第七章-1 生徒会発足
創設祭の余韻は、思っていたよりずっと長く学園に残っていた。公開講義や展示の話題はもちろん、演武での勝敗や、来賓たちの反応まで、しばらくはどこへ行っても誰かが口にしていた。食堂でも、回廊でも、図書館の静かな一角でさえ、ふとした拍子に「あの時」と言えば通じるほどだった。
第一期生にとって、それほど大きな一日だったのだろう。けれど、どれほど熱の残る記憶も、季節の移ろいまでは止められない。日を追うごとに風は冷たさを増し、朝の窓硝子にはうっすらと白い曇りが浮かぶようになった。中庭の木々も少しずつ葉を落とし始め、放課後の回廊には、創設祭の頃にはなかった冬の匂いが混じり始めている。
学園は、静かに次の季節へ進もうとしていた。アルシオは教室の窓辺に立ち、外の景色を眺めていた。吐く息が白くなるほどではない。エストリアは皇国ほど、寒さの厳しい土地では無い。けれど、窓を少し開ければ、頬を撫でる空気の冷たさに、確かな季節の変化を感じる。
創設祭が終わってからも、日常は止まらなかった。講義があり、課題があり、図書館へ通い、クラスで顔を合わせ、時にはアエラと口論のようなやり取りをして、レックスに呆れられる。
何もかもが、少しずついつも通りへ戻っていったはずだった。それなのに、ふとした拍子に思い出すのは、夕暮れの教室で交わした言葉と、彼女の眼差しだった。二人だけが共有した特別な呼び名を、微かな甘さ。好きだと告げたわけでも、約束を交わしたわけでもない。けれど、それまでとは違う関係を、互いにそっと許しあったことだけは確かだった。
その日のホームルームも終わりに差しかかった頃だった。出席簿を閉じたノア・ヴェルデンが、片眼鏡を指先で押し上げる。
「セレスティア殿下、アルタイルさん。少しよろしいですか」
唐突に名を呼ばれ、アルシオは顔を上げた。アエラもまた、きょとんとした顔でノアを見る。ノアはいつもの穏やかな表情を崩さない。
「学園長がお呼びです」
アルシオはレックスと一瞬だけ目を合わせる。レックスも理由までは分からないらしいが、ただならぬ気配だけは感じ取ったようだった。アエラは小さく首を傾げながらも、すぐに立ち上がる。
「……何かしら」
「さあ」
アルシオも席を立つ。二人そろってノアのあとに続き、中央棟の奥へ向かった。冬の気配を含んだ廊下はひんやりとしていた。窓の外には、葉を落としかけた木々が見える。学園長室へ向かう道はそれほど長くないはずなのに、今日は妙に足音だけが耳についた。やがて、重厚な扉の前でノアが足を止める。
「どうぞ」
静かに促され、アルシオが扉を開けた、その瞬間だった。
「……え」
思わず、アエラが声を漏らす。学園長室には、すでに四人の姿があった。ランス・オルトリアン。その隣に、マリエラ・ブライト。ザンザス・ロクスウェイ。そしてエレン・ポープス。模擬評議会で、それぞれのクラスを支えた面々だった。
アルシオは扉の内側で一瞬足を止めた。なぜ自分とアエラが呼ばれたのか。なぜ、ここにこの四人が揃っているのか。
「入りなさい」
学園長の静かな声に促され、アルシオとアエラは室内へ足を踏み入れた。後ろ手に扉が閉まる音が、やけに重く響く。学園長は机の前に立ち、六人をゆっくりと見渡す。その視線には、ただ生徒を呼びつけたというだけではない、明確な意思があった。
「まずは、創設祭までの一連の働きに感謝します。模擬評議会、創設祭での決議案発表、来賓対応。いずれも、第一期生が本学園に何をもたらしたかを外へ示す機会となりました。諸君は、その中で、それぞれ異なる形で力を発揮した」
アエラが少しだけ背筋を伸ばす。アルシオもまた、自然と姿勢を正した。学園長は一拍置き、静かに続けた。
「来年度、本学園は第二年度を迎えます。新たな一年生が入学し、生徒数は増える。そうなれば、学生たちの声をまとめ、継続的に学園運営へ届ける仕組みが必要になるでしょう。行事、学習環境、寮生活、新入生の受け入れ――いずれも、今後は学生側の視点を抜きにして考えることはできません。そこで、来年度より、本学園に生徒会を発足させます」
最初に反応したのは、やはりアエラだった。
「生徒会……」
その声には驚きと、隠しきれない高揚が混じっている。
「そして、その初期メンバーとして、諸君を選びました」
ざわめきが六人のあいだに走った。アエラは息を呑んだまま学園長を見つめる。アルシオもまた、すぐには言葉が出なかった。
「理由は明白です。模擬評議会において、諸君はそれぞれ異なる立場から学園の未来を考え、他者を納得させ、形にするだけの資質を示した。熱意、調整力、現実感覚、交渉力、制度理解、実務能力。そのいずれもが、生徒会には必要です」
アルシオは、ふと創設祭までの日々を思い出していた。ぶつかり合う意見。譲れない立場。けれど、それでも形にしようと手を伸ばした時間。その延長線上に、今があるのだと分かる。
「ついては、年明けを待つ前に、役割の大枠だけでも定めておきたいと考えています。とりわけ、生徒会長は象徴となる立場です」
その瞬間、室内の意識が自然とアルシオへ向かう。皇子であり、模擬評議会でも代表を務め、創設祭でも学生側の顔として来賓の前に立った。そうなれば、真っ先にその名が挙がるのは当然だった。
「セレスティア殿下。まずは貴方に、生徒会長役を打診したい」
アエラが、ほんのわずかに息を止めた。周囲の面々も驚きはしなかった。むしろ、そう来るだろうと思っていた空気があった。けれどアルシオは、少しだけ目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……申し訳ありません。その役は、お受けできません」
今度こそ、場が揺れた。アエラがはっきりと目を見開く。学園長は驚いたようではあったが、すぐに問い返した。
「理由を聞いても?」
「はい。――僕が前に立つことには、分かりやすさがあります。けれど同時に、皇国の第一皇子という立場が、必要以上の遠慮や萎縮を生むこともあると思います。生徒会は、学生たちの声を学園へ届けるための組織です。ならば、最初の顔となる人は、肩書きで押すのではなく、もっと自然に人を巻き込み、皆が声を向けやすい人の方が相応しい」
そこでアルシオは、隣に立つ少女へ視線を向けた。
「僕は、アルタイル嬢を推します」
「……えっ?」
当のアエラが、珍しく間の抜けた声を漏らした。アルシオは真っ直ぐ彼女を見て続ける。
「君は前に立てる。物怖じしないし、人を惹きつける力がある。けれど、それだけじゃない。模擬評議会でも創設祭でも、君はちゃんと先を見ていた。学園がどうあるべきか、自分の言葉で語れていた」
アエラは何か言おうとして、言葉を失ったように唇を閉じる。アルシオは息をつき、今度は部屋全体へ向けるように言った。
「もちろん、一人で全部を担う必要はありません。僕も支えますし、ここにいる皆も、それぞれ違う形で支えられるはずです。前に立つ力と、支える力が揃えば、生徒会はきちんと機能すると思います」
そのあと、最初に口を開いたのはランスだった。
「……理にかなっています。生徒会長は象徴であると同時に、学生全体へ声を届かせる役目です。アルタイル嬢には、その資質がある」
マリエラも静かに頷く。
「ええ。華と推進力という意味では、これ以上ない人選ですわね。むしろセレスティア殿下が補佐に回る方が、全体の均衡は取りやすいかもしれません」
エレンも、おずおずと続けた。
「その……実務とか記録とか、そういうところは、僕たちが支えれば十分回せると思います」
ザンザスは短く言った。
「異論はない」
それだけだった。だが、それで十分だった。驚きが、少しずつ納得へと変わっていく。そんな空気が、室内に静かに広がっていく。けれどアエラだけは、まだ目を瞬かせたままだった。
「あなた……本気で言ってるの?」
「本気だよ」
「私、会長なんて……」
「大丈夫。向いてるよ」
即座に返されて、アエラが言葉に詰まる。アルシオは柔らかな声のまま続けた。
「君は勢いがある。けれど、それだけじゃない。自分が何を面白いと思って、何を変えたいと思っているのかを、ちゃんと言葉にできる。それは前に立つ人に必要な力だと思う」
それは、公の評価だった。ただ親しいからでも、情で推しているのでもない。アルシオが彼女の資質をきちんと見て、皆の前で言葉にしたのだと伝わるだけの重みがあった。アエラの頬が、ほんの少しだけ熱を帯びる。
けれど今は、それを気にしている余裕はなさそうだ。彼女は一度だけ目を伏せ、ゆっくり息を吐いてから顔を上げる。
「……私、遠慮しないわよ」
「知ってる」
「思ったことは言うし、止まれって言われても、簡単には止まれない」
「それも知ってる」
「会長って、もっと落ち着いた人がやるものじゃないの?」
その問いに、アルシオはほんの少しだけ笑った。
「だからこそ、支える人がいるんじゃないかな」
短い沈黙が落ちる。アエラは視線を巡らせた。ランス、マリエラ、ザンザス、エレン、そしてアルシオ。皆が、それぞれ違う形で彼女を見ていた。やがて、アエラは小さく息を吸った。
「……分かったわ」
その声は、もう揺れていなかった。
「引き受けます。生徒会長」
学園長が静かに目を細める。
「承知しました」
その一言で、ひとつの形が定まった。学園長は続けて、他の役割についても大まかな構想を示した。対外的な調整、会計、記録、規律、行事運営。正式な役職名や細部は年明け以降に整えるが、この六人が中心になることはもう動かない。
「なお、この件は年末舞踏会の場で発表する予定です。第二年度に向けた新体制として、生徒会発足を公に示すにはもっとも相応しい場でしょう。来賓もおりますし、学園にとっても節目になります」
マリエラが小さく頷く。
「対外的にも印象づけやすいですわね」
すると学園長は、アエラとアルシオへ視線を向ける。
「その際、会長たるアルタイルさんと、補佐の中心となるセレスティア殿下には、代表して並んでいただくことになるでしょう」
アエラの睫毛がぴくりと揺れる。アルシオもまた、ほんの一瞬だけ呼吸を止めた。けれど周囲から見れば、それはきわめて自然な話だった。次年度の顔となる二人が、舞踏会で並び立つ。それ以上でも以下でもない。
「異論はありますか?」
学園長の問いに、誰も何も言わなかった。あるはずがない。表向きには、あまりにも理にかなっている。ただ、アエラだけがほんの少しだけ視線を逸らし、アルシオもまた無言のまま姿勢を正していた。その様子を見たマリエラの目元が、わずかにやわらいだ気がしたが、彼女は何も言わなかった。話がひと通り終わると、学園長は最後に穏やかに告げる。
「生徒会は、本学園にとって初めての試みです。諸君には負担もかけるでしょう。ですが、だからこそ第一歩を担うに相応しい者を選んだつもりです」
その言葉には、信頼があった。六人はそれぞれに一礼し、学園長室を辞した。




