第4章-3 露見する器
午後になると、創設祭の空気はまた違う熱を帯び始めた。午後の演舞は若い生徒たちが積み重ねてきた鍛錬を、来賓や一般参列者の前で披露する場である。
演舞場には、すでに多くの人が集まっていた。中央には広く砂を敷いた場が設けられ、その周囲を囲むように観覧席が作られている。正面奥には来賓席があり、ユリウスとルークは並んで座しており、来賓席の左側に設けられた席にはエクシオとレックスの姿があった。
やがて演舞場の片側に設けられた小さな壇へ、一人の少年が上がった。
ザンザス・ロクスウェイ――普段は必要なことしか口にしない。議論の場でも、余計な言葉を削ぎ落とすような話し方をする少年である。だが今、来賓たちの前に立ったザンザスは、驚くほど淀みなく一礼した。
「本日は、ソルフラン国際学園創設祭にお越しいただき、誠にありがとうございます」
よく通る声が、演舞場に響いた。
「ただいまより、午後の演目として、実技演舞を執り行います。司会進行を務めます、生徒会監査ザンザス・ロクスウェイです」
その端正な口上に、周囲から小さなどよめきが起こる。アエラも少し離れた運営席で、思わず目を丸くした。
「……ザンザス、あんなに喋れたのね」
隣にいたマリエラが、扇の陰で小さく笑う。
「必要があれば、いくらでもお話しになる方なのでしょう。普段は、必要がないと思っておられるだけで」
「それ、なんか腹立つわね」
「けれど、適任ですわ」
マリエラの言葉通りだった。ザンザスは観客の反応に動じることなく、続ける。
「本日の演舞は、勝敗を競うものではありません。なお観覧の皆様に分かりやすくお伝えするため、解説を加えさせていただきます」
そこでザンザスは、来賓席の隣に設けられた席へ視線を向けた。
「解説は、セレスティア皇国第二皇子、エクシオ・セレスティア殿下。そして、同じく皇国のレックス・フェルナーにお願いしております」
二人は席の横へと立ちあがる。名を呼ばれたエクシオは、一瞬だけ背筋を伸ばした。隣のレックスは、明らかに不服そうな顔をしているが、逃げる様子はない。すでに腹を括ったらしく、後ろで手を組んだまま前を見ていた。エクシオは来賓席へ一礼する。少年らしい明るさと、皇子としての品が同時にある所作だった。
「エクシオ・セレスティアです。本日は、未熟ながら解説を務めさせていただきます。演舞に出演する兄のことでしたら、誰よりもよく知っております。お楽しみください」
さらりと続いた一言に、演舞場の空気が少し緩んだ。一方でレックスは、渋々と立ち上がる。
「レックス・フェルナーです」
それだけ言って座りかけたところで、ザンザスの視線がすっと刺さった。レックスは舌打ちを飲み込み、仕方なく言葉を足す。
「……ランス・オルトリアンの動きについては、俺から補足します。あいつは力だけじゃなく、間合いの取り方と足運びが厄介です。見た目よりずっと細かいことをしてくるので、そこを見てもらえれば分かりやすいかと」
ぶっきらぼうではあるが、言葉は丁寧に選ばれていた。それは、ランスと剣を二度も交えたレックスならではの、相手を認めている者の言葉だった。
「ありがとうございます。レックス・フェルナーは、昨年の親睦競技会においてランス・オルトリアンを下し、模擬剣の部で優勝した実力者です。的確な解説にご期待ください」
ザンザスは淡々と受け、観客へ向き直る。
「それでは、第一演目に移ります」
よく通る落ち着いた声が、場内へ静かに響いた。
「セレスティア皇国第一皇子、アルシオ・セレスティア殿下。ガルデ王国オルトリアン公爵家次男、ランス・オルトリアン」
その名が読み上げられると、観覧席の空気がわずかに沸き立つ。先に姿を見せたのはアルシオだった。深青のズボンに白いシャツ、その上に同色のチョッキ。普段の制服のブレザーは脱いでおり、すっきりとした装いがかえって彼の細身の体躯を際立たせている。腰には模擬剣。静かに歩み出るその姿は、華美ではないのに自然と目を引いた。
続いて現れたランスを見た瞬間、観覧席のあちこちからどよめきが起こった。
「え……、槍?」
「親睦競技会の時とは違うわ」
ランスもまた白いシャツに深青のチョッキを合わせていた。アルシオよりも一回り大きな体躯は、そうした簡素な装いの方がかえって際立つ。そして、ランスが手に携えているのは模擬剣ではなく、演舞用の槍だった。ざわめく場内を見渡し、ザンザスが淡々と口を開く。
「ランス・オルトリアンは、今回模擬剣ではなく槍を選んだようです。対してアルシオ殿下がどう戦うのか――面白い戦いになりそうですね」
そこで、ザンザスは解説席へ視線を向けた。
「一般的に、剣と槍ではどちらが有利なのでしょうか」
問いを向けられたレックスは短く答えた。
「普通に考えれば槍です」
言い切る声ははっきりしていた。
「一番の理由は間合いです。槍は剣より遠い位置から攻められます。近づく前に牽制されるし、正面から行くと分が悪いんです」
「では、アルシオ殿下が不利ということですか?」
ザンザスの問いに、今度はエクシオが身を乗り出した。
「たしかに簡単ではないと思います。でも、兄様はただ押される方じゃありません」
紫の瞳が、まっすぐ演舞場を見つめる。
「兄様は、相手の癖や呼吸を見るのがとても上手いんです。懐に入りさえすれば、剣の方が小回りは利きます」
レックスも小さく頷いた。
「槍は強いですが、間合いを潰されると取り回しが変わります。殿下がそこに持ち込めるかが勝敗を分けると思います」
観客たちの期待が、じわじわと高まっていく。演舞場の中央で向かい合ったアルシオは、ランスの持つ槍を見るなり、ふっと半笑いになった。
「それはちょっとずるいんじゃない?」
その声に、近くの観客席から小さな笑いが漏れる。対するランスは、槍を肩に担ぐようにして口元を緩めた。
「今回は勝負じゃないですから、いいんですよ」
いかにも涼しい顔で続ける。
「その方が、見ている方々は面白いと思いますから」
「そうだろうけど……」
アルシオは模擬剣の柄に手を添えながら、少し肩をすくめた。
「僕の分が悪いと思うな」
「不利なくらいの方が、殿下にはちょうどいいでしょう」
「言ってくれるね」
「今回は、期待していますからね」
軽口を交わしながらも、二人の目は笑っていなかった。前回の試合は、アルシオはエクシオに乱され、ランスには容赦なく苦渋を舐めさせられた。今度こそ、真っ向から手を合わせられると思っていたのに、一筋縄では行かせてくれない。
ザンザスが片手を上げる。
「それでは、始めてください」
次の瞬間、ランスの槍先がすっと下がり、場の空気が変わった。アルシオもまた、模擬剣を抜く。長い得物を構えたランスは、立っているだけで間合いの広さを感じさせた。対するアルシオは、派手な構えを取らない。剣先をわずかに前へ向け、静かに相手を見据えている。
「……来ないなら、こちらから行きますよ?」
ランスが問う。
「いつでもいいよ」
アルシオは小さく笑った。一瞬、ランスの目が鋭くなる。そして次の瞬間、槍が風を裂いた。真っ直ぐな突きではなかった。ランスは踏み込みと同時に槍先を低く沈め、砂を掠めるように横へ薙いだ。足を狙う一撃。反応が遅れれば、たとえ演舞用の槍であっても、体勢を崩されるには十分だった。
アルシオは一歩下がる。足を引きながら、剣先で槍の軌道をわずかにずらす。乾いた音が鳴り、槍の穂先が砂を跳ねた。
「おお……!」
観覧席から、感嘆の声が上がる。ランスはその声に応えるように、すぐさま槍を引いた。引いた動きが、そのまま次の突きへ変わる。長い柄がしなり、槍先がアルシオの胸元へ伸びる。
アルシオは剣を立てて受ける。だが、衝撃は重かった。
「っ……」
足元の砂がわずかに削れる。受け止めた腕に、びり、と痺れが走った。
「今のランスの突きは、たぶん当てるためじゃないです。受けさせるためのものです」
レックスが、来賓たちに向かって答える。
「剣で正面から受ければ、足が止まる。足が止まれば、槍の間合いから抜けにくくなる。だから、殿下は押されているように見えますが……全部をまともに受けてるつもりはないのでしょう」
ザンザスが頷く。
「軌道を逸らしている、ということでしょうか」
「はい。受け止めているというより、逃がしています。あのまま力で受け続ければ、殿下の腕が先に潰れますから」
言いながら、レックスは少しだけ眉を寄せた。
「……ただ、入る隙はまだないですね」
演舞場の中央で、アルシオはランスの槍を受け流し続けていた。右へ。左へ。半歩下がり、また斜めへ逸れる。ランスの槍は長く、速く、そして重い。真正面から向き合えば、それだけで相手を押し潰すような圧がある。だが、アルシオはその圧に呑まれない。派手な反撃はない。けれど、崩れもしなかった。
「兄様、すごい……」
エクシオが呟いた。解説を忘れて見入っている。ただ、レックスだけが小さく続ける。
「……見ていますね」
「何を?」
ザンザスが問う。
「ランスの足です。槍先じゃなくて、踏み込みの方を見ている。あいつは槍の動きが派手だから、ついそっちに目が行く。でも、次にどこを狙うかは足に出ます」
そこで一度言葉を切り、レックスは少し言いづらそうに眉を寄せた。
「たぶん、殿下はそれを待っているんだと思います。ランスが、深く踏み込む瞬間を」
「では、アルシオ殿下はあえて攻めに出ていないと」
「はい。……多分」
最後だけ少し自信がなくなったように声が落ちる。その横でエクシオが力強く頷いた。
「そうです。兄様は、絶対にただ押されているわけではありません」
「エクシオ殿下、それは願望じゃ……」
その間にも、演舞場の緊張は高まっていく。ランスが槍を大きく引いた。それまでより、わずかに深い踏み込み。体重が前へ乗る。槍先がまっすぐアルシオの肩口を狙った。その瞬間、アルシオは身体を沈め、槍の下へ滑り込むように踏み込んだ。槍先が黒髪を掠める。わずかに乱れた髪が、光を受けて揺れた。
剣が下から跳ね上がる。乾いた音とともに、ランスの槍の柄が打たれ、槍先がわずかに上へ逸れる。その一瞬で、アルシオが懐へ入った。観覧席が大きく沸いた。レックスの目は演舞場から離れなかった。
「入った……!」
エクシオも、もう立ち上がりかけていた。紫の瞳を輝かせ、両手を握りしめている。
「兄様っ……!」
アルシオの剣がランスの肩口へ迫る。ランスは槍の柄でそれを受けた。近い。剣の距離。アルシオにとっては、ようやく掴んだ間合いだった。だがランスも、そこで終わる男ではない。
「さすがです、殿下」
「まだ余裕だね」
「ええ」
次の瞬間、ランスは槍を長く使うのをやめた。柄を短く持ち替え、身体を捻る。槍を軸に、長い得物を抱え込むように扱いながら、アルシオの剣の外側へ回り込む。
アルシオは即座に身を引く。ランスの石突が跳ね上がり、アルシオの剣を弾いた。
「っ」
剣先がわずかに流れる。ランスは逃さない。さらに一歩、体格差を活かして押し込む。槍全体で壁のように圧をかける動きだった。
「ランスは畳み掛けるつもりだ」
レックスが言った。
「殿下が真正面から受ければ、体勢を崩されます」
「兄様は崩れません!」
「だから、それは願望では……」
言いかけたレックスが、ふと口を閉ざした。アルシオは、ランスの力に逆らわず、受け流しながら、なおも懐へと突き進むように切り込んでいく。ランスの重心がわずかに前へ流れる。お互いが一歩も引かなかった。
槍の鋒を大きく薙いだ瞬間、アルシオの剣が返った。切っ先が、ランスの喉元の寸前で止まる。同時に、ランスの槍先もまた、アルシオの脇腹の前で止まっていた。
演舞場が、静まり返った。砂埃だけが、二人の足元でゆっくりと落ちる。やがてランスが、低く息を吐いた。
「……相討ちですね」
「演舞としては、ちょうどいいんじゃないかな」
アルシオはそう返して、わずかに笑った。ランスもまた、口元を緩める。
「ええ。実に」
ザンザスが片手を上げた。
「そこまで」
その声が響いた瞬間、観覧席から大きな拍手が湧き上がった。勝敗は決まらなかったが、それでも十分だった。槍の優位を示し、剣がその懐へ踏み込む緊張を見せ、互いの力量と個性を余すことなく伝えた。ランスの圧。アルシオの読み。そして、最後の一歩。
その一歩が、見る者の胸に強く残った。解説席で、エクシオはもうすっかり役目を忘れていた。
「兄様、すごい……! やっぱり兄様はすごいです!」
「エクシオ殿下」
ザンザスが静かに呼ぶ。
「はい!」
「最後のまとめを」
「あ、はい。……兄様は最後、ランス先輩が押し込む力を利用して、剣の角度を変えました」
レックスが補う。
「正面から勝とうとしたのではないですが、流れた力の僅かな隙間に剣を捩じ込んでいった形です。……ランスも同時に槍先を残していたので、結果は相討ちです」
言葉は拙いが、必要なことは伝わった。
「つまり、互いに一歩も譲らなかったということですね」
ザンザスがまとめると、レックスは少し考えてから頷いた。
「はい。そういうことです」
その頃、演舞場ではアルシオとランスが互いに礼を交わしていた。
「さすがに疲れた。もう少し手加減してくれてもいいのに」
「そう思ってましたが、必要なかったですね。さすが殿下です。槍を持ってきた甲斐がありました」
「ランスは湧かせ方も上手だね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
二人が軽く笑い合うと、拍手はさらに大きくなった。その拍手の中で、アエラだけは、少し遅れて手を叩いた。視線は、ずっとアルシオに向いたままだった。
最後の一歩。あの踏み込みが、頭から離れない。いつも穏やかで、一歩引いて、誰かの言葉を受け止めている人。自分から欲しいものを取りに行くより、相手に道を譲ってしまうような人。けれど、必要な時はアルシオは迷いなく踏み込める。相手の懐へ入ることを恐れず、最も危うい一瞬を見極めて、自分の剣を届かせることができる。その強さを見た瞬間、胸が高鳴った。
同時に、怖くなった。――この人はやっぱり一国を担っていく人なんだ。セレスティア皇国の第一皇子。彼の隣にいたい、いてほしいと願っていいのだろうか。アエラは、拍手をしながら唇を結んだ。分かっている。自分はただの恋する少女ではない。アルシオがどれほど価値のある人か、痛いほどわかる。けれど。それでも。あの人が隣にいてくれたなら、と。自分が勢いだけで踏み出そうとするとき、静かに横で手綱を引いてくれる人が、あの人だったなら、と。そう思ってしまった。
アルシオが観覧席へ向けて礼をする。少し汗ばんだ黒髪が額にかかり、いつもより呼吸は乱れている。それでも、その瞳は澄んでいた。ランスへと向けた笑顔が輝いて見えた。
アエラは、そっと胸元を押さえた。
「……私はどうしたらいいのかな」
小さく零れた声は、拍手の音に紛れた。答えなど、すぐに出るはずがない。それでも、目を逸らすことだけはできなかった。拍手が少しずつ落ち着いていく中、ザンザスが再び壇上で一礼した。
「ただいまの演舞は、アルシオ・セレスティア殿下、ならびにランス・オルトリアンによる剣と槍の対演舞でした」
場内に、もう一度大きな拍手が起こる。アルシオとランスは並んで演舞場を下がった。互いに軽く息を整えながらも、その表情にはどこか満足げな色がある。




