第七章-3 黒いリボン
それからの数日は、表向きには何ひとつ変わらない日常のまま過ぎていった。朝になれば講義があり、昼になれば食堂が賑わい、放課後には図書館や実技場へ向かう生徒たちの足音が回廊に満ちる。窓の外の木々はさらに葉を落とし、風は日ごとに冷たさを増していたが、学園そのものは静かに、けれど確実に年の終わりへ向かっていた。
ただ、アルシオたち六人のあいだだけには、目に見えない変化があった。生徒会発足がまだ公にはされていない以上、誰も表立ってそれに触れることはない。けれど、昼休みや放課後、空き教室の片隅で自然と顔を合わせる機会は増えた。
新入生を迎える際の導線。寮生活への適応。歓迎行事の在り方。学生から学園側へ要望を届ける形式。記録の残し方と予算の扱い。話し合うべきことは思っていた以上に多く、そして、誰一人としてただ座っているだけの者はいなかった。
「歓迎の場を設けるなら、それで終わりでは意味がないわ」
「歓迎行事の後に、不安が出た時の相談先も必要でしょうね」
アエラがいえば、マリエラが穏やかに補う。
「担当を曖昧にすると責任の所在がぼやける」
「その場合、相談窓口は寮生活と学習面で分けた方が集計しやすいと思います」
ザンザスが短く切り、エレンがおずおずと帳面へ書き留める。
「最初の印象づけだけではなく、継続のための仕組みまで考えるなら、その方が妥当でしょう」
「うん。歓迎行事と、その後の支援をひと続きのものとして組んだ方がいいと思う」
ランスが静かに言い、アルシオが全体を繋いでいく。
こうして見ると、それぞれの役割はすでに自然と形になりつつあった。六人でいても、いつも一緒にいるわけではない。けれど、何かを決める場になると不思議なほど噛み合った。そして、その中心で話すアエラの姿を見るたび、アルシオはやはり思うのだった。あの時の判断は、間違っていなかったのだと。
*
やがて学園のあちこちで、年末舞踏会の話題が本格的に持ち上がり始めた。歓迎社交会よりも、今度の舞踏会はずっと意味が重い。一年の締めくくりであり、次年度へ向けた節目でもある。来賓も迎え、第一期生だけで過ごしたこの一年を振り返りながら、新たな年度へ繋いでいくための夜だと、教員たちも何度か口にしていた。
女子生徒たちのあいだでは、当然のようにドレスの話題が飛び交う。
「色はもう決めました?」
「私は薄青にしようかと」
「白も綺麗ですけれど、この季節だと少し冷たく見えるかしら」
その賑わいとは別に、アルシオとアエラのあいだにもまた、誰にも知られぬまま静かに沸き立つものがあった。年末舞踏会で二人が並ぶ理由は、表向きにははっきりしている。次期生徒会長と、それを支える立場にある者として。学園の次年度を担う顔として。誰の目にも、それはごく自然な組み合わせに映るだろう。
けれど、それだけではないことを、二人だけは知っていた。互いが特別な存在であること。それを、まだ言葉にはできない。口にしてしまえば、今のままではいられなくなる気がして、どちらも踏み込めない。
それでも――今だけは、こうして並んでいられることが嬉しかった。建前に守られながら、ほんの少しだけ本音に触れられる夜が、もうすぐやって来る。そう思うだけで、胸の奥が静かに熱を帯びた。
放課後、アエラはユフィーリアの部屋へ珍しく呼ばれた。舞踏会の支度について相談するためだった。侯爵令嬢らしく、ユフィーリアの部屋にはいくつかの布見本や装飾がすでに整えられている。
「貴女には、淡い橙がよろしいと思いますわ」
鏡の前に立つアエラを見ながら、ユフィーリアが言った。
「赤みを帯びた髪にも合いますし、冬の灯りの下でもやわらかく映えます。薄緑もお似合いですけれど、歓迎社交会の時とは少し違う印象になりますし」
「淡い橙……」
アエラは小さく繰り返し、鏡の中の自分を見た。たしかに、それはよく似合う気がした。春の若葉のような軽やかさではなく、もう少し温かみがある。灯りを受けた時に、きっとやさしく華やぐ色だ。
「じゃあ、それにする」
そう答えると、ユフィーリアは満足そうに微笑んだ。
「ええ。きっと、とてもお綺麗になります。装飾は、金か白を合わせるのが自然ですわね」
そう言ってユフィーリアが並べた細いリボンや飾り紐の中へ、アエラの視線がふと滑る。その端に、控えめなシャルムーズの細い黒のリボンがあった。思わず、手が伸びた。
「……これ」
「黒、ですか?」
ユフィーリアがわずかに目を瞬かせる。アエラは何でもない顔を装いながら、その細いリボンを自分の髪へ軽く添えてみた。淡い橙の柔らかな色合いの中に、黒が一点だけ入る。それだけで全体が少し引き締まり、思っていた以上にしっくりきた。
「変かしら」
「いえ、変ではありませんけれど……少し意外ですね」
ユフィーリアの声音は穏やかだった。けれど、その目は何かに気づいたように静かだった。アエラは鏡越しにその視線を感じる。
「こっちの方が締まって見えるでしょう?」
言い訳のように口にしたけれど、自分でも少しだけ早口だったと分かった。
「ええ、たしかに」
ユフィーリアはそれ以上何も聞かなかった。ただ、ひどくやわらかく微笑んだだけだった。
「よくお似合いです」
「……そうかしら」
アエラは黒いリボンを指先でそっと撫でた。ほんのささやかな色だった。気づかれてしまうかもしれない。けれど、他の色を飾る気にはなれなかった。




