第七章-2 踏み出す決意
一方、アルシオとレックスは男子寮への回廊を歩いていた。レックスは、しばらく黙って歩いていたが、やがて低く口を開いた。
「さて。想いが通じ合ったのはいいけど、これからが大変だな」
「そうだね」
アルシオは静かに頷いた。
「まずは、母様たちに婚約を認めてもらわないといけない」
「陛下たちは、ともかく……周囲は騒がしいだろうな」
レックスは小さく息を吐いた。
「なんたって、アエラだし」
その言い方に、アルシオは少しだけ笑った。
「そうだね」
否定はしなかった。アエラマリーナ・アルタイル。エストリア首相の娘で、誰よりも鮮やかに人の目を引く人だ。彼女が皇国へ来るとなれば、静かに済むはずがない。
――けれど
「でも、もう迷わないよ」
アルシオは前を向いた。
「僕がリーナを守るんだ」
その声は揺らがなかった。レックスは横目でアルシオを見た。いつもの穏やかな横顔、確かに覚悟を宿した目が前を見据えている。
「……なら、俺も手伝う」
レックスは言った。
「お前一人じゃ、絶対に抱え込むからな」
アルシオは少し驚いたように瞬き、それから柔らかく笑った。
「ありがとう、レックス」
「礼なんかいい。それが俺の役目だ」
夜の廊下に、二人の足音が静かに響いた。部屋に戻ると、上着を脱ぐ間もないうちに、扉が勢いよくノックされた。
「兄様!戻っておられますか!?」
聞き慣れた声に、アルシオは思わずレックスと顔を見合わせる。
「……早いね」
「絶対来ると思った」
レックスが呆れたように言う。アルシオが「どうぞ」と返すと、扉が開き、エクシオがぱっと顔を覗かせた。その後ろには、少し困ったように微笑むフェリオの姿もある。
「兄様!」
エクシオは部屋へ入るなり、アルシオの前まで駆け寄った。金の髪と紫の瞳が、隠しきれない嬉しさに輝いている。
「ついにアエラ先輩と想いが通じ合ったんですね!」
あまりにも真っ直ぐに言われて、アルシオは一瞬言葉に詰まった。横でレックスが肩を震わせる。
「やっぱりバレバレじゃねぇか」
「そんなに?」
「わかりますよ!兄様、見たことない優しい顔をしていました!」
エクシオはきっぱりと言い切った。アルシオは困ったように笑うしかない。フェリオも穏やかに一礼した。
「おめでとうございます、アルシオ殿下」
「ありがとう、フェリオ」
エクシオは本当に嬉しそうだった。まるで自分のことみたいに目を輝かせている。
「よかったです。本当に」
その声は、飾り気のないものだった。アルシオの胸が、じんわりと温かくなる。
「ありがとう、エクシオ」
そう返すと、エクシオはようやく少し落ち着いたように息を吐いた。けれど次の瞬間、その表情が少しだけ真面目なものへ変わる。
「でも、これからどうなさるのですか?」
皇国の第一皇子であるアルシオと、エストリア首相の娘であるアエラが結ばれるためには、女皇であるアリーシャの承認を得て、正式な婚約の手続きを踏む必要がある。そして当然、アエラの父であるユリウスにも、許しを乞わなければならないだろう。当人たちだけの気持ちで済ませる話ではない。
「母様や父様には、冬期休暇の時に直接僕から伝える。その前に手紙を出しておこうと思う」
「そうですね。それがいいと思います」
エクシオは静かに頷いた。
「できれば、母様にもアエラに会ってほしい。アエラを皇国に呼べたらいいけど」
アルシオがそう言うと、壁際に控えていたフェリオが、穏やかな声で口を開いた。
「ユリウス様にも、お会いされてはいかがでしょうか」
その言葉に、アルシオは顔を上げる。フェリオは出過ぎることなく、けれどはっきりと続けた。
「冬期休暇まで、さほど猶予はございません。ですが、アエラ様を望まれるのであれば、アルシオ殿下ご自身が、まずユリウス様へお許しを乞うのが筋かと存じます」
アルシオはしばらく黙っていた。やユリウス・アルタイル。エストリア共和国の首相であり、アエラの父だ。飄々としていながら、人の本質を見抜くような鋭さを持つ人だ。あの人に、アエラを皇国へ迎えたいと告げる。その重みを思うと、胸の奥が静かに引き締まる。
「……うん。その通りだ」
アルシオは頷いた。
「リーナを望むなら、僕は母様たちだけじゃなく、ユリウス様にも自分の言葉で伝えなければいけない」
レックスが小さく息を吐いた。
「一気に話が大きくなったな」
「でも、必要なことだ。今まで覚悟出来なかっただけで、大ごとなんだ」
アルシオは静かに返した。その目には、力が宿っていた。エクシオは兄を見つめ、少し嬉しそうに笑った。
「兄様なら、きちんと伝えられます」
「ありがとう」
アルシオは机へ視線を向けた。
「手紙を書こう。母様と父様へ。それから……ユリウス様にも」
*
その夜、アルシオは机へ向かっていた。暖炉の火が静かに揺れ、窓の外には冬の夜空が広がっている。部屋の中は静かだった。けれど、ペンを握る指先には、わずかな緊張が残っていた。
白い便箋へ、ゆっくりと言葉を綴っていく。
一通は、皇国へ。女皇アリーシャと、王配ルークへ宛てたものだった。冬期休暇で帰国した際に、二人へ大切なお話があると、簡潔な文面だけにした。けれど、その短い一文へ込められた意味を、母と父ならきっと理解する。アルシオは静かにペンを置いた。
そしてもう一通。宛先は、エストリア共和国首相、ユリウス・アルタイル。便箋を前にした瞬間、先ほどまでとは違う緊張が胸へ落ちる。アエラの父。そして、一国を背負う政治家。アルシオは小さく息を吐いてから、ゆっくりと書き始めた。
『ユリウス様――突然のお手紙をお許しください。冬期休暇の前に、一度お会いしてお話ししたいことがございます。お時間をいただけないでしょうか』
そこまで書いて、アルシオは一度手を止めた。窓の外では、雪こそ降っていないものの、冬の風が静かに枝を揺らしている。
あの庭園で、アエラは言ってくれた。
『わたしを選んで』
その言葉に応えたいと思った。ただ想いを交わしただけでは終わらせない。彼女を望むなら、自分の言葉で、その未来を求めなければならない。アルシオは便箋を丁寧に封へ収めた。蝋燭の火で封蝋を溶かし、皇国の紋章を静かに押す。もう、迷いはなかった。




