第4章-4 受け継がれるもの
「続きまして、第二演目に移ります。次は、セレスティア皇国第二皇子、エクシオ・セレスティア殿下と、レックス・フェルナーによる模擬剣の対演舞です」
その名が告げられた瞬間、解説席のエクシオがぱっと顔を上げた。今まで兄を見ていた紫の瞳が、今度は自分の番だとばかりに輝く。隣のレックスは、静かに立ち上がった。
「なお、準備のため、しばしお待ちください」
ザンザスの声に合わせ、係の生徒たちが演舞場の砂をならし始める。槍の扱いで削られた跡や、二人の足が深く踏み込んだ場所を整え、次の模擬剣に備えるためだった。
その間に、アルシオとランスは解説席へと向かった。すれ違うように、エクシオとレックスが控えへ下がる。
「兄様!」
エクシオは立ち去る直前、堪えきれないようにアルシオへ駆け寄った。
「素晴らしかったです!」
「ありがとう。次は君の番だね」
アルシオが微笑むと、エクシオは大きく頷く。
「はい! 兄様に恥じないように頑張ります!」
「気負いすぎないようにね」
「大丈夫です!」
その返事は、少しも大丈夫そうには聞こえなかった。アルシオは苦笑する。レックスが横から低く言った。
「エクシオ殿下、そろそろ行きますよ」
「分かってるよ。レックス、手加減は不要だからね」
「するつもりはありません」
そのやり取りに、ランスが面白そうに目を細めた。
「次も見応えがありそうですね」
「うん。たぶん、かなり騒がしいと思う」
アルシオはそう言って、解説席へ向かった。一方、来賓席ではまだ先ほどの余韻が残っていた。ユリウスは楽しげに拍手を終え、隣に座るルークへ視線を向ける。
「お見事でした。アルシオ殿下は静かな方ですが、あのような一面もあるのですね」
「ええ」
ルークは短く答えた。その声音はいつも通り落ち着いていたが、父としての誇らしさは隠しきれていなかった。視線は、まだ演舞場から戻る息子の背を追っている。
その時だった。
「王配殿下」
控えめな声がかかる。ルークが視線を向けると、そこに一人の青年が立っていた。蜂蜜色の髪をきちんと整え、礼装にも無駄がない。物腰は柔らかいが、背筋の伸びた姿勢には、皇国貴族らしい硬質な品位があった。
「ご挨拶が遅れました。ヴァレンティス侯爵家が嫡男、オーガスト・ヴァレンティスにございます」
「ヴァレンティス侯爵のご子息か」
ルークは、穏やかな笑みを返して応じる。
「来ていたのだな」
「はい。父の名代として参列させていただいております。妹がこちらの学園でお世話になっておりますので、創設祭にはぜひ伺いたかったのです」
「エレオノーラ嬢か」
「はい」
オーガストは丁寧に頷いた。
「妹から、学園での殿下方のご様子は少し聞き及んでおります。先日もお茶をご一緒して頂いたとかで、妹も大変喜んでおりました」
その視線が、演舞場の方へ向けられる。
「それに、アルシオ殿下はまことにご立派でいらっしゃいますね」
言葉だけを取れば、何の問題もない賛辞だった。けれど、その声音にはただの感嘆以上のものがあった。皇国貴族として、未来の主君を見定めるような響き。あるいは、自国にとってどれほど価値ある存在かを、改めて確認した者の声だった。ルークは静かに目を細めた。
「そう言ってもらえるのはありがたい」
「先ほどの踏み込みは、お見事でした。静かに機を待ち、必要な時に迷わず前へ出る。若くして、すでに王配殿下から受け継ぐ剣の腕と、ご自身の間合いをお持ちでいらっしゃる」
「……よく見ているな」
「皇国の未来に関わるお方ですので」
ルークは答えなかった。ただの賞賛と取るには、少し重い言葉でもあった。その沈黙の中へ、ちょうどアルシオが戻ってきた。
「父上」
演舞を終えたばかりのアルシオは、まだ少し頬が上気していた。額にかかった黒髪はわずかに乱れている。けれど、その立ち姿は崩れていない。
「戻りました。次の解説に入ります」
「ああ。よくやった」
ルークが静かに言う。その短い一言に、アルシオはほんの少しだけ表情を和らげた。
「ありがとうございます」
そのやり取りを見ていたオーガストが、改めてアルシオへ向き直る。
「アルシオ殿下。お初お目にかかります。エレオノーラの兄、オーガスト・ヴァレンティスと申します。先ほどの演舞、見事でございました」
アルシオはすぐに姿勢を整え、礼を返した。
「ありがとうございます。楽しんで頂ければ幸いです。ランスが槍を選んでくれたので、思いのほか見応えのある演舞がご覧いただけたと思います」
「ご謙遜を」
「いえ。彼は見せ方が上手いので」
穏やかに返すアルシオの言葉に、オーガストはわずかに目を細めた。
「相手を立てることもお忘れにならない。ますます頼もしいお方だ」
アルシオは、その言葉の奥にあるものを感じ取ったのか、すぐには答えなかった。それから、柔らかく微笑む。
「――まだ学ぶことばかりです。ここは、それを知るために学園に来たのですから」
ルークの視線が、わずかに息子へ向く。オーガストもまた、静かにその返答を受け止めた。
「殿下らしいお答えです」
その声には、感心と同時に、どこか測りきれなかったものへの慎重さが滲んでいた。そこへ、ザンザスの声が響く。
「準備が整いました」
アルシオは一礼し、解説席へ向かった。ランスはすでに席についており、どこか楽しげに演舞場を見ている。つい先ほどまで演舞場の中央で剣と槍を交えていた二人が、今度は並んで席につく。その光景だけでも、観覧席の関心を引くには十分だった。ザンザスは二人へ視線を向け、一礼した。
「では、第二演目は、先ほど熱い演舞を見せていただいたアルシオ・セレスティア殿下と、ランス・オルトリアンに解説をお願いします」
「よろしくお願いします」
アルシオが穏やかに答える。
「承りました」
ランスも短く応じた。ザンザスは続ける。
「第二演目は、エクシオ・セレスティア殿下と、レックス・フェルナーによる模擬剣の対演舞です。まずは、お二人から見て、エクシオ殿下の剣、レックス・フェルナーの剣はいかがでしょうか」
問われて、アルシオは少しだけ考えた。演舞場の端では、エクシオとレックスがそれぞれ模擬剣を受け取り、軽く素振りをしている。エクシオは金の髪を揺らしながら、待ちきれない様子で足元を確かめていた。対するレックスは、無駄口を叩かず、剣を握る手の感触を確認している。
「エクシオの剣は、素直です。癖が少なくて、真っ直ぐに伸びる。父上から基礎を丁寧に教わってきたから、構えも崩れにくいです」
そこまで言って、わずかに微笑む。
「ただ、勢いがある分、気持ちが乗ると前に出すぎるところがあります」
その言葉に、観覧席の一部から小さな笑いが漏れた。エクシオをよく知る者には、納得のいく言葉であったらしい。
「では、感情が動きやすい剣、ということでしょうか」
ザンザスが問う。
「はい。良くも悪くも、気持ちが剣に出ます。だから、勢いに乗った時はとても鋭い。でも、相手に読まれると、そこを使われることもある」
アルシオの声には、兄としての親しみと、冷静な観察が同時にあった。続いて、ランスがレックスへ視線を向ける。
「レックスの剣は、実直で強いですね」
その言い方に、アルシオが少しだけ口元を緩める。
「へぇ」
「勢い、力、そして足腰の強さ。正面から受けると、かなり重い」
ランスは、自分が以前対峙した時の感触を思い出すように、わずかに目を細めた。
「ただ力任せではありません。土台と基礎がしっかりしたうえに、一撃が鋭い。そうかと思えば、たまに奇をてらった技をだしてきます」
ザンザスが頷く。
「昨年の親睦競技会では、ランスはレックス・フェルナーに模擬剣の部で負けていますね」
「はい。あの時も、こちらが少しでも受け方を誤れば、そのまま押し切られる感覚がありました」
ランスは淡々と言ったが、その言葉には確かな評価が含まれていた。
「彼の厄介なところは、踏み込んだ後に体勢がぶれにくいことです。普通は強く打ち込めば、その分だけ隙も生まれる。けれどレックスは、足元が崩れにくい。だから、次の一撃へ移るのが早い」
アルシオも小さく頷いた。
「レックスは昔から、僕たちの中で一番体が強かったからね。押し合いになると、簡単には負けない」
「では、今回の見どころは、エクシオ殿下の速さと勢いを、レックス・フェルナーが受け止められるか、という点でしょうか」
ザンザスがまとめるように言う。アルシオは少しだけ考え、それから答えた。
「それもあります。ただ、勝負を動かすとすれば、エクシオがどこで一度止まれるかです」
「止まる?」
「はい。前に出たい気持ちを、どこかで一度抑えられるか。レックスは、エクシオの剣筋を幼いころから見ています。だから、予想に反した動きをエクシオが見せれば、レックスを乱すことは可能だとおもいます」
ランスが楽しげに目を細める。
「反対に、レックスはエクシオ殿下の勢いを受けきって、自分の間合いに引き込めるかですね」
「そうだね」
「ありがとうございます。では、まもなく第二演目を開始いたします」
その声と同時に、演舞場の中央へエクシオとレックスが進み出た。エクシオは模擬剣を握りしめ、まっすぐレックスを見ている。先ほどまで解説席で兄に見惚れていた少年の顔ではない。皇国第二皇子として、そして一人の剣士として、そこに立っていた。レックスもまた、静かに剣を構える。アルシオの従者としてではなく、今この場で向かい合う相手として、エクシオを見据えていた。
ザンザスが片手を上げる。
「それでは、始めてください」
次の瞬間、エクシオが先に踏み込んだ。金の髪が、陽光を受けて跳ねる。迷いのない一歩だった。剣先はまっすぐ、レックスの肩口へ伸びる。速い。先ほど解説席で兄に見惚れていた少年とはまるで違う。瞳は真剣そのもので、踏み込みには迷いがなかった。レックスはアルシオの踏み込みを読んでおり、真正面から剣を合わせる。大きな乾いた音が、演舞場に響いた。
「速いですね」
ランスが、まずそう言った。
「ええ。エクシオは初動が速いんです」
アルシオは演舞場を見つめたまま答える。声は落ち着いているが、その目には兄としての緊張がわずかに滲んでいた。
「勢いに乗ると、あのまま二手、三手と続けてきます」
その言葉通り、エクシオは止まらなかった。一撃目を受けられた直後、すぐに身を返す。左からの打ち込み。レックスが受ける。間を置かず、今度は下から剣を跳ね上げるように狙う。レックスは腕だけでなく、膝をわずかに沈めて受け止めた。
音が重なる。軽やかで速いエクシオの剣。それを正面から受ける、重く揺るがないレックスの剣。観覧席から、また感嘆の声が上がった。
「エクシオ殿下の剣は、まっすぐですね」
ザンザスが言う。
「はい。気持ちがそのまま乗っています」
アルシオは頷いた。
「ただ、まっすぐすぎると、レックスには受けられます」
「やはり、レックス・フェルナーの方が力は上ですか」
「力だけなら、そうですね」
アルシオは少しだけ目を細める。
「でも、エクシオもそれは分かっています」
演舞場では、エクシオがさらに一歩踏み込んでいた。
「レックス!」
呼ぶ声と同時に、剣が振り下ろされる。レックスはそれを正面から受けた。だが、受けた瞬間、エクシオは力を入れきらなかった。剣が触れたところで、すっと力を抜く。
「……っ」
レックスの重心が、ほんのわずかに前へ流れた。その隙を狙い、エクシオは横へ回る。観覧席がざわめいた。
「今のは、良いですね」
ランスが声を低くする。
「押すと見せて、外しましたか」
「うん」
アルシオの声に、わずかな安堵と嬉しさが混じる。
「前なら、そのまま押し切ろうとしていたと思う。でも今は、一度止まった」
「先ほど殿下がおっしゃっていたところですね」
ザンザスが確認するように言った。
「はい。エクシオは、ちゃんと考えている」
その言葉が届いたわけではない。けれど、演舞場のエクシオは、まるで兄の声に応えるように剣を返した。今度の一撃は、先ほどより鋭かった。レックスの脇へ入り込むように、低く、速く。レックスは歯を食いしばった。完全には避けきれない。だが、崩れもしない。踏み込んだ左足が砂を噛み、体がその場で止まる。そこから肩を引き、剣の腹でエクシオの一撃を受け流した。
エクシオの剣先が、わずかに外れる。レックスは、その瞬間を逃さなかった。大きく一歩前に踏み出した。
「……来ますね」
ランスが呟く。レックスの剣が、正面から振り下ろされる。派手さはない。奇をてらった動きでもない。ただ、重い。足腰で支え、肩から腕へ、腕から剣へ、まっすぐ力が通っている。
エクシオは受けた。だが、受けた瞬間、剣ごと押し込まれる。
「っ……!」
足元の砂が削れた。レックスは止まらない。二撃目、三撃目をエクシオは受ける。かわす。横へ逃れようとする。だが、レックスはそのたびに半歩ずつ詰める。決して大きく動かない。無理に追いかけない。逃げ道を一つずつ塞ぐように、正面から距離を潰していく。
「レックスの強いところです」
アルシオが言った。
「一度自分の間合いに入れると、簡単には逃がさない」
「足元が崩れませんね」
ランスが応じる。
「ええ。力で押しているように見えますが、実際には足で押している。だから剣が重い」
「なるほど。剣だけではなく、身体全体で前へ出ていると」
ザンザスのまとめに、アルシオは頷いた。
「はい。レックスらしい剣です」
その声には、誇らしさがあった。エクシオも、ただ押されているだけではなかった。レックスの重い一撃を受けながら、何度も角度を変えようとする。真正面から受ければ押し負ける。だから外へ。足を使って、半身を入れて、剣先を滑らせようとする。けれど、レックスは崩れない。エクシオが外そうとすれば、足をずらして追う。エクシオが引けば、踏み込む。無理に大振りはしない。ただ、自分の強さが最も活きる距離を守り続ける。
「エクシオ殿下は、よく動いています」
ランスが静かに言った。
「けれど、レックスの間合いから出られませんね」
「うん」
アルシオは小さく息を吐く。
「レックスは、相手を見失わないんです。どれだけ勢いよく来られても、どれだけ速く動かれても、最後はちゃんと正面に戻してくる」
演舞場で、エクシオが短く息を吸った。このままでは押し切られる。そう判断したのだろう。彼はレックスの次の一撃を受ける寸前、思いきって前へ出た。押されて下がるのではなく、逆に懐へ入る。先ほどのアルシオの踏み込みを思わせる動きだった。
観覧席が沸く。
「おおっ……!」
エクシオの剣が、レックスの肩口へ伸びた。だが、レックスはそれを読んでいた。踏み込んできたエクシオに合わせ、レックスは剣を引いた。受けるのではない。間合いをほんの少しだけ空ける。その一瞬、エクシオの剣が届ききらず、切っ先が空を切った。
「っ」
エクシオの目が見開かれる。次の瞬間、レックスの左足が強く砂を踏んだ。そこから、下から上へ打ち上げるように剣が返った。エクシオの剣が弾かれる。乾いた音が高く響き、模擬剣がエクシオの手の中で大きく揺れた。握りは離さなかった。だが、体勢は崩れた。レックスは踏み込む。剣先が、エクシオの胸元の寸前で止まった。
ほんの一拍遅れて、ザンザスの声が響く。
「そこまで」
エクシオは、荒い息を吐いた。レックスの剣先が目の前にある。それを見つめ、それからゆっくりと肩の力を抜いた。
「……負けました」
悔しさはある。だが、拗ねた声ではなかった。レックスは剣を下ろし、少しだけ頭を下げる。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
エクシオは剣を握り直し、悔しそうに唇を噛む。けれどすぐに、ぱっと顔を上げた。
「でも、次は負けないよ!」
その声は明るかった。レックスは目を輝かせ笑っている。
「エクシオ殿下、強くなられましたね」
「本当?おだててない?」
「嘘じゃないですよ。本当です」
次の瞬間、観覧席から大きな拍手が起こった。エクシオは少し驚いたように周囲を見渡し、それから慌てて礼をする。レックスも遅れて一礼した。その不器用な所作に、来賓席の一部から柔らかな笑いが漏れる。
解説席で、ランスが静かに息を吐いた。
「見応えがありましたね」
「うん」
アルシオは、演舞場の二人を見つめていた。
「エクシオは強くなっている」
「ええ。最後の踏み込みは、かなり良かった」
「でも、レックスの方が一枚上だった」
そう言って、アルシオは少しだけ笑った。
「悔しいけどね」
ランスが横目で見る。
「どちらが勝っても、殿下は複雑そうですね」
「弟と乳兄弟だからね」
「それは大変だ」
「本当に」
アルシオの声は穏やかだった。けれど、その目は誇らしげだった。ザンザスが観客へ向き直る。
「ただいまの第二演目は、レックス・フェルナーの勝利となりました」
その言葉に、拍手がさらに大きくなる。拍手が、ゆっくりと演舞場に広がっていく。エクシオとレックスは、並んで観覧席へ礼をした。エクシオの頬には悔しさが残っている。だが、その瞳は次は勝つと言わんばかりの熱が宿っている。対するレックスは、いつも通り無愛想な顔をしていた。けれど、どこか晴々とした表情だった。




