第4章-2 父と娘
昼休憩のために用意された客間は、創設祭の喧騒は少し離れたところにあり、ここだけは不思議と静かだった。
向かいに腰を下ろしたユリウスは、茶器を手にしながら、しばらく娘の顔を眺めていた。
「リーナ、よくやってるね」
突然そう言われて、アエラは眉をひそめた。
「……急に何?」
「いや、生き生きしてるなと思って」
「それ、褒めてないでしょ」
「そんなことないよ。褒めてるよ?」
「お父様が私を素直に褒めることなんてないもの」
「心外だなぁ」
ユリウスは本当に心外そうな顔をしてみせたが、その目は笑っている。アエラはじとりと父を見返した。
「何か言いたいことがあるなら、回りくどいのはよして」
アエラがため息をつくと、ユリウスは楽しげに笑った。それから、何気ない調子で視線を庭の方へ向ける。
「それにしても、アルシオ殿下にはだいぶ助けられているね」
アエラの肩が、ほんのわずかに揺れた。
「……うん。まあ、そうね」
「彼には感謝だね。振り回していないかい?」
「そんなこと、してないわよ」
「うん。去年よりはね」
「お父様」
低く呼ぶと、ユリウスは肩をすくめた。
「でも、二人とも板についてきた感じがする。君が前へ出て、彼が整える。あれは悪くない」
アエラは少しだけ視線を落とす。
「……アルシオは、そういうのが上手いの」
「そうだね。よく見ているし、必要なところだけ手を出す。あれは簡単なことじゃない。お父上の性質をよく受け継いでいるよ」
父の声音が、少しだけ真面目になる。アエラは黙って茶器に触れた。温かいはずの茶器の縁が、なぜか指先に少し熱すぎる。
「彼が特別な人なんだろう?」
「何言ってるの!」
反射的に声が上がった。すぐに自分でも大きすぎたと気づき、アエラは少しだけ顔を赤くする。ユリウスはおかしそうに目を細めた。
「おや、違うのかい?」
「……違わないけど」
小さく答えた声は、自分でも驚くほど素直だった。
「でも」
その先が続かない。ユリウスは茶器を置き、娘を静かに見つめる。去年なら、もっと勢いよく言い返していただろう。あるいは、からかわれたことに腹を立てて終わっていたはずだ。けれど今のアエラは違う。照れているけど、戸惑いのほうが大きいようだ。その先に何があるのかを、もう見ないふりができなくなっているようだった。
「おやおや」
「何よ」
「いや。去年とは少し様子が違うなと思って」
アエラは唇を引き結ぶ。
「……そんな簡単じゃないのよ」
「うん」
「だって、皇子様よ?しかも皇国の第一皇子。私じゃ、釣り合わないもの」
「へえ」
ユリウスの目が、わずかに細くなる。
「彼との将来も考えているんだ」
「お父様、意地悪よ!」
今度こそアエラは声を上げた。頬が熱い。けれど、否定はできなかった。
「考えるわよ!彼だって考えてる。でも答えが見つからなくて苦しそうなの。どうしようもないの!」
「うんうん」
「うんうん、じゃないわよ!」
アエラは思わず身を乗り出した。けれどユリウスは、ただ穏やかに娘を見ているだけだった。その顔を見ているうちに、アエラの勢いは少しずつしぼんでいく。
「……私、待つって言ったの」
「彼に?」
「ええ。今すぐ答えを出せなんて言わないって。悩んでいいって。でも、待つって……何を待てばいいのかしら」
呟いた声は、思いのほか弱かった。
「アルシオが選んでくれるのを待つの?それとも、私以外の人を選ぶのを、黙って待っていればいいの?」
少しだけ間を置いて、アエラは視線を逸らした。
「……それに」
「うん?」
「お父様は会わないようにしてくれてるんでしょうけど」
指先で茶器の縁をなぞる。
「私にも、そういう話……来てるんでしょ?」
ユリウスは表情を変えない。
「まったくないわけじゃないね」
「やっぱり」
アエラは小さく息を吐いた。
「断ってくれてるのは分かってる。でも、ずっとってわけにはいかないでしょう?」
「そうだね」
「私が決めなきゃいけないことでもあるんでしょう?」
その言葉は、半分は確認で、半分は自分への言い聞かせだった。ユリウスは娘をじっと見つめる。もう子どもではない。自分の意思で立つ場所を選ばなければならない時期に来ている。
「リーナ」
静かに呼ぶ。
「君は、あの皇子のそばにいたいのかい?」
「……え?」
「それとも、そばにいてほしいのかい?」
アエラは言葉を失った。
「よく考えなさい。同じようで、同じじゃないよ」
待つと決めた。でも、彼が自分を選んだ答えを待つだけでは、きっとダメなのだ。自分も選ばなければならない。自分もアルシオも後悔しないために。アエラは唇を引き結んだ。
「……お父様は、本当に意地悪ね」
「父親というものは、そういうものだよ」
「答えは、まだ分からないわ」
「大いに悩みなさい。君はまだ子供だからね」
アエラは唇を引き結んだ。
「……私は、アルシオのそばにいたい」
小さく、けれどはっきりと言った。
「でもそれだけじゃ駄目、よね」
「いいねぇ、青春だね」
「また茶化すんだから」
「答えを渡すのは、親の仕事じゃないからね」
ユリウスは微笑んだ。アエラは悔しそうに父を見た。心をすぐに見透かしてくる。まだまだ父には敵わない、そう思った。




