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第一章-1 春風は賑やかに

 二年生の教室に戻ると、式を終えたあとの空気がまだどこか落ち着かずに残っていた。新学期初日らしいざわめきが教室のあちこちで弾み、席替えの話や、新入生の噂、生徒会の挨拶の感想まで、声は途切れることなく行き交っている。アルシオが席へ戻ると、ユフィが小さく手を振った。


「お疲れさま、アルシオ殿下。すごく素敵でしたわ」


「ありがとう」


 穏やかに礼を返したところへ、今度はゲイルが身を乗り出す。


「いや、本当すごかったぞ。特に最後の一言。あれで新入生の空気が一気に変わった」


「そうかな」


「そうよ」


 答えたのはアエラだった。窓際の自席にもたれたまま、じとりとした視線を向けてくる。


「最後は皇子殿下が全部持っていっちゃったし」


「まだ言うんだ」


「女の子たち、うっとりした目をしてたわよ」


 そう言われても、アルシオは少し困ったように笑うことしかできない。すると横から、ユフィが涼しい顔で、口を挟んだ。


「あら。でも最近のアエラも、似たようなものではありませんか?」


「……っ!」


 アエラが勢いよくユフィを振り返る。翠の瞳が大きく見開かれ、その頬がみるみる赤くなった。


「な、何を言ってるのよ、ユフィ!」


「別に。思ったことを申し上げただけですよ」


 ユフィは上品に微笑んだまま、少しも動じない。アルシオもまた、苦笑するしかできなかった。


「でも、噂にはなりそうだよな。セレスティアの皇子は兄弟そろって目立つし」


「僕はともかくエクシオは華があるしね」


「……自覚無しかよ」


 呆れたようにゲイルが言った。


ホームルームを終えしばらくしてから、教室の出入口のあたりがふと静かになった。

 何人かの生徒がそちらを振り返る。つられるようにアルシオも視線を向けると、開いた扉の向こうに、見慣れた少年が立っていた。

 やわらかな栗色の髪に、落ち着いた眼差し。派手さはないが、姿勢がよく、控えめな物腰の中にしっかりとした芯がある。少年は教室の中を見渡し、アルシオの姿を認めると、静かに一礼した。


「失礼いたします。アルシオ殿下。今少しよろしいでしょうか」


「……いいよ。久しぶりだね。フェリオ」


「ありがとうございます。ご無沙汰しております。レックス殿も」


 フェリオはアルシオの元まで、静かに歩み寄ってきた。


「おひさしぶりです。フェリオ殿」


 フェリオはレックスに笑みを向ける。


「以前のようにフェリオと呼んでいただけないのですか?」


「いや、あんたの方が爵位は上でしょうが」


 レックスはバツが悪そうに返す。意外そうな顔を向けるアエラとゲイル。


「ここは皇国ではありませんよ。アルシオ殿下も仰っていたではありませんか。過度に畏まる必要は無いと」


「レックスがちゃんとしているわ……」


「聞こえてるぞ。……ったく。んで、フェリオ、何のようだ?」


「失礼致しました。エクシオ様が、少しお会いになりたいとおっしゃっております。お時間をいただくことは可能でしょうか」


 その言葉に、教室の中の何人かが興味深そうに視線を向けた。


「もちろん。僕も顔を見たいと思っていたところだよ」


 アルシオがそう答えると、フェリオの表情がわずかに和らいだ。


「ありがとうございます。では、すぐにお連れしてもよろしいでしょうか」


「うん」


 そこまで聞いて、アエラがふっと口元をゆるめる。


「へえ、さすがね。エクシオ殿下も侍従がいらっしゃるってと聞いたけれど、ずいぶん落ち着いているのね」


 まっすぐ向けられた言葉にも、フェリオは少しも動じなかった。丁寧に一礼して答える。


「恐縮でございます。そう取り繕っているだけで、中身はそうでもありません」


「そんな返しが出来るなんて流石だわ」


 アエラが楽しそうに笑う。ユフィも「お会いできて光栄ですわ」と上品に微笑み、ゲイルは軽く片手を上げて挨拶を寄越した。


「では、エクシオを」


 アルシオが言いかけた時、フェリオは静かに首を振った。


「すでに近くまでお連れしております。入っていただいてもよろしいでしょうか」


 その言葉に、アルシオは少し驚いたあと、すぐに笑みを浮かべた。


「もちろん」


 フェリオが一歩横へ退く。その先、廊下の向こうに、見慣れた金の髪が見えた。兄としての親しみと、どこかくすぐったいような気持ちが胸に差す。扉の向こうから姿を現した瞬間、教室の空気がふっと華やいだ気がした。


「アルシオ兄様!」


 明るい声とともに、エクシオが笑みを浮かべて教室へ入ってくる。陽の光を思わせる金の髪に、紫の瞳。まだあどけなさを残しながらも、その立ち姿にはセレスティア皇国の皇子として育った者らしい気品があった。ただそこに立つだけで人の目を引くのに、当の本人にはそれを気負う様子がない。眩しいほど素直な笑顔が、その場の空気を一気にやわらげてしまう。

 けれど、アルシオの前まで来たところで、エクシオははっとしたように表情を改めた。ここが私的な場ではなく、兄のクラスであることを思い出したのだろう。背筋を伸ばし、教室の中へ向き直る。


「失礼いたしました。改めまして――本日より入学いたしました、セレスティア皇国第二皇子、エクシオ・セレスティアと申します」


 そう名乗ると、年若いながらもよく通る声音で丁寧に一礼する。先ほどまでの明るさとは違う、きちんとした皇子の顔だった。


「兄が日頃よりお世話になっております。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします」


 その一言に、教室の空気がわずかに和む。気品はあるのに堅苦しすぎず、しかも嫌味がない。見ていた生徒たちの間に、小さな感嘆の気配が広がった。


 最初に口を開いたのはアエラだった。翠の瞳を細め、どこか楽しげにエクシオを見つめる。


「まあ。ずいぶんしっかりしているのね。さすがは皇子殿下だわ。最初の甘えた感じは素なのかしら」


 その言葉に、エクシオはぱちりと目を瞬く。けれどすぐに、いたずらっぽく口元をゆるめた。


「初対面の方々の前ですから。もちろん兄には甘えていますよ」


 その返しに、ゲイルが吹き出す。


「へえ、口も回るんだな」


「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきます」


「それ、絶対分かって返してるだろ」


 明るく受け答えするエクシオに、先ほどまでの教室の視線が、今度は好意と興味を帯びて集まっていく。アルシオはその様子を見ながら、胸の内で小さく笑った。やはりエクシオは、こういう場にすぐ馴染む。ユフィが優雅にスカートを整え、小さく一礼する。


「はじめまして、エクシオ殿下。ユフィーリア・タリーズと申します」


「ユフィーリア嬢。ご丁寧にありがとうございます」


 続いてゲイルが片手を上げる。


「ゲイル・セバインだ。堅苦しいのは抜きでよろしくな」


「はい。よろしくお願いします、ゲイル先輩」


 そして最後に、アエラが一歩前へ出た。


「わたしはアエラマリーナ・アルタイル。生徒会長をしています」


 まっすぐに差し出されたその名に、エクシオはほんの一瞬だけ目を見開く。入学式の壇上で見た、凛として華やかな少女。兄の隣に立ち、堂々と全体を導いていたその姿が脳裏によみがえった。


「アエラ先輩、ですね。入学式でのご挨拶、とても素敵でした」


「……まあ、ありがとう」


 いつもならすぐに言葉を返すアエラが、ほんの少しだけ間を置いた。年下からのまっすぐな賛辞に、少しくすぐったくなったのかもしれない。少し照れたように返したアエラへ、アルシオがやわらかく笑う。


「ね、大丈夫だったでしょ」


「……何よ、それ」


「立派だったってこと」


 そのやり取りを見ながら、エクシオはふと兄へ視線を向ける。するとアルシオが、アエラを見るときだけ少しだけやわらかな目をしていることに気づいた。家族へ向けるのとも、臣下や友人へ向けるのとも少し違う。言葉にするにはまだ曖昧な、けれど確かに何か特別なものを含んだ眼差しだった。エクシオはそれが何なのかはまだ分からない。ただ、兄の知らない一面を垣間見たような気がした。


「せっかくだもの。兄弟で少し話してきたら?」


 アエラがそう言って、軽く首を傾げる。


「今日はこのあと特に何もないしね。入学初日くらい、兄弟でゆっくり話す時間があってもいいじゃない」


 その言葉に、エクシオの表情がぱっと明るくなる。


「いいんですか?」


「もちろん。むしろ、わたしたちが引き止める方が悪いわ」


 アエラはそう言って笑い、ユフィも上品に微笑んだ。


「ええ。どうぞごゆっくり。わたくしたちはもう寮に帰りますから」


 その中でアルシオは、アエラの方を見て小さく目を細めた。


「ありがとう、アエラ」


「どういたしまして」


 さらりと返しながらも、アエラはほんのわずかに視線を逸らす。その横顔にまだ少しだけ先ほどの照れが残っているのを見て、アルシオは胸の奥がやわらかくなるのを感じた。


「じゃあ、行こうか」


「うん、兄様」


 その返事は、さっきの皇子らしい落ち着いた声音ではなく、年相応の素直な明るさに戻っていた。フェリオが一歩下がって道をあけ、レックスも無言のまま自然に続こうとする。けれどその前に、エクシオはもう一度だけ振り返った。教室の中で、アエラが兄の方を見ている。ほんの一瞬だけ目が合うと、彼女は何でもないように微笑んだ。それが妙に胸に残って、エクシオは小さく瞬きをした。


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