第八章-1 冬の帰郷
生徒会での仕事もひと段落し、ソルフラン国際学園は冬期休暇へ入った。
アルシオはエクシオ、レックス、フェリオらと共に、皇国へ向かう馬車へ乗っていた。窓の外には、冬枯れの街道が静かに流れていく。エストリアの冬は比較的穏やかだが、皇国へ近づくにつれ、空気は少しずつ澄み、冷たさを増していった。
アエラには、すでにユリウスからの返書の内容を伝えてある。冬期休暇に合わせ、ユリウス本人がアエラを伴って皇国を訪れること。その時に、正式に婚約の申し出を行いたいことも伝えた。驚いてはいたけれど、アエラは逃げなかった。
『……分かったわ。心づもりもしておくわね』
そう答えた時の、少しだけ緊張した顔を、アルシオはまだ覚えている。馬車の中では、久しぶりの帰郷に、自然と会話も弾んでいた。エクシオが明るい声で言う。
「ルナーリア、絶対寂しがってるよね。今年は兄様も僕もいなかったんだし」
「手紙、いっぱい来てたな……」
レックスが呆れたように返した。きっと、王城では今か今かと待っているだろう。その光景が目に浮かんで、アルシオは小さく笑う。
「ルナにとっては、去年以上に寂しい思いをさせたね」
エクシオは少し笑った。
「そうですね。でも、僕もさみしかったです。フェリオや兄様もレックスも一緒でしたけど、やっぱり帰れると思うとほっとします」
「素直だな」
レックスが言うと、エクシオは少し胸を張る。
「家族が恋しいのは、悪いことじゃないでしょう」
「まあな」
レックスは短く返し、窓の外へ視線を向けた。アルシオは、その横顔を少しだけ見る。レックスもまた、久しぶりに両親に会うのだ。口には出さないけれど、王城に戻れば、母であるアンナや父であるエリアスに顔を見せに行くのだろう。
フェリオは向かいの席で穏やかに微笑んでいる。エクシオが王城の話をするたび、相槌を打ちながら、その表情はどこか柔らかかった。
和やかな空気の中で、アルシオはふと窓の外へ視線を向けた。皇国へ帰れば、母と父へ話をしなければならない。いつ伝えるべきか。考えれば考えるほど、胸の奥が落ち着かない。
「……兄様?」
エクシオの声に、アルシオは顔を上げた。
「緊張してます?」
「少しね」
隠さず答えると、エクシオはふっと笑った。
「きっと大丈夫ですよ」
その言葉へ、アルシオも小さく笑みを返した。
「ありがとう」
やがて、馬車は皇都へ入った。見慣れた白い城壁と、冬空の下に広がるセレスティア皇城。その姿が近づくにつれ、胸の奥に帰郷の実感が広がっていく。王城の正門をくぐり、馬車が中庭へ到着する。扉が開かれると、冷たい冬の空気が流れ込んだ。
「アルシオ皇子殿下、エクシオ皇子殿下。ご到着にございます」
侍従の声が、静かな中庭へ響いた。正面玄関の扉が開かれ、ドレスの裾を持ちながら、ルナーリアが駆けてくる。
「おかえりなさい! アルお兄様! エクお兄様!」
今年で十四になる妹は、皇女らしさを忘れてしまったかのように、息を切らしながら満面の笑みで出迎えてくれた。ここには侍従や近衛以外はいないため、声高に非難する者はいない。
アルシオはくすりと笑いながら、両手を開いてルナーリアを抱きとめた。柔らかな金の髪がふわりと揺れ、懐かしい香りが鼻孔をかすめる。
「――ただいま、ルナ。元気にしていた?」
「はい!元気です。でも、とっても寂しかったです」
ルナーリアはぎゅっとアルシオの背中に手を回し、胸元へ頭をこすりつける。
「ルナ、僕もいるんだけど……」
少し拗ねたようなエクシオの声に、ルナーリアははっと顔を上げた。
「もちろんです、エクお兄様!」
そう言うなり、今度はアルシオの腕から離れて、エクシオへ飛びつく。
「わっ」
エクシオは受け止めながら、少しよろめいた。けれどすぐに笑って、妹の背を軽く叩く。
「ただいま、ルナ」
「おかえりなさいませ、エクお兄様。エクお兄様まで学園へ行ってしまわれたから、今年は本当に静かだったのですよ」
「寂しかった?」
「とっても、とっても寂しかったです!」
ルナーリアは隠す気もなく頷いた。その素直さに、エクシオは困ったように笑う。
「僕も寂しかったよ」
「本当に?」
「……本当だよ」
「なら許します」
得意げにそう言うルナーリアに、アルシオは思わず笑みを零した。その様子を、玄関の奥から歩み寄ってきたアリーシャとルークも、穏やかに見つめていた。アリーシャの菫色の瞳には、母としての喜びが滲んでいる。ルークもまた、口元にわずかな笑みを浮かべていた。
けれど、アリーシャはすぐに軽く咳払いをする。
「ルナーリア」
「はい、お母様」
「もう少し淑女らしくなさい。あなたは皇女なのですよ」
やわらかな声ではあったが、ルナーリアははっとして、エクシオからそっと離れる。先ほどまでの笑顔が、少しだけしゅんと萎んだ。
「……申し訳ありません」
小さく頭を下げる妹を見て、アルシオは苦笑した。エクシオも何か言いたげだったが、ここで口を挟めば余計に叱られると分かっているのだろう。黙っている。
その時、ルークがアリーシャの横から、ごく自然な顔で言った。
「そうだぞ。母様も本当は抱きしめたいんだからな」
「ルークっ」
アリーシャが思わず横を見る。ルナーリアはぱっと顔を上げた。
「お母様も?」
その声には、さっきまでのしゅんとした色がもうほとんど残っていなかった。ルークは何事もないように頷く。
「ここには近衛も侍従もいるからな。後で部屋に戻ってからにしなさい」
「はい!」
ルナーリアの顔が、今度こそ花が咲いたように明るくなる。アリーシャは少しだけ頬を染め、困ったようにルークを見た。
「……余計なことを」
「事実だろう」
「そうですけれど」
二人のやり取りに、アルシオは胸の奥が温かくなるのを感じた。帰ってきたのだ。穏やかで、微笑ましくて、けれど確かに自分を待っていてくれる場所へ。
そう思った瞬間、これから告げなければならない言葉の重みもまた、静かに胸へ戻ってきた。アリーシャは改めてアルシオとエクシオを見つめる。
「おかえりなさい、アルシオ、エクシオ」
「「ただいま戻りました、母様」」
二人が礼を取ると、アリーシャはまずエクシオへ歩み寄り、その頬にそっと手を添えた。
「少し背が伸びましたね」
「本当ですか?」
「ええ。顔つきも、少し大人びました」
エクシオは嬉しそうに笑う。それからアリーシャは、アルシオへ向き直った。
「アルシオ」
「はい」
名を呼ばれただけで、胸の奥が少し引き締まる。
アリーシャはしばらく、息子の顔を見つめていた。黒い髪。茶色の瞳。皇族らしい色ではないと、かつて多くの者に囁かれたその面差し。けれど今、そこには以前とは違う静かな強さがあった。
「……元気そうで、安心しました」
そう言って、アリーシャはそっとアルシオの頬に触れた。母の手は温かかった。
「はい。母様も、お変わりなく」
「ええ」
微笑みながらも、アリーシャはまだ何かを見ている。先立って手紙では、話がしたいと告げているのだ。アルシオの表情を、いつも以上に見られていると感じた。
少し離れたところで、ルークが静かに立っていた。
「よく戻ったな」
「ただいま戻りました、父様」
アルシオが礼を取ると、ルークは小さく頷く。
「まずは、中に入ろう。体が冷えただろう」
「はい」
「今夜は、家族だけで夕食にしましょう。学園の話を、たくさん聞かせてくださいね」
その言葉に、ルナーリアがぱっと顔を輝かせる。
「はい! 私もたくさん聞きたいです」
アルシオは静かに微笑んだ。その夜の夕食は、王城の私的な食堂で用意された。家族だけの食卓とはいえ、皇族の食事である以上、控えの侍従たちは静かに壁際へ立っている。けれど公の晩餐とは違い、空気はずっと柔らかかった。ルナーリアは、食事が始まってからもずっと嬉しそうだった。
「それで、創設祭では兄様方も演舞に参加されたのでしょう?」
「うん。お互いの演舞を解説したね」
エクシオがそう答えると、ルナーリアは目を輝かせる。
「解説ですか? エクお兄様が?」
「そう。兄様とランス様の演舞をね。凄かったよ。槍相手に相打ちだもん」
「アルお兄様すごい!」
ルナーリアの視線が、ぱっとアルシオへ向く。
「そんなに大したことはしていないよ」
「いや。実際上手に槍を捌いていたぞ。相手も上手く槍を使っていたしな」
ルークが褒めてくれているのは、素直に嬉しい。思わず頬が熱くなった。アリーシャはその様子を微笑ましそうに眺めている。
「そういえば」
ルナーリアがふと思い出したように声を上げた。
「お父様から聞きましたけど、お兄様方は学園では『月の君』と『太陽の君』と呼ばれているそうですね!」
その瞬間、アルシオとエクシオがほとんど同時に咳き込んだ。
「……なにそれ?」
「は? 聞いたことないけど!?」
エクシオが思わず声を上げる。ルナーリアは不思議そうに首を傾げた。
「あら、ご存じなかったのですか?」
「知らないよ」
「僕も初めて聞いた」
二人が揃って困惑するのを見て、ルークが肩を震わせていた。明らかに笑いを堪えている。
「父様」
アルシオがゆっくりと視線を向ける。
「どこで聞いたんですか」
「創設祭の時だ」
ルークは涼しい顔で答えた。
「女子生徒たちが話していた」
「父様……」
「もの静かに優雅に立っている姿が、月の光の様に優しく見えるそうだ」
ルークの声は真面目だった。けれど、その目は明らかに笑っている。
「エクシオは明るく、誰にでも分け隔てなく接して、場を温かくするから太陽らしい」
「それを、父様はそのままルナーリアに話したんですか?」
「面白かったからな」
「面白がらないでください!」
エクシオが顔を赤くする。ルナーリアはそんな兄たちの様子など気にせず、両手を胸の前で組んだ。
「でも、まさしくお兄様方は月と太陽だわ。とても素敵です」
きらきらした瞳でそう言われ、アルシオは何も言えなくなった。エクシオも同じだった。恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、妹にそこまで無邪気に褒められてしまえば強く否定もできない。アリーシャがくすりと笑う。
「確かに、言い得て妙かもしれないわね」
「母様まで」
アルシオが困ったように言うと、アリーシャは穏やかに目を細めた。
「月も太陽も、どちらも人を照らすものですから」
その言葉に、アルシオは少しだけ黙った。何気ない家族の会話のはずなのに、胸の奥に静かに残る違和感。月は、太陽のように強く光を放つものではない。確かに、エクシオは春の陽だまりに似ている。誰にでも分け隔てなく光を注ぎ、そこにいるだけで周囲を温かくする。自然と人が集まり、そのそばでは誰もが少しだけ肩の力を抜ける。
だが、アルシオの中ではもう一人太陽を思わせる人がいる。アエラの明るさは、エクシオのそれとは違う。彼女は、初夏の陽射しを連れて吹き抜ける翠の風だ。瑞々しく、真っ直ぐで、立ち止まる者の背を押し、自分とともに前へ進ませていく。
エクシオが人の集まる陽だまりなら、アエラは進む者の背に吹く追い風なのだろう。二人は違う形で、アルシオの身近な世界を照らしてくれている。ふと、彼女の顔が頭をよぎり、アルシオは小さく微笑んだ。そのわずかな変化に、アリーシャの瞳が静かに向けられる。ルークもまた、何も言わずにアルシオを見ていた。
夕食は和やかに進んだ。ルナーリアは学園の話を聞きたがり、エクシオは創設祭の演舞や生徒会のことを楽しそうに話した。アルシオも必要なところで言葉を添えたが、胸の奥にはずっと、告げるべき言葉が沈んでいた。やがて食事が終わり、ルナーリアが名残惜しそうにしながらも侍女に促されて部屋へ戻る。
「アルお兄様、エクお兄様。後でまたお話を聞かせてくださいね」
「うん。明日、ゆっくりね」
「約束ですよ」
ルナーリアがそう言って去っていくと、食堂には静けさが戻った。




