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第一章-3 歓迎社交会

 入学から一週間後。新入生を歓迎する社交会が、学園の大広間で催された。

 高い天井から吊るされた燭台がやわらかな光を落とし、磨き上げられた床には、色とりどりの衣装を纏った生徒たちの影が揺れている。音楽は明るく華やかで、談笑の声も絶えない。いかにも、これから始まる学園生活の幕開けにふさわしい夜だった。

 アルシオもまた、皇子として相応しい礼装に身を包んでいた。白を基調とした上着に紫紺のマント、金糸の刺繍が灯りを受けて静かにきらめく。その姿は目を引かずにはいられない。当然ながら、広間に入った瞬間から視線は集まった。


 けれど、誰もなかなか近づいてこない。理由は明白だった。アルシオのすぐ後ろに立つレックスが、露骨に警戒の色を浮かべていたからだ。実際、少し離れたところでは、勇気を出して近づこうとしたらしい令嬢たちが、小さく顔を見合わせては引き返している。


「……レックス。あまり威嚇するものではないよ」


「アルシオに悪い虫がつかないよう、陛下と王配殿下に頼まれてるからな」


「そうは言っても、これから三年間、皆と一緒に過ごしていくんだ。ある程度の付き合いはしていかないと」


 アルシオが苦笑混じりに言うと、レックスは当然のように答えた。


「それはわかっているが……、初めが肝心だからな」


 その言葉に、アルシオは小さく息をつく。たしかに、静かでいられるのはありがたい。けれど、歓迎社交会の真ん中で、こうして壁際に立っているのも少しばかり場違いな気がした。

 そこへ、聞き慣れた声が飛んできた。


「せっかくのパーティーなのに、なんでそんなところで突っ立ってるの?壁の花にでもなるつもり?」


 振り向くと、案の定アエラが立っていた。今夜の彼女は淡い緑のドレスを纏い、赤みを帯びた茶髪をゆるく結い上げている。可憐な姿なのに、目の輝きだけはいつも通り遠慮がない。


「皆あなたと踊りたいのに、後ろの彼が怖くて来られないのよ」


「余計なお世話だ」


 すかさずレックスが低く返すが、アエラは意に介さない。


「だから、最初のパートナーは私が務めてあげるわ!」


「え?」


 言うが早いか、アエラはアルシオの手を取った。


「ほら、行くわよ」


「……君は本当に強引だね」


 苦笑しながらも、アルシオはその手を振り払わなかった。半ば引かれるようにして、ホールの中央へと導かれる。

 ちょうど次の曲が始まるところだった。もっとも、アルシオとて皇子だ。幼い頃から礼儀作法の一環として、ダンスも厳しく叩き込まれてきている。相手の手を取る角度も、歩幅の合わせ方も、腰へ添える手の位置も、身体が自然に覚えていた。アエラを導きながら、アルシオは静かに足を運ぶ。


 軸はぶれず、動きに無理がない。華やかに見せるというより、相手を不安にさせない安定した踊り方だ。驚いたのは、むしろアエラのほうだった。


「あなた、やればちゃんと出来るじゃない。どうして隅にいるの?」


「出来るのと、好きなのは別だよ」


 その返答に、アエラは一瞬だけ目を丸くした。それから、どこか可笑しそうに笑う。


「ふうん。やっぱり変わってる」


 曲が進むにつれ、二人へ向けられる視線はさらに増えていった。アルシオがただの物静かな皇子ではなく、きちんと社交の場でも立てる人間だと、ここにいる誰もが理解したのだろう。

 やがて曲が終わる。アエラが手を離した、その直後だった。


「あの、皇子殿下。次の曲をお願いしてもよろしいでしょうか」


「そのあとで構いません、わたくしともぜひ」


「もしご迷惑でなければ、一曲だけ……」


 堰を切ったように、令嬢たちが次々と声をかけてきた。アルシオは一瞬、目を瞬かせる。だが、この場で無下に断ることはできない。差し出された手をとり、微笑んで返す。


「……ええ、喜んで」


 アルシオに手を取られた令嬢の頬がたちまち赤く染まる。周りからも黄色い声が上がった。相手を不安にさせぬよう導き、穏やかな笑みを絶やさず、皇子として相応しく振る舞う。一人、また一人、ダンスの相手を求められれば、手を取り続けた。けれど、何人も続けばさすがに気疲れは隠せない。顔には出していないつもりでも、呼吸の浅さや、ほんのわずかな肩の強張りに、それは現れていた。

 真っ先に気づいたのは、レックスだった。次の令嬢が声をかけようとしたとき、レックスが静かに前へ出る。


「申し訳ありません。殿下は少々お疲れですので、このあたりで失礼いたします」


 声音は丁寧だが、有無を言わせぬ固さがあった。令嬢たちは名残惜しそうにしながらも、それ以上食い下がることはできず、それぞれ一礼して離れていく。


 ようやく人の波が引いたところで、アルシオは小さく息を吐いた。


「……助かった」


「お前なぁ--」


 レックスは呆れたように眉を寄せる。


「断れないなら、最初から無理するなよ」


「無下にする訳にもいかないし」


「全く」


 まだ少し不機嫌そうに言いながらも、レックスはさりげなくアルシオを人の少ない壁際へと移した。


 少し離れた場所から、その様子を見ていたアエラは、胸の奥に小さな引っかかりを覚えていた。自分が最初に引っ張り出したせいで、ああなったのだ。最初は、ただ壁際で澄ましているアルシオがもったいなく見えただけだった。けれど、次々とダンスを申し込まれて、断ることもせずに延々と踊り続けるのは、さすがに気の毒だったかもしれない。


「……ちょっと、出しゃばりすぎたかも」


 ぽつりと漏らした言葉に、隣のユフィーリアが目を瞬かせる。


「あら。アエラでもそう思うことがあるのね」


「あるわよ、失礼ね」


 そう言い返しながらも、アエラの視線は自然とアルシオのほうへ向いていた。壁際でレックスに何か言われ、苦笑している。疲れているはずなのに、令嬢たちの前では最後まで礼を失わなかった。その姿を見ていると、ふいに胸の奥が静かに疼く。

 ただ守られているだけの、静かな皇子ではない。ちゃんと、自分の役目を理解して振る舞うことが出来る人なのだ。それなのに、どうしてあんなふうに、常に一歩引いた場所に立っているのだろう。

 音楽はまだ明るく響き続けている。けれどアエラには、その夜の灯りの中で、アルシオが少しだけ遠く見えた。



 社交会も終わりに近づき、広間の賑わいにも少しずつ緩みが見え始めていた。


「そろそろ戻ろう、アルシオ」


 レックスに促され、アルシオは小さく頷く。二人で会場を出ようとした、そのときだった。


「……皇子殿下!」


 背後から呼び止める声がして、アルシオは足を止めた。振り返ると、少し離れたところにアエラが立っていた。その隣で、ユフィーリアがさりげなく背中を押したのが見える。

 レックスがすぐに眉を寄せる。


「なんの用だ」


「レックス」


 アルシオが静かに名を呼ぶと、レックスは不満そうにしながらも口を閉ざした。アルシオはアエラへ向き直る。


「どうしたの?」


 すると、さっきまでの勢いが少しだけ嘘のように、アエラは珍しく言い淀んだ。


「……さっきは、ごめんなさい」


 緑の瞳が、まっすぐアルシオを見つめる。


「良かれと思ったの。でも、あなたがあんなに立て続けに踊ることになるなんて思わなくて」


 その声音には、ちゃんと気まずさが混じっていた。アルシオは少しだけ目を丸くする。まさかアエラのほうから謝ってくるとは思っていなかったのだ。だが、すぐに小さく笑った。


「疲れはしたけど、嫌じゃなかったよ」


 アエラが目を瞬かせる。


「むしろ、君が手を引いてくれたから、皆も声をかけてくれたんだと思ってる。ありがとう」


 その言葉に、アエラは一瞬だけ黙った。やがて、ほんの少しだけ肩の力を抜く。


「……そう」


 短く返しただけなのに、どこかほっとしたようにも見える。横でユフィーリアが微かに微笑んだ。


「よかったわね、アエラ」


「うるさいわよ」


 小さく言い返したあと、アエラはもう一度アルシオを見る。


「でも次からは、ちゃんと途中で断りなさいよ」


「難しいことを言うね」


「難しくないわ。嫌なら嫌って言えばいいの」


 あまりにもきっぱり言われて、アルシオは少しだけ苦笑する。


「そうだね」


「言う気ないじゃない」


 けれど、さっきまでの気まずさはもう薄れていた。そのやり取りを見ていたレックスは、まだどこか納得していない顔をしていたが、少なくとも先ほどよりは露骨な敵意を引っ込めている。会場の灯りはやわらかく揺れ、音楽もまもなく終わりを迎えようとしていた。

 アエラは踵を返しかけて、ふと立ち止まる。


「……『君』なんて、他人行儀よしてよ。アエラって呼んでって言ったでしょ」


 それだけ言い残して、今度こそユフィーリアのもとへ戻っていった。アルシオはその背中を見送りながら、胸の奥に小さな温かさが残るのを感じていた。


 やはり、変わった人だ。


 けれど――悪い気は、少しもしなかった。

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