第4章-5 踏み込んだ足跡
ザンザスが壇上で一礼する。
「以上をもちまして、本日の実技演舞は終了となります」
場内に、再び拍手が起こった。
「本日は、剣と槍による対演舞、ならびに模擬剣による対演舞をご覧いただきました。勝敗を競うものではありませんが、それぞれの技と個性、そして日頃の鍛錬の一端をご覧いただけたかと存じます」
そこでザンザスは、来賓席へ視線を向けた。
「最後に、剣の腕前でも名高いセレスティア皇国王配、ルーク・アリスター・セレスティア殿下より、お言葉を頂戴できればと存じます」
その瞬間、演舞場の空気がわずかに変わった。ルーク・アリスター・セレスティア。王配として女皇を支える男。かつて皇国の要職者や騎士たちとも剣を交え、その腕を知られている男。政治の場では静かに一歩引いていることが多いが、剣においても、戦場を見る目においても、決して軽く見られる存在ではなかった。
突然名を呼ばれた形ではあったが、ルークは表情を変えなかった。隣のユリウスが、どこか楽しげに目を細める。
「ぜひ、お聞きしたいですね」
ルークは短く息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。それだけで、場内のざわめきが静まっていく。
「まずは、演舞に参加した四名に労いを」
ルークの声は低く、よく通った。
「見事だった」
演舞場に立つエクシオとレックスが、揃って背筋を伸ばす。解説席のアルシオも、わずかに目を伏せた。ランスは静かに一礼する。
「一つ目の演舞では、剣と槍という異なる得物の間合いがよく示されていた。槍は強い。間合いを支配し、相手を近づけさせない。その利を、ランス・オルトリアンは十分に活かしていた」
「だが、強い得物を持てば勝てるというものではない。相手の踏み込み、重心、呼吸を見極め、懐へ入る。その一瞬を逃さなかったアルシオの判断もまた、見事だった」
ランスは少し誇らしそうな表情を浮かべ、アルシオの胸が、わずかに鳴った。父の言葉は、甘くない。だからこそ、認められたときの重みがある。
「二つ目の演舞では、勢いと力がよく出ていた」
ルークの視線が、今度はエクシオとレックスへ向けられる。
「エクシオ。お前の剣は、真っ直ぐだ。勢いがあり、迷いが少ない。それは長所だ」
「はい!」
エクシオは思わず大きな声で返事をした。すぐに我に返り、少し頬を赤くする。観覧席のあちこちから、小さな笑いが漏れた。ルークの口元にも、ほんのわずかに笑みが浮かぶ。
「だが、前へ出る力が強い分、相手に利用されることもある。最後に踏み込んだ一手は悪くなかった。だが、レックスはそれを待っていた」
エクシオは唇を結び、それでもまっすぐ頷いた。
「はい」
ルークは続ける。
「レックス。お前の剣は実直で、間合いが厚いな。受ける時も、押す時も、土台が崩れない。だから剣が重い」
レックスは一瞬だけ目を見開いた。普段、褒められることに慣れていないのだろう。すぐに表情を引き締め、深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ただし、重い剣は、時に読まれやすい。相手が力を外してきたとき、どう繋げるか。そこを学べば、さらに伸びる」
「はい」
レックスの返事は短い。だが、いつになく真剣だった。ルークは四人を見渡した。
「剣は、ただ相手を倒すためだけのものではない」
その言葉に、場内が静まる。
「相手を知るものでもある。どこで踏み込むのか。どこで退くのか。何を恐れ、何を譲らないのか。剣を交えれば、その者の一端が見える」
ルークの視線が、演舞場から観覧席へ、そして学園の生徒たちへと移る。
「今日の演舞では、それがよく見えた。ランス・オルトリアンの胆力。アルシオの見極め。エクシオの真っ直ぐさ。レックスの揺るがなさ。そして、それぞれが相手を侮らなかった。だからこそ、良い演舞になったのだと思う」
ルークは一度言葉を切った。
「この学園の理念は、互いを知り、理解し、交流を深めることだと聞いている」
その声は、決して大きくはない。けれど、演舞場の隅々まで届いていた。
「剣を交えることもまた、相手を知る手段の一つだ。国が違っても、立場が違っても、向き合うことで見えるものがある。今日の演舞は、その意味でも、この学園にふさわしいものだった」
隣で、ユリウスが、静かに頷いていた。この学園を作った者として、確かに満足げな表情だった。ルークは最後に、演舞場の四人へ向き直る。
「よく鍛え、よく学べ。今の一太刀が、いつか誰かを守る力になる」
そして、静かに一礼した。
「以上だ」
演舞場全体から大きな拍手が起こった。解説席で、アルシオは父を見つめていた。剣は、相手を知るもの。その言葉が、胸の奥に残っている。ランスが隣で静かに言った。
「王配殿下、さすがですね。よく見ておられる」
「うん」
アルシオは小さく頷く。
「父上らしい」
そう言った声には、誇らしさが滲んでいた。演舞が終わると、場内の熱は少しずつほどけていった。
係の生徒たちが砂をならし、使い終えた模擬剣や槍を片づけていく。観覧席では、来賓たちが互いに感想を交わしながら立ち上がり始めていた。拍手の余韻はまだ空気の中に残っている。けれど、先ほどまで張り詰めていた剣戟の気配は、もう日常のざわめきへと戻りつつあった。アルシオは解説席から立ち上がり、そっと掌を開いた。まだ、手の中に剣の感触が残っている。ランスの槍を受けた重さ。踏み込んだ時の砂の沈み方。懐へ入る直前、世界がほんの一瞬だけ細くなるような感覚。
身体は疲れていた。けれど、不思議と頭は澄んでいた。剣を握っている間だけは、余計なことを考えずにいられた。目の前の相手を見て、呼吸を読んで、足を見て、自分の剣をどこへ置くかを考える。その一つ一つに集中していると、胸の奥に積もっていたものが、少しだけ遠ざかる。
「アルシオ殿下」
声をかけられ、アルシオは顔を上げた。来賓席の方から、ユリウス・アルタイルが歩み寄ってくる。柔らかな笑みを浮かべているが、その瞳はいつものように、人の奥を静かに見ている目だった。
「見事な演舞でした」
アルシオは姿勢を正し、一礼する。
「ありがとうございます。ランスの機転のおかげです」
「君は本当に、相手を立てるね」
ユリウスは小さく笑った。
「けれど、今日の演舞を見ていた者たちは、ランス君の見せ方だけを覚えて帰るわけではないよ」
その言葉に、アルシオはわずかに目を上げる。
「君が、必要な時には踏み込める人間だということも見た」
柔らかな声だった。だが、その言葉は胸に重く落ちた。剣を振ったことで少し軽くなったはずの胸の奥に、また違う重さが戻ってくる。
「……演舞ですから」
アルシオは静かに答えた。
「勝負ではありません。ランスも、見せるために場を作ってくれました」
「そうだね」
ユリウスは頷く。
「だが、演舞だからこそ、よく見えるものもある。取り繕うための言葉がない分、剣は時に、その人間の本質に近いところを見せてしまう」
アルシオは黙った。否定できなかった。あの時、自分は確かに踏み込んだ。槍の間合いの内側へ。危うい一瞬へ。逃げるのではなく、待って、見て、選んで、自分から前へ出た。
「僕は、ただ剣を振っただけです」
ユリウスは穏やかに言った。
「だが、見る者はそこに意味を見つける。強さ。資質。将来性。あるいは、自分の望みを重ねることもある」
その時、遠くでアエラの声が聞こえた。
「そっちは後でいいわ! 先に来賓席側の通路を空けて! まだ人が残っているでしょう!」
相変わらず、少し強引で、よく通る声だった。アルシオは自然とそちらを見てしまう。アエラは運営席の方で、生徒たちへ次々に指示を出していた。明るく、忙しなく、迷っている暇などないように動いている。けれど、ふと顔を上げた彼女と目が合った。本当に、わずかな間だった。アエラの緑の瞳が揺れたように見えた。いつものように笑うかと思った。軽口を投げるように顎を上げるかと思った。だが、その時の彼女は、ほんの少しだけ迷った顔をしていた。
アルシオは、胸の奥が静かに詰まるのを感じた。彼女もまた、演舞でのアルシオを見たのだ。穏やかな皇子としてではなく。誰かの後ろに静かに立つだけの人間としてでもなく。踏み込める者として。何かを選べる者として。アエラはすぐに視線を外し、また運営へ戻った。けれど、その一瞬はアルシオの中に残った。それが、アエラの気持ちなのだと。
「……ユリウス殿」
「うん」
「僕は、どう見えているのでしょうか」
尋ねてから、アルシオは自分でも驚いた。本当は、聞きたくなかったのかもしれない。けれど、聞かずにはいられなかった。ユリウスはしばらく黙っていた。そして、少しだけ困ったように笑った。
「私にとっては、娘が気にしている少年だよ」
アルシオは思わず目を見開いた。けれど、ユリウスはその反応をからかうでもなく、穏やかな声のまま続けた。
「同時に、皇国の第一皇子でもある。聡明で、慎重で、けれど必要な時には前へ出られる。そういう人間に見えた」
アルシオは、すぐには言葉を返せなかった。
「君は、ルーク殿の色を濃く継いでいる。だから、弟君とは否応なく比べられるだろうね」
その言葉に、胸の奥がわずかに強張る。金の髪と紫の瞳を持つエクシオ。皇国の王家らしい色を持つ弟。そして、黒髪と赤みを帯びた茶の瞳を持つ自分。それは、幼い頃からずっと、言葉にされずとも向けられてきた視線だった。
「人は、分かりやすいものに意味を見つけたがる。血筋にも、色にも、立ち姿にもね」
ユリウスの声は優しかった。けれど、優しいだけではなかった。
「けれど、今日の演舞を見た者は、君の統治者としての資質を簡単には疑えない。慎重に見極め、必要な時には踏み込める。君自身が、それを証明してしまったからね」
証明してしまった。その言い方が、妙に胸に残った。褒められているはずだった。けれど同時に、どこか逃げ場を失ったような気もした。
「だから、あとは君自身だ」
ユリウスは静かに言う。
「君がどう玉座に向き合いたいのか。誰の隣に立ちたいのか」
アルシオの指先が、わずかに動いた。先ほど、そらされた視線、アエラの顔が浮かぶ。
「そこが定まれば、周りはもう、そう易々とは口を挟めなくなる」
ユリウスは微笑んでいた。だが、その言葉は決して軽くなかった。アルシオは、ならされていく演舞場の砂へ視線を落とした。剣を握っている間だけは、余計なものを忘れていられた。逃げていたわけではない。ただ、目の前の相手を見て、自分の足で踏み込み、自分の剣を届かせることだけを考えていられた。けれど、剣を置けば、また戻ってくる。
アエラのこと。エレオノーラのこと。オーガストが向けてきた、皇国貴族としての期待。弟と比べられる自分。父に認められて嬉しかった自分。そして、今日の一歩を見られてしまった自分。どれも、なかったことにはできない。
「……僕は」
言いかけて、アルシオは言葉を止めた。何を言えばいいのか、まだ分からなかった。ユリウスはそれ以上、答えを急かさなかった。
「迷えるうちは、迷うといいよ」
そう言って、彼はいつもの柔らかな笑みに戻った。
「ただし、君が思っているほど、その時間は長くないかもしれないけれどね」
その言葉だけを残して、ユリウスは静かに歩き出した。アルシオは、しばらくその背を見送っていた。演舞場の砂は、係の生徒たちによって少しずつ平らにならされていく。自分が踏み込んだ足跡も、ランスの槍が削った跡も、エクシオとレックスが駆けた跡も、やがてすべて消えていく。
けれど――踏み込んだことだけは、消えなかった。




