぐに微笑みを作り直した。
「……さすがですわ。アエラマリーナ様は、とても優秀でいらっしゃるのですね」
「わたくしには到底無理ですわ」
別の令嬢が、扇を口元へ当てながら笑う。
「殿方を差し置いて前へ出るなんて」
くすくす、と小さな笑い声が重なった。アエラは言葉を失った。――この人たちは、本気で言っているのか。ここには女皇アリーシャがいる。皇国を統べる女性が、上座に座っている。それなのに女が前へ出ることそのものを、どこか異質なものとして笑っている。アエラは、思わずアリーシャへ視線を向けた。けれどアリーシャは、静かに茶を飲んでいるだけだった。ただ、アエラがここでどう返すのかを見ている。胸の奥が、少しだけ熱くなる。女皇として国を背負い、ここに座っているアリーシャへ向けられた無理解への怒りが込み上げてくる。けれど、アエラは感情をそのまま出さなかった。代わりに、ゆっくりと微笑む。
「学園では、立場に関わらず、適性を重視しております。わたくしが会長になったのも、アルシオ殿下が副会長になったのも、それぞれが最も適していると判断されたからです」
令嬢たちの笑みが、わずかに止まる。
「それに、前へ立つ者だけが全てではありませんわ」
翠の瞳が、静かに卓を見渡す。
「殿下が支えてくださるからこそ、わたくしは会長職を全うできているのです」
室内の空気が、ほんのわずかに変わった。それは単なる学園の話ではなく、女皇アリーシャと、その隣に立つ王配ルーク――前へ立つ者と、それを支える者。どちらが上でも下でもなく、互いが必要だからこそ成り立っている、今のセレスティア皇国そのものの在り方である。アエラは、それを理解した上で口にしている。アリーシャの紫の瞳が、静かに細められた。先ほどまで笑っていた令嬢たちも、それに気づいたのだろう。気まずそうに口をつぐんでいる。クラリスだけが、なおも微笑みを保っていた。
「まあ……ずいぶん殿下を信頼していらっしゃるのですね」
「ええ」
アエラは迷わず頷いた。
「とても」
その即答に、クラリスの方が言葉を失う。けれど、その言葉を否定することは、この国の在り方そのものを否定することになる。だから誰も、軽々しく笑えなかった。静かな空気が卓を包んでいた。
「……アエラマリーナ様は、本当に聡明でいらっしゃるのですね」
その声音は穏やかだった。けれどアエラは、気を抜かなかった。
「アルタイル閣下が大切に育てられたのでしょうね」
「父には、多くを学ばせてもらいました」
「まあ、素敵ですわ」
クラリスは小さく微笑む。
「では、お母様もきっと、とても優秀なお方だったのでしょう?」
一瞬だけアエラの呼吸が止まった。けれど、努めて表情は崩さず答えた。
「母は、幼い頃に亡くなっております」
卓にわずかな沈黙が落ちた。
「あら……それは失礼いたしました」
クラリスはそう言った。だが、すぐに続ける。
「ご病気でしたの?」
アエラは答えない。静かにティーカップへ視線を落とす。
「……昔のことですので」
それだけ返した。察してくれたら、この話題は終わる。けれどクラリスは、なおも微笑みを崩さなかった。
「まあ。でも気になりますわ。アルタイル閣下の奥方様ですもの。きっと有名な方だったのでしょう?」
「共和国では、どのような方だったのです?」
「アエラマリーナ様は、お母様に似ていらっしゃるのかしら」
アエラが答えられないのをいいことに、次々に言葉を投げかける。アエラの肩が強張った。答えたくない。母のことを、この場で語りたくない。あの日のことも、きつく抱かれた腕の感触も、思い出したくない。胸の奥が冷えていくのを感じるが、ここで感情を乱せば、また異国の娘は感情的だと言われるだろう。アエラは唇を引き結ぶ。上座でアリーシャが静かにカップを置いた。口を開こうとした、その時だった。
「……そこまでになさってくださいませ」
凛とした声が落ちた。視線を向ければ、エレオノーラが静かにクラリスを見ていた。
「語りたくないことなど、誰にでもございます」
その藍色の瞳は穏やかだった。けれど、はっきりとした芯がある。
「相手が口を閉ざした時点で、察するのが礼ではありませんか」
クラリスの笑みが、ほんのわずかに固まる。
「わたくしは、ただ親しみを込めて――」
「ならばなおさらです」
エレオノーラは静かに言った。
「親しみとは、相手の痛みに踏み込むことではございませんわ」
強い声ではなかった。けれど、逃げ場のない言葉だった。卓の上に、重い沈黙が落ちる。アエラは思わずエレオノーラを見た。エレオノーラはこちらを見返さなかった。静かに、クラリスへ向き合っている。その横顔に、アエラは初めて、彼女の強さを見た気がした。
「……申し訳ございません。エレオノーラ様」
クラリスは小さく頭を下げた。その態度には、先ほどまでとは違う硬さがあった。アエラは気づく。この場の令嬢たちは、エレオノーラに一目置いている。それは家格だけではない。立ち居振る舞いや皇国の作法。そして、長く“第一皇子妃候補”として見られてきた積み重ね。クラリスにとって、エレオノーラは軽々しく逆らえる相手ではないのだ。
「謝罪はわたくしではなく、アエラマリーナ様に」
クラリスは唇を引き結んだが、気落ちした様子でアエラへと向き直った。
「アエラマリーナ様、どうかお許しください。失礼を申しました」
「……謝罪を受け入れます。母のことは、今はまだ語るのがつらいのです」
話題は一度、当たり障りのないものへ移った。クラリスもしばらくは静かにお茶を飲んでいたが、やがて何気ない様子でカップを置いた。




