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エピローグ

 

 冬期休暇は足早に過ぎ去って行った。帰る日が近づくにつれ、王城の空気も少しずつ慌ただしさを取り戻していく。侍従たちは再び学園へ戻るための荷を整え、レックスもまた抜けのない手際で準備を進めていた。つい先日戻ってきたばかりのような気がするのに、もう出立の日だ。

 出発の朝、王城の中庭には冷たい光が満ちていた。冬の空は高く澄み、吐く息はまだ白い。用意された馬車の前には、家族の姿がある。


「気をつけて行くのですよ」


 アリーシャがそう言って、アルシオの肩へそっと手を置く。穏やかな声だったが、その眼差しにはやはり名残惜しさがあった。


「はい、母様」


「身体には気をつけなさい」


「はい」


 答えながら、アルシオもまた胸の奥に小さな寂しさを覚えていた。学園へ戻れることは嬉しい。アエラにも会える。生徒会のことも始まる。けれど、それとこれとは別だった。家族と離れることは、やはり素直に寂しい。

 ルナーリアも、今日は少しだけしんみりした顔をしている。


「お兄様、またお手紙書きます。お返事、下さいね」


「うん。ルナも元気でね」


「約束ですわ」


 上目遣いにお願いするルナーリアが可愛らしくて、アルシオは思わず微笑んだ。

 エクシオはというと、寂しさよりも、春には入学する事に期待を膨らませているようだ。


「兄様、学園へ戻っても鍛錬を怠らないでくださいね。春には僕も一緒です」


「そうだね。待ってるよ」


「はい!」


 そう言って胸を張る姿に、アルシオは小さく笑う。快活で、まっすぐで、やはりエクシオらしかった。ルークはそんな子どもたちのやり取りを見ていたが、やがてアルシオへ視線を向けた。


「向こうへ戻れば、また忙しくなる」


「はい」


「体調管理だけは怠るな。健全な思考は、健全な身体から編み出される。今はまだ、学園生活に集中しなさい」


 さりげなくあの日の話の続きを含んだ言い方に、アルシオは気を引き締める思いで、素直に頷いた。


「気をつけます」


 ルークはそれ以上何も言わず、ただ肩へ軽く手を置いた。その重みだけで十分だった。


 少し離れたところでは、もう一つの別れがあった。レックスの前に立っているのは、エリアスとアンナだ。王城勤めの都合もあるのだろう、二人そろってこうして見送りに来られることは多くないはずだった。だからこそ、今日のアンナはどこか嬉しそうで、そして少しだけ寂しそうでもあった。


「――レックス」


 息子の肩を引き寄せて、そのままぎゅっと抱きしめる。


「ちょ、母さん」


 レックスは露骨に困った顔をした。耳までうっすら赤くなっているのに、逃げるほど本気ではない。そのあたりが余計に可笑しい。


「子どもじゃないんだけど」


「分かってるわよ。でも、わたしにとってはいつまでたっても息子だもの」


 アンナはそう言って、ようやく少しだけ身体を離した。目元にうっすら涙を浮かべたまま、今度は両手でレックスの顔を覗き込む。


「ちゃんと食べるのよ。無理しすぎないこと。怪我もだめ。あんまり殿下のことばかり気にして、自分のことを後回しにしないの」


「はいはい、分かってるって」


「レックス!」


 ぴしゃりと言われて、レックスはますます気まずそうに視線を逸らす。その横で、エリアスが苦笑していた。


「母親の気が済むまで、言わせてあげなさい。寂しいんだよ」


「父さん」


 ぼやくレックスに、アルシオは思わず口元を緩める。アンナはそんなアルシオに気づくと、今度は少しだけ姿勢を正して礼を取った。


「アルシオ様。どうか、またうちの子をよろしくお願いいたします」


「こちらこそ。レックスにはいつも支えてもらってばかりです」


 そう返すと、アンナはどこか誇らしそうに微笑んだ。エリアスもまた、静かに頭を下げる。


「学園でも、レックスはきっとよく務めるでしょう。ですが、どうか無茶だけはなさらぬよう」


「ええ」


 短いやり取りの中に、信頼と親愛が滲んでいた。やがて出発の時刻が告げられる。アルシオはあらためて家族を見渡した。戻りたい場所がある。待ってくれる人がいる。そのことが、胸の奥に静かな力をくれる。


「行ってまいります」


 アルシオがそう告げると、アリーシャがやわらかく微笑んだ。


「ええ。行ってらっしゃい」


 ルナーリアが小さく手を振る。エクシオは胸を張ったまま大きく頷く。ルークは何も言わず、ただ静かに目を細めていた。


 馬車へ乗り込む直前、レックスはもう一度だけアンナの方を振り返った。


「……母さん」


「なあに?」


「その、母さんも、身体には気をつけて」


 ぶっきらぼうに言っただけなのに、アンナはぱっと表情を明るくした。


「ええ。ありがとう」


 レックスはそれ以上何も言わず、そそくさと馬車へ乗り込んだ。けれど、その耳がまだ少し赤いのを、アルシオは見逃さなかった。

 馬車がゆっくりと動き出す。中庭が遠ざかっていく。見送りの人々の姿が少しずつ小さくなっていく。それでも、ルナーリアの振る手も、エクシオの真っ直ぐな眼差しも、アリーシャの微笑みも、ルークの落ち着いた立ち姿も、最後までよく見えた。

 王城を離れる寂しさは、やはりあった。

 けれど同時に、その寂しさの先に、戻りたいと思う学園がある。


 会いたい人がいる。馬車の揺れの中で、アルシオはそっと胸元へ触れた。


 もうすぐ、また会える。



 久しぶりに戻った学園は、冬期休暇を迎える前とはどこか少しだけ違って見えた。石造りの回廊にはまだ冬の冷たさが残っている。けれど、中庭の木々の先には、ほんのわずかに春を待つ気配があった。吐く息は白いままなのに、空の色だけは休暇前より明るい。

 アルシオは馬車を降り、ゆっくりと学園の正門を見上げた。帰ってきたのだと思う。


「皇子殿下」


 聞き慣れた声に顔を向ける。石段の上に、アエラが立っていた。冬の光の下でも、その翠の瞳はひどく鮮やかだった。制服の上に羽織った外套の裾を揺らしながら、こちらを見ている。息が白く、鼻が赤いのを見れば、長い時間外にいた事がわかる。その姿を見ただけで、胸の奥がふっと熱を持つ。アルシオが来るまで待っていてくれたのだろうか、そんな都合のいい期待が、胸をよぎる。


「……リーナ」


 思わずその名が零れる。アエラは春のように満面の笑みで、迎えてくれた。


「おかえりなさい、アルシオ」


「ただいま」


 たったそれだけのやり取りなのに、不思議なくらい胸が満たされる。休暇のあいだ、何度も思い返した声だった。手紙の文面では足りなかった温度が、今は目の前にある。アエラは一歩、石段を下りてきた。会いたかったのは、自分だけではなかったのだと思うと、それだけで胸が鳴る。


「休暇のあいだ、退屈してなかった?」


 そう問うと、アエラは少しだけ肩をすくめた。


「少しはね。手紙を書いても、返事が来るまで時間がかかるし」


「ごめん」


「でも、ちゃんと返してくれたから大丈夫」


 そう言って、アエラは少しだけ首を傾ける。


「あなたは?」


 その問いに、アルシオはすぐには答えられなかった。楽しかったこともある。家族に会えて嬉しかった。ルナーリアの生誕祭もあった。けれど同時に、王城ではいろいろなことを思い知らされた。その現実を知ったうえで、今こうしてアエラを前にしている。


「……いろいろ考えたよ」


 ようやくそう言うと、アエラは少し意外そうに目を瞬いた。


「へえ。珍しい」


「君がそうさせたんだと思う」


「何よ、それ」


 口ではそう言いながらも、どこか嬉しそうに笑う。その笑顔を見ていると、王城で抱いた迷いや怖さまで消えてしまいそうになる。けれど、消してはいけないのだとも思う。

 好きだからこそ、考えなければならない。彼女が彼女らしくいられるように、自分がどう在るのかを。


 その答えはまだ出ていない。けれど、考え続けたいと思う。



 その後、講義の合間を縫って、設けられた生徒会室に発足メンバーは集まる。次年度から本格的に始まる生徒会。その役割、行事への関わり、学園内での権限、教師陣との連携。話し合うべきことは多い。


 アエラは迷いなく意見を出し、ランスやマリエラ、ザンザスが現実的な筋を通し、整えていく。エレンは、細部までみている。そしてアルシオは、その流れの中にいた。

 アエラがアエラらしく、生徒会を引っ張っていけるように、自分がどのように支えていくのか、自分がどう在りたいか、その輪郭だけは少しずつ見え始めていた。


 打ち合わせが終わり、窓の外が薄く夕色を帯び始める頃、アエラが机の向こうからアルシオを見る。


「どう?」


「何が?」


「戻ってきた感じ、してきた?」


 アルシオは少しだけ笑った。


「うん。ようやく」


「よかった」


 アエラは満足そうに頷く。その横顔を見ながら、アルシオは静かに息をついた。会えた嬉しさは、もう隠しようがない。そしてその嬉しさの先を、今度こそちゃんと考えていかなければならないのだと思う。


 窓の外には、冬の名残を残した学園の空が広がっていた。けれどその色は、確かに次の季節へ向かっている。


 もうすぐ、二年生だ。

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