第九章-1 妹の生誕祭
「そろそろ参りましょう」
アリーシャの静かな声に、全員が頷く。入場の順はすでに決まっていた。まずは女皇アリーシャと王配ルーク。続いて、第一皇子アルシオと第二皇子エクシオ。そして最後に、今夜の主役であるルナーリアが入場する。それぞれの立場が、そのまま順序になっていた。
大広間へ続く扉の前に立つと、向こう側のざわめきが微かに伝わってくる。招かれた高位貴族たちはすでに揃い、王家の入場を待っているのだろう。
先頭に立つアリーシャは、まっすぐ前を見ていた。落ち着いた紫のドレスを纏ったその背は、ひどく美しい。隣のルークもまた、静かな威厳を纏っている。二人が並ぶだけで、空気が自然と整うのが分かった。そしてその後ろに、アルシオとエクシオが立つ。背後には、少し緊張した面持ちのルナーリアがいる。
アルシオは振り返り、ほんの少しだけ微笑んだ。
「大丈夫?」
その一言に、ルナーリアははっとしたように顔を上げ、それから小さく頷く。
「……ええ。大丈夫ですわ」
「緊張してるな」
エクシオに指摘され、ルナーリアはすぐに唇を尖らせた。
「だって、今日はいつもよりずっと大勢の方がいらっしゃるのですもの」
「でも、皆ルナーリアをお祝いしに来てるんだよ」
アルシオがそう言っても、ルナーリアは肩の力を抜くことが出来なかった。
「……そう、ですわね」
淡い藤色のドレスに包まれた細い肩は、わずかに強張っている。笑顔は作れている。けれど、白い手袋に包まれた指先には、少しだけ力が入っていた。
アルシオはその様子に気づき、そっとエクシオへ顔を寄せた。
「……エクシオ」
耳打ちすると、エクシオは一瞬だけルナーリアを見て、すぐに頷く。
「分かりました」
エクシオの声はいつもより控えめだが、その口角はクッと上がっていた。
アルシオはルナーリアへ向き直り、手を差し出した。
「お手を取っていただけますか?皇女様」
「兄様……?」
「一緒に行こう、ルナ」
反対側から、エクシオも手を差し出しにっと笑う。
「堂々として。僕たちがちゃんとエスコートするから」
その言い方に、ルナーリアは目を丸くし、それからぱっと表情をやわらげた。
「……ありがとう、お兄様方」
侍従長の低い声が響く。
「ご入場にございます」
先にアリーシャとルークが大広間へ入る。落ち着いた紫のドレスを纏った女皇と、静かな威厳を纏う王配。その二人が歩み出た瞬間、大広間の空気がすっと引き締まった。
そして、わずかな間が置かれる。中央に立つのは、今夜の主役であるルナーリア。その左右に、アルシオとエクシオが並ぶ。
二人の皇子は、それぞれルナーリアの手を取っていた。白と紫の礼装を纏った兄たちに支えられ、淡い藤色のドレスを揺らしたルナーリアが一歩を踏み出す。まだ十三歳のあどけなさを残しながらも、その姿には王女としての気品がたしかに宿っていた。
大広間の空気が、ふっとやわらぐ。先ほどまでの厳粛さの中へ、春先の陽だまりのような明るさが差し込んだようだった。貴族たちの間から、感嘆を押し殺したような息が漏れる。アルシオは歩幅をゆるやかに合わせる。ルナーリアの手はまだ少しだけ緊張していたが、先ほどよりずっと力が抜けていた。反対側では、エクシオがわずかに胸を張っている。誇らしげで、それでいてどこか嬉しそうな横顔だった。三人で進むその姿は、誰の目にも王家の兄妹として美しく映っただろう。
やがて所定の位置まで辿り着くと、アルシオとエクシオは静かに手を離す。ルナーリアは一人で立ち、深く息を整えたあと、きちんと前を向いた。
もう、その表情に先ほどの不安はほとんど残っていない。アリーシャはそんな娘を見て、穏やかに微笑んだ。
ルークもまた、静かに目を細める。今夜の主役は、もう十分にその役目を果たせる顔になっていた。
アリーシャはゆっくりと前を向き、大広間を見渡した。燭台の灯りが、その落ち着いた紫のドレスをやわらかく照らす。ざわめきがすっと静まり返り、楽師たちの奏でる旋律も、一段と厳かなものへ変わった。
「本日は、ルナーリアのためにお集まりくださり、感謝いたします」
凛として、よく通る声音だった。
「十三という節目を、こうして皆さまと共に迎えられることを、母としても、女皇としても嬉しく思います。今宵はどうぞ、祝いのひとときを楽しんでちょうだい」
短い挨拶だった。けれど、それだけで場は十分に整った。続いて、ルークが一歩前へ出る。
「今宵はルナーリアの成長を祝う席だ。堅苦しいことは抜きにして、どうか楽に過ごしてほしい」
王配らしからぬ少し砕けた物言いに、広間の空気がわずかにやわらぐ。張りつめていた気配がほどけ、ようやく今夜が祝宴なのだと、誰もが息をついたようだった。その様子に、ルナーリアも少しだけ表情をやわらげる。
まず最初に進み出たのは、公爵家の当主夫妻だった。年嵩の公爵は恭しく礼を取り、その妻も流れるような所作で頭を垂れる。
「本日は、ルナーリア皇女殿下のご生誕をお祝い申し上げます。十三歳という佳き節目を、このようにお慶び申し上げる機会を賜りましたこと、我が一門にとってもこの上ない名誉にございます」
「ありがとう。今宵はどうぞ楽しんでちょうだい」
アリーシャが穏やかに応じる。公爵夫妻は再び深く礼をし、それから今度はルナーリアへ向き直った。
「皇女殿下におかれましては、ますますお美しくご成長なされましたこと、心よりお慶び申し上げます」
「ありがとうございます」
ルナーリアは少し緊張しながらも、きちんと微笑みを返した。声は控えめだが、震えてはいない。先ほど兄たちに支えられて歩いたことで、心が落ち着いたのだろう。その後、公爵夫人の視線が自然な流れでアルシオとエクシオへ移る。
「アルシオ皇子殿下も、学園で目覚ましいご活躍をなさっていると伺っております」
その言葉に、アルシオはごくわずかに背筋を正した。
「恐れ入ります。まだ学ぶことばかりです」
「ご謙遜を。創設祭でのご様子は、すでにこちらまで評判が届いております。まこと、頼もしい限り」
祝いの言葉の形を取りながらも、そこには確かな値踏みがあった。続けて夫人はエクシオへ微笑みかける。
「エクシオ皇子殿下も、ますますご立派になられましたこと」
「ありがとうございます」
エクシオは明るさを抑えながらも、きちんと一礼した。その所作にはまだ若さがある。だが、それがかえって今の彼には似合っていた。公爵夫妻が下がると、次の侯爵家、伯爵家が続く。祝いの言葉はよく似ている。けれど、その中に滲むものは少しずつ違った。
ある老侯爵はルナーリアの成長を寿ぎながら、何気ない調子でエクシオの鍛錬ぶりへ話を向けた。ある伯爵夫人はアリーシャの装いを褒めたあと、ごく自然にアルシオの学園生活へ言及した。さらに若い公爵家の当主などは、アルシオへ向ける笑みの奥に、あまりに分かりやすい打算を隠しきれていなかった。
昼間に耳にした噂が、胸の奥で冷たく蘇る。誰と親しくし、誰と並び、どう見られたか。そのすべてが、ここでは別の意味を持つ。
それでも、今夜の主役はルナーリアだ。アルシオはそう言い聞かせるように、意識を妹へ戻した。




