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第一章-2 春一番の出会い

 入学式は、学園中央棟の大講堂で執り行われた。高い天井からは淡い陽光が差し込み、磨き上げられた床の上に、整然と並ぶ新入生たちの影を落としている。

 壇上では学園長が、ソルフラン国際学園の理念と、第一期生へ託す期待を厳かに語っていた。


 やがて、その挨拶が終わる。


「続いて、新入生代表の言葉です。セレスティア皇国第一皇子、アルシオ・セレスティア殿」


 一瞬、大講堂の空気が揺れた。やはり、という視線。ささやき混じりの納得。入学前試験の首席合格者であり、この場にいる唯一の皇族でもあるアルシオが代表に選ばれたことに、異を唱える者はいないのだろう。だがそれでも、彼が立ち上がった瞬間、無数の視線が一斉に集まるのを感じた。

 アルシオは静かに壇上へ進み、演壇の前に立つ。

 少しだけ息を整え、講堂を見渡した。知らない顔ばかりだ。けれど、そのどれもが、今日から同じ学び舎で時を過ごす者たちだった。


「我々は、この学園の第一期生として、まだ何色にも染まりきっていないこの場所に、これから三年をかけて一つの歩みを刻んでいく存在です」


 澄んだ声が、静まり返った講堂に真っ直ぐ響く。


「それぞれが己の持つ資質をさらに伸ばし、また自らもまだ見ぬ色をみつけながらながら、大いに学び、歩んでいけることを願っております。異なる立場や背景を持つ者同士が出会い、学び合い、その違いを知ることが、この学園にとって何より大きな意義になると、私は信じております。

 第一期生として、皆さんと共にこれからの三年間を過ごせることを、私は心より楽しみにしております」


 語り終え、一礼する。次の瞬間、講堂には拍手が広がった。感嘆と好意を含んだ響きだった。アルシオは顔を上げる。そのときだった。拍手の向こう側で、ひときわ遠慮のない眼差しが、まっすぐにこちらを見ていることに気づいたのは。


 入学式が終わると、新入生たちは係の案内に従って、それぞれの教室へと移動することになった。大講堂を出た先の回廊は、まだ式の余韻に満ちていた。緊張から解放されたように声を弾ませる者、早くも周囲と打ち解け始めている者、反対に気後れしたように口数を失っている者――同じ制服を纏っていても、その表情はさまざまだ。


 その中を、アルシオはレックスと並んで静かに歩いていた。先ほど壇上に立ったことで、否応なく視線が集まっているのが分かる。けれど、それをいちいち気にして歩みを乱すほど、もう幼くはなかった。背後から小さな囁きや、弾んだ声が追いかけてくる。


「やっぱり、さっきの代表の方よね」

「近くで見ると、すごく綺麗……」

「隣の方、従者かしら」


 そんな声も、今さら気に留めるほどのものではない。レックスだけがわずかに眉を寄せ、周囲を警戒するように視線を巡らせていた。


「相変わらずだな」


「何が?」


「見られ慣れてるのが」


 呆れたように言われ、アルシオは少しだけ口元を緩めた。


「レックスが気にしすぎなんだよ」


「こんなに見られてたら気にするだろ」


 ぶつぶつ言いながらも、レックスはアルシオの半歩後ろをきっちり守る位置を崩さない。その律儀さに、アルシオはそれ以上何も言わず、ただ前を向いた。


 案内された教室は、中央棟二階の奥まった一室だった。大きな窓からは柔らかな陽光が差し込み、磨き上げられた机が整然と並んでいる。すでに何人かの生徒が入っており、席に着いたり、近くの者と小声で言葉を交わしたりしていた。

 アルシオが教室へ足を踏み入れた瞬間、ざわめきがふっと止み、皆の視線が集まる。アルシオは平然と指定された席へと着いた。レックスの席は隣らしい。

 ほどなくして、教室の扉が静かに開いた。入ってきたのは、片眼鏡をかけた痩身の男だった。年の頃は三十代半ばほど。わずかに猫背で、いかにも室内仕事に慣れた風情をしている。柔らかな灰茶の髪を後ろへ流し、手には出席簿らしき書類を抱えていた。一見すると頼りなげにも見えるが、その目だけは妙に澄んでいて、教室の空気をひと息に見渡してしまうような鋭さがあった。


「おはようございます。第一期生諸君」


 声音は穏やかで、拍子抜けするほど柔らかい。けれど、その一言で教室の私語はぴたりと収まった。


「このクラスの担任を務めます、ノア・ヴェルデンです。担任を受け持つのは今回が初めてですので、どうかあまり過度な期待はなさらず」


 教室のあちこちで、かすかに笑いが漏れた。張りつめていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。そこで一拍置き、片眼鏡を指先でそっと押し上げる。


「もっとも、諸君が面倒を起こさなければ、私も余計な苦労をせずに済むのですが」


 今度は笑い声もすぐに止み、教室の空気がわずかに引き締まった。


「では、自己紹介がてら、名前を呼んでいきますので、簡単に一言ずつお願いしますね」


 ノアは出席簿へ目を落とし、一人ずつ確認していく。名前を呼ばれた生徒は席を立ち、その場で自己紹介を行っていった。

 初日は自己紹介と簡単な説明だけで終わり、授業と呼ぶほどのものではなかった。学園の決まり、今後の時間割、寮生活に関する注意。必要な話ばかりだったが、緊張している新入生たちにとっては、それだけでも十分長く感じられた。説明の最後に、ノアは出席簿を閉じた。


「なお、一週間後には新入生歓迎社交会が予定されています」


 その言葉に、教室の空気がわずかに浮き立つ。ノアはそんな反応を見回しながら、穏やかな口調のまま続けた。


「名目としては歓迎の場ですが、ただ着飾って踊るためだけの夜ではありません。これから三年間を共に過ごす者同士、最初に顔と名を結びつける機会だと思ってください」


 片眼鏡の奥の目が、静かに生徒たちを見渡す。


「無論、振る舞いも見られます。諸君がどのような家の出であれ、この学園の一員としてどう立つか――その最初の一歩になるでしょう。……くれぐれも、初回から私の記憶に強く残るような騒ぎは起こさないように」


 柔らかな言い方だったが、最後の一言には小さな釘が含まれていた。


「それでは、明日より早速講義が始まりますので、どうぞ遅れずに」


 そう言ってノアは教室を出ていった。教室のあちこちで小さなざわめきが起こる。胸を躍らせている者もいれば、すでに気後れしたように表情を曇らせている者もいる。椅子を引く音が重なり、互いに話し声が戻り始めた。


「俺たちも寮に帰るか?」


 レックスが話しかけた、その時。つかつかと、迷いのない足音が近づいてくる。


「はじめまして!皇子殿下!」


 あまりにも明るく、あまりにもためらいのない声に、アルシオは顔を上げた。目の前に立っていたのは、赤みを帯びた茶の髪を揺らす少女だった。緑の瞳は、まるで相手を試すようにまっすぐで、華奢で可憐な顔立ちとは裏腹に、その立ち姿には妙な勢いがある。果敢にも皇子に声をかけた猛者の出現に、教室のあちこちで、息を呑む気配がした。


「……はじめまして」


 アルシオが落ち着いた声で返すと、少女はじっと彼を見つめたまま、ためらいなく続ける。


「さっきの代表挨拶、あれって本当にあなたの言葉?」


 一瞬、教室がしんと静まり返った。レックスの眉がぴくりと動く。


「おい。初対面でなんなんだ」


 だが少女は、まるで意に介さない。


「だって気になるじゃない。無難でまとめて、あれが本当にあなたの言葉だったのかって気になって」


 その物言いに、レックスの目つきが険しくなる。


「失礼だな」


「そう? 遠くからひそひそ眺めてるより、ずっとましだと思うけど」


「なんだと――」


「レックス」


 アルシオが静かに名を呼ぶと、レックスは不満そうにしながらも口をつぐんだ。それからアルシオは、改めて目の前の少女を見る。


「どうして、そう思ったの?」


「“まだ見ぬ色を見つけながら”って言ったでしょう。優等生らしく綺麗にまとめた言い方だったなぁって。だから、あれは本当にあなたの言葉なのかなって思ったの」


 アルシオは少しだけ目を瞬いた。刺々しい感じがしないのに、驚くほど直球を投げてくる。可憐な見た目に反して、目に宿る力が強い。


「……僕の言葉だよ」


「へえ」


「この学園は、まだ何も定まっていない場所なんだと思った。なら、ここに集まった僕たちが、これから形を作っていくんだろうって」


 そう答えると、少女の緑の瞳がすっと細められる。品定めするようでいて、どこか楽しそうでもあった。


「なるほどね。思っていたより、ちゃんと中身があるのね」


「さっきからなんなんだ、お前」


 今度はレックスが露骨に顔をしかめる。少女はようやくそちらに視線を向けた。


「だって、本当のことだもの」


 その後ろから、ため息混じりの声がした。


「アエラ、もう少し言い方を選びなさいな」


 柔らかな金茶の髪を持つ令嬢が、心配そうに歩み寄ってくる。その隣には、やや不機嫌そうな少年もいた。


「ユフィーリア・タリーズです。ごきげんよう、皇子殿下。こちらは少々性急なだけで、悪気はないんです」


「おい、“少々”じゃないだろ」


 ぼそりと口を挟んだのは、茶髪の少年だった。


「ゲイル・セバインです」


 ぶっきらぼうな名乗り方のあと、彼はアルシオを見て、次にレックスを見た。その視線には、なぜか最初からうっすらと対抗心のようなものが滲んでいる。そして最初に声をかけてきた少女は、胸を張るようにして言った。


「私はアエラマリーナ・アルタイル。アエラでいいわ」


 アルタイル――エストリア共和国の首相、ユリウス・アルタイルの娘。

 その名に、アルシオは母から聞いていた話を思い出した。今回の新設学園には、エストリアの有力者の子女も入学する。その中でも、とりわけ名の知れた一人だと。

 アルシオは静かに席を立ち、礼を取る。


「僕はアルシオ・セレスティア。よろしく」


 それに続いて、隣からややぶっきらぼうな声がした。


「レックス・フェルナーだ」


 アエラはそんな二人を見比べ、それからぱっとアルシオへ顔を向ける。


「ねえ、皇子殿下。あなた、面白い人?」


 あまりにも唐突で、あまりにも率直な問いに、アルシオは今度こそ答えに詰まった。


「……自分で言うことではないと思うけど」


「そうね。でも、つまらない人ではなさそう」


「アエラ」


 ユフィーリアがたしなめるように名前を呼ぶが、アエラは気にした様子もない。レックスは相変わらず警戒を崩さず、アエラを見ている。その視線に気づいたのか、アエラはふっと口元を上げた。


「あなたは従者ね」


「……それがどうした」


「さっき廊下で、誰かが言ってたもの。皇子殿下の従者は常にぴったりそばにいるって」


 その言い方が妙に含みを帯びていて、レックスの眉間の皺が深くなる。


「何が言いたい」


「別に。ただ、本当にそうなんだなって思っただけ」


 軽い口調のはずなのに、そのひと言だけは妙に鋭かった。アルシオは二人の間に流れた、ぴりついた気配を感じ取る。アエラだけは何事もないように楽しそうだ。


「これから三年間、よろしくね」


 そう言って、アエラはあっさりと踵を返した。ユフィーリアは申し訳なさそうに一礼し、ゲイルは最後まで複雑そうな顔をしたまま自分の席へ戻っていく。残されたのは、妙な静けさだった。レックスが、すぐに低い声で言う。


「……なんだ、あいつ」


 アルシオはまだ、去っていったアエラの背中を見ていた。遠巻きに視線を向けてくる者なら、これまでいくらでもいた。けれど、あんなふうに真正面から踏み込んでくる相手は初めてだった。


「……変わった人だね」


 それが率直な感想だった。するとレックスは、呆れたように息を吐く。


「変わってるで済ませるのかよ」


「でも、言葉はちゃんと聞いてくれてた」


「無礼なだけだ」


 その言葉に、アルシオは少しだけ笑ってしまう。ふと気づけば、前方の席から緑の瞳がこちらを見ている。目が合えば、アエラは悪びれもせず、にやりと笑った。


 ――本当に、変な人だ。


 静かに始まるはずだった学園生活は、どうやら思っていたより、ずっと賑やかなものになりそうだった。そう思いながらも、アルシオはそのたびに少しだけ気になってしまうのだった。


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