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第八章-2 ただいま

 皇都へ続く街道は、冬の淡い光に包まれていた。裸木の並ぶ道を進みながら、馬車は静かに揺れる。見慣れたはずの景色なのに、今はどこか遠く感じた。向かいに座るレックスは、途中から何度かうとうとしていたが、皇都が近づく頃にはさすがに目を覚ましていた。窓の外へ視線をやりながら、淡々と荷の確認をしている。


「もうすぐ着くな」


「うん」


 短く返してから、アルシオも窓の外を見た。遠くに、白い城壁と高くそびえる塔が見える。冬の陽を受けて、セレスティア皇城は静かに輝いていた。幼い頃から見慣れた景色なのに、今日ばかりはどこか違って見える。帰ってきたのだ、と胸の奥でようやく実感が追いついた。

 正門をくぐり、馬車が中庭へ入る。車輪の音がゆるやかに止まると同時に、扉の外から侍従の声が聞こえた。


「アルシオ皇子殿下、レックス様、ご到着にございます」


 レックスが先に立ち、扉が開かれる。外の冷たい空気が頬を撫でた。石段の上には、見慣れた人影があった。

 ルークとアリーシャが並んで立ち、その少し後ろにエクシオとルナーリアの姿がある。冬の穏やかな光の中で、その光景だけがやけにあたたかく見えた。


「おかえりなさいませ、お兄様」


 先にそう言ったのは、ルナーリアだった。もうすぐ十三になる妹は、もう幼い子どものように駆け寄ってくることはない。けれど、金色の髪を揺らしながら一歩前へ出たその顔には、隠しきれない喜びが浮かんでいた。紫の瞳が、ひどく嬉しそうにきらめいている。


「ただいま、ルナ」


 アルシオが微笑むと、ルナーリアはほっとしたように表情をやわらげた。


「ご無事で何よりですわ。学園のお話、あとでたくさん聞かせてくださいませ」


「うん。楽しみにしていて」


 そこへ、すぐ脇から明るい声が重なる。


「兄様、僕にもご挨拶させて下さい」


 エクシオだった。以前より背丈も伸び、少年らしい線の細さの中に、少しずつ青年の気配が混じり始めている。けれど兄を見つめる眼差しのまっすぐさは、少しも変わっていなかった。


「おかえりなさい、兄様」


「ただいま、エクシオ」


 そう返すと、エクシオは嬉しそうに笑った。


「学園はどうでした? やっぱりすごいですか。歓迎会も競技会もあったのでしょう? 兄様の話、早く聞きたいです」


 一度に言われて、アルシオは思わず小さく笑う。


「一度には答えきれないよ」


「時間はたっぷりあるから、楽しみにしてます」


 エクシオは快活な笑顔を向け、横でルナーリアが小さく声を上げる。


「ずるいですわ、わたくしもご一緒します」


「もちろん」


 兄妹二人の様子に、自然と頬がゆるんだ。


「よく帰ってきたな」


 落ち着いた声がして、アルシオは顔を上げた。


 ルークが石段を下りてくる。隣にはアリーシャもいた。二人の目は穏やかで、久しぶりに帰ってきた息子を慈しむ眼差しだった。


「父様、母様。ただいま戻りました」


 背筋を伸ばしてそう告げると、ルークは短く頷き、大きな手でアルシオの肩に触れた。


「ああ。元気そうでなによりだ」


 その一言だけで、胸の奥がじわりと熱くなる。ルークとは、創設祭の時にも会っているが、やはり会えると嬉しい。


「おかえりなさい、アルシオ」


 アリーシャが微笑む。


「よく見ない間に大きくなりましたね。もう背丈は追い越されてしまったわ」


「そうですね」


「よく顔を見せてちょうだい。可愛いアルシオ」


 頬を両手で包み込まれ、アリーシャの顔が近づく。ほのかに甘い香りが懐かしい。アルシオは両手を母の背中に回し、その体を抱きしめた。


「母様」


 暖かな出迎えに思わず、胸が熱くなった。ようやく体を離すと、アリーシャは微笑みながらその手を取った。


 ルークがレックスへ声をかける。


「ご苦労だったな、レックス」


 レックスは背筋を伸ばしたまま答える。


「ただいま戻りました、陛下、王配殿下」


「今日は、お前も家に帰りなさい。エリアスとアンナが待ってる」


「はい!ありがとうございます」


 その言葉に、レックスの表情がわずかにやわらいだ。


 冬の中庭には、澄んだ空気と、家族の穏やかな気配が満ちていた。学園の賑やかさとは違う。けれど、ここにはここでしか得られない温かさがある。

 九ヶ月ぶりに戻った王城は、何も変わっていないようでいて、自分の見え方だけが少し変わった気がした。

 そしてその変化の中には、きっと、あの緑の瞳の少女がいる。


 城の中へ入ると、暖炉の熱が冷えた身体をやわらかく包んだ。見慣れた回廊、磨き上げられた床、壁に掛けられた絵画や織物。どれも幼い頃から当たり前に見てきたものばかりなのに、九ヶ月ぶりに戻ってみると、不思議なほど新鮮に思える。


 荷を運ぶ侍従たちの後ろを歩きながら、ルナーリアがすぐ隣へ寄ってきた。


「お兄様、お疲れではありませんか?」


「少しは。でも、大丈夫だよ」


「では、お茶をご一緒できるかしら」


 言い方はきちんとしているのに、声の端には隠しきれない嬉しさが滲んでいる。アルシオは思わず笑みを深めた。


「あとでね。荷を置いてから」


「約束ですわ」


 そう言ってルナーリアは満足そうに頷く。反対側では、エクシオがいかにも待ちきれない様子で口を開いた。


「兄様、競技会での模擬剣はどうでした? レックスに負けたと仰ってましたけど、かなり良いところまで行ったのでしょう?」


「準決勝までだよ」


「十分すごいです。それで?レックスとはどうでしたか?どのように戦われたのですか?」


 ルークが、少し前を歩きながら肩越しに振り返る。


「エクシオ。帰ってきたばかりの兄に、廊下で質問攻めをするものではない」


「申し訳ありません、父様」


 言葉ではきちんと謝りながらも、その顔にはまだ聞きたいことが山ほどあると書いてある。ルナーリアと顔を見合わせ、二人して少しだけ大人しくなる様子が可笑しくて、アルシオは胸の奥がやわらぐのを感じた。


 *


 その夜の食卓は、久しぶりに家族だけのものになった。長い食卓の上には、冬の食材を使った温かな料理が並んでいる。香辛料のきいた煮込み、焼き上げた鳥料理、根菜のスープ。王城の食事は学園のそれよりずっと洗練されているはずなのに、今夜は不思議と、それ以上に“家の味”として胸へ落ちてきた。話題は学園での生活を根掘り葉掘り聞かれ、一つ一つ丁寧に説明した。エクシオもルナーリアも、興味津々で聞いていた。


「先日は舞踏会もあったのでしょう?兄様はどんな方と踊られたの?」


 食事も半ばに差しかかった頃、ルナーリアが何気ない口調でそう尋ねた。手元のナイフとフォークが、ほんのわずかに止まる。エクシオも興味深そうに兄を見る。ルークはグラスへ手を伸ばしたまま、何も言わない。


「……クラスメイトと、だよ」


 そう答えると、ルナーリアはぱっと顔を輝かせ、アリーシャは穏やかに微笑んだ。


「兄様、きっと素敵だったんでしょうね! きっとお相手の方も、そう思っていたに違いないわ!」


 無邪気な言葉に、アルシオは返事に詰まる。舞踏会の灯りの下、髪に結ばれた黒いリボン。胸元の緑に気づいた時の、あの真っ赤な顔が、ふと脳裏によぎる。


「……どうだろう」


 なんで答えたらいいかわからなかった。回想のなかのアエラに、おもわず表情がほころぶ。ようやくそれだけ返すと、ルナーリアは少しだけ不満そうに首を傾げた。


「もう、兄様ったら。そういう時は、もっと自信を持ってよろしいのに」


「ルナーリア」


 たしなめるようにアリーシャが名を呼ぶ。けれどその声音はやわらかく、咎めているわけではなかった。


「ですが、気になりますわ。学園には、きっといろいろな方がいらっしゃるのでしょう? 兄様と仲良くしてくださる方も」


 そこへ、エクシオが当然のように口を開いた。


「兄様は目立つでしょうし、放っておかれないと思います」


「そうでしょう?」


 ルナーリアが同意を求めて、くすりと笑う。


「そんなことはないけど……」


「嘘だ!兄様はなんでもお出来になるし、そんなはずありません!」


 エクシオはきっぱりと言い切るので、アルシオは思わず苦笑した。


「出来ないことだって、普通にあるよ」


「いいえ。兄様は自分で思っているより、ずっと人の目を引いてるんですよ」


 少し語気が強いのに、そこには嫌味も打算もない。ただ本気でそう信じているのだと分かる。エクシオらしい言葉だった。ルークはグラスを置き、静かに息をついた。


「お前たちは、兄を持ち上げすぎだ」


「だって本当のことです」


 エクシオが即座に返し、ルナーリアも小さくうなずく。


「ええ!」


 その様子に、食卓には小さな笑いが広がった。あたたかく、穏やかで、満ち足りた時間だった。それなのに、ふとした拍子に胸に浮かんでしまうのは、遠く離れたソルフランの窓辺だった。冬の淡い光の中で、自分を見上げていた緑の瞳。手紙を書くと、少し照れながら言った声音。


「兄様?」


 エクシオに呼ばれて、アルシオははっと顔を上げる。


「どうしたんですか。少し、ぼんやりしていたように見えました」


「……ううん。大丈夫」


 そう返すと、エクシオは納得したようでいて、どこか気にしている顔をした。ルークは何も言わなかったが、その目だけが静かにこちらを見ていた。


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