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第八章-4 生誕祭

 それから数日、王城での時間は穏やかに過ぎていった。朝は冷たい空気の中で目を覚まし、昼にはルナーリアの生誕祭へ向けた準備の慌ただしさが城内を満たす。廊下では侍女たちが布や花を運び、厨房では祝宴のための仕込みが進み、応接間では招待客の最終確認が行われていた。その合間に、ルークやジークハルトに剣の鍛錬を見てもらう。レックスは久々にジークハルトに見てもらえることを、喜んでいた。帰省中も、鍛錬は欠かさなかった。

 鍛錬を終え、城内へ戻る回廊で、エクシオがふいに口を開いた。


「でも、まだ剣は兄様には及びませんね」


 悔しさを滲ませつつも、どこか吹っ切れたような声だった。


「僕の剣は素直すぎると、父様が言ってました」


 アルシオは少し笑って頷く。


「そうだね。エクシオの剣は、見ていて気持ちがいいくらいまっすぐだよ。でも、そのぶん相手の先手を許しやすい」


「やっぱりそうですか」


「もっと相手の剣筋の先を読まないと、打ち込む前に潰される」


 エクシオは、ふむと真面目に考え込み、それから鏡越しに兄を見るような顔で言った。


「兄様は、さすがですね。冷静に見ておられる」


「そうかな」


「ええ。静かに構えてるのに、気づいた時にはもう先を取ってる」


 きっぱり言い切ったあと、エクシオはにっと笑う。


「でも、いつかは追い越しますから」


「どうかな」


「その余裕の顔、忘れませんよ」


 軽口を交わしながら歩く足取りは、どこか軽かった兄弟として並んで歩くその時間が、帰省のあたたかさそのもののように思えた。


 *


 そして、生誕祭の当日。日が傾くより少し前から、王城の中は祝いの夜へ向けた華やいだ気配に包まれ始めた。大広間へ続く回廊には季節の花と金糸の飾りが整えられ、燭台の火が一つずつ灯されていく。いつもは落ち着いた石造りの城が、今夜ばかりは柔らかい光に彩られていた。

 アルシオは侍女たちに整えられながら、鏡の前に立っていた。白を基調とした礼装には、皇国の色である紫が控えめに差されている。襟元から袖口にかけての意匠は華美すぎず、それでいて一目で王家の人間と分かるだけの気品を備えていた。左肩に掛けるマントは表が白、裏地は深い紫。歩けばその色が静かに揺れ、白の清廉さの奥に皇国の威を忍ばせる。

 手袋とタイは黒。その黒が全体を引き締め、黒髪のアルシオの面差しに年齢以上の落ち着きを与えていた。そして胸元のさらに奥、表からはほとんど見えぬ位置に、小さく畳んだハンカチーフが忍ばせてある。淡い緑の刺繍が入ったそれは、今日は深く隠した。学園の舞踏会とは違う。ここは皇国の王城だ。誰の目にも触れさせたくなかった。けれど、身につけずにはいられなかった。


「兄様、もうお支度は?」


 扉の向こうから明るい声がして、アルシオは顔を上げる。


「入っていいよ」


 返事をすると、すぐに扉が開いた。入ってきたエクシオを見て、アルシオはほんの少しだけ目を見張った。エクシオもまた、白を基調とした礼装に身を包んでいた。紫の差し色、白地に紫の裏を持つマント――意匠の系統はアルシオと揃えられている。けれど、手袋とタイは黒ではなく、落ち着いた灰色だった。

 その違いが、二人の印象をきれいに分けている。同じ王家の色を纏っているのに、黒髪のアルシオは静かな威厳を、金髪のエクシオは若々しい華やかさを帯びて見えた。

 鏡の前に並ぶと、その違いはいっそう鮮明だった。学園へ入る前までは、まだアルシオの方が頭ひとつ分ほど高かったはずだ。けれど今は、ほとんど目線が変わらない。いつの間にか、こんなに背が伸びていたのだと、アルシオは少し驚く。

 黒髪のアルシオが細く引き締まった身体つきのまま静かな印象を纏っているのに対し、エクシオは少しだけ骨格がしっかりしていた。肩幅も、胸元の厚みも、年齢のわりに頼もしさがある。まだ少年らしさの残る輪郭の中に、確かな男らしさが育ち始めているのが分かった。


「……こうして見ると、僕も少しは兄様に近づけていますか?」


 鏡越しに問う声には、少し誇らしげな響きがあった。アルシオはその横顔を見て、やわらかく目を細める。


「うん。もう並んで立っても違和感がないくらいには」


 その言葉に、エクシオは嬉しそうに笑った。その時、扉の外から控えめに声がかかった。


「アルシオ様、エクシオ様、そろそろお時間です」


 侍女に促され、控え室へと向かった。中にはアリーシャとルークがすでに入っていた。アリーシャは落ち着いた紫のドレスに身を包み、髪を優雅にまとめた姿は、女皇としての気品と、母としてのやわらかさを併せ持っている。


「母様」


「アルシオ、エクシオ。よく似合っているわ」


 アリーシャは微笑みながら二人を見比べた。


「アルシオは静かに映えて、エクシオは明るく映える。どちらも素敵よ」


 褒められて、エクシオは少し照れたように背筋を伸ばした。


「ありがとうございます、母様」


「母様も、とってもお綺麗です」


 アルシオも軽く一礼する。アリーシャはふとアルシオへ目を向け、どこか感慨深そうに微笑んだ。


「こうして見ると、ルークが幼い頃も、こんなふうだったのかしらって想像してしまうわね」


 少しだけ砕けた口調と、少女のように笑う顔。普段の威厳ある母とは違うその表情に、アルシオはなんとなく気恥ずかしくなって父を見る。


「どうだかな。俺は、もっと落ち着きのない子供だった気がするが……」


 思いがけず自分の子供時代を引き合いに出され、ルークは少しばつの悪そうな顔をした。そんな夫を見て、アリーシャはくすりと笑う。両親はいつもこうして、自然に寄り添っている。

 そこへ、本日の主役が控え室へと入ってきた。ルナーリアは、淡い藤色のドレスに身を包んでいた。生地はやわらかく光を含み、裾や胸元には白い刺繍が控えめに施されている。華美すぎない意匠が、十三歳の少女らしい可憐さと、王女としての上品さをちょうどよく引き立てていた。金色の髪は下ろされ、肩から背にかけてゆるやかに流れている。片側をリボンでまとめた姿はまだあどけなさを残していて、それでいて今夜の主役に相応しい華やぎもあった。

 アリーシャは娘の姿を見た途端、ぱっと顔を輝かせた。


「まぁ、まるで天使のようだわ。ルナーリア」


「母様……」


 ルナーリアはたちまち頬を染め、恥ずかしそうに俯く。けれど、その口元は嬉しさを隠しきれていなかった。


「本当に。とてもよく似合っている」


 アルシオがそう言うと、ルナーリアはそっと顔を上げる。


「……ほんとうに?」


「うん。今夜の主役にぴったりだよ」


 その言葉に、ルナーリアの紫の瞳がぱっと明るくなった。


「兄様方もとても素敵だわ。お二人ともまるで絵物語の中の王子様みたい」


 エクシオが少し照れたように笑う。


「それはルナが主役だからだよ。僕たちは引き立て役です」


「まあ、そんなことありませんわ」


 すぐに言い返すあたりが、いかにもルナーリアらしい。ルークはそんな三人を見渡し、穏やかに目を細めた。


「……今夜はずいぶん華やかだな」


 何気ない一言だったが、その声には家族を眺めるやわらかな響きがあった。アリーシャはなおも満足そうにルナーリアを見つめている。


「ええ。本当に、よく似合っているわ。こんなに愛らしいのですもの、皆さま驚いてしまうでしょうね」


「母様、あまり仰らないで……」


 とうとうルナーリアは耳まで赤くなり、小さく肩をすくめた。その様子が可愛らしくて、控え室の空気は自然とほころぶ。祝宴が始まる前の、やさしくあたたかな時間だった。


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