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第六章-3 見つかる想い

 

 中央広場に面した演武場には、一般参列の人々も多く集まっている。午後からの実技披露は、公開講義や展示以上に分かりやすく、外から来た者にも華やかに映るのだろう。観覧席では軽食を片手に談笑する者たちもいて、午前の厳粛さとはまた違って、お祭りのような賑わいがあった。


 来賓用の観覧席は高台に設えられていた。学園長やユリウス、ルーク、そのほかの有力貴族たちが並ぶそこへ、午後の随行役としてアルシオも加わることになっている。一方、生徒たちは別の観客席へ案内される。つまり、アエラとはここでいったん離れるわけだ。別れる直前、アエラがちらりとアルシオを見た。


「……じゃあね、学生代表」


 言い方はいつも通りだった。けれど、ほんの少しだけ、それ以外の何かが混じっている気がする。


「うん、……またね」


 その後ろ姿を目で追いかけてしまったことに、アルシオ自身が気づいたのは、レックスに肩を軽く小突かれてからだった。


「ぼんやりするなよ」


「……してないよ」


 小声でそう言いながらも、レックスの口元はわずかに笑っている。アルシオはそれ以上言い返せなかった。


 *


 午後最初の呼び物は、親睦競技会の上位入賞者による模擬演武だった。模擬剣、弓術、馬術。それぞれの優勝者と準優勝者が、創設祭の観客に向けて技を披露する。

 歓声が大きく上がったのは、やはり模擬剣である。


 演武場の中央へ現れたレックスとランスを見て、一般席の方でもざわめきが広がった。どちらも長身で、しかも纏う空気がまるで違う。力強く前へ出るレックスと、静かな圧をまとったランス。対照的な二人が向かい合うだけで、場の熱が変わるのが分かった。


 開始の合図とともに、木剣がぶつかり合う。高い音が、乾いた空気を鋭く裂いた。レックスは最初から勢いよく剣戟を繰り出す。細かな駆け引きより、前へ出る勢いで相手を押し込んでいく。その一撃一撃には迷いがなく、真っ直ぐだ。

 対するランスは、やはり無駄がなかった。受け流し、踏み込み、間を詰める。その動きには親睦競技会の時と同じく、磨き抜かれた硬質さがある。


 観客席からは、たびたび感嘆のざわめきが漏れた。来賓席でも、視線は自然と演武場へ吸い寄せられている。


「見事なものだな」


 誰かが感心したように呟く。セバイン卿か、あるいは別の貴族だったかもしれない。

 ルークもまた、腕を組んだまま静かに見つめていた。公の場に相応しい抑えた表情のまま、けれどその目は確かな熱を帯びている。


「レックスは、ずいぶん前へ出る剣だ」


 ぽつりと、ルークがそう言った。


 アルシオは頷く。


「はい。守るより、押し切る方が性に合ってるんだと思います」


「そうだろうな。……それに、ガルデの彼も動きがいい」


 低く返る声には、どこか親しみを含んだ響きがあった。レックスは最後まで良い動きを見せた。だが、演武として決着をつけるため、最後は審判役の教員が止めに入り、会場から大きな拍手が上がる。勝敗を明確にするための試合ではない。だからこそ、互いの実力がよく分かる一幕だった。


 歓声の中、レックスとランスが礼を交わす。その姿を見ながら、アルシオはふと生徒席の方を探した。遠いが、それでも、前列のあたりに見慣れた赤みを帯びた茶髪を見つける。

 アエラは、身を乗り出すようにして演武場を見ていた。隣にはユフィーリア、その少し後ろにゲイル。何か話しているようだが、もちろんここからでは声までは届かない。ただ、その横顔が妙に生き生きとして見えた。それだけで、なぜか胸の内に小さな安堵が落ちる。


 *


 演武の合間、来賓席には幾人もの貴族たちが挨拶に訪れた。学園長やユリウスへ言葉をかける者もいれば、皇国の王配としてのルークへ礼を尽くす者もいる。公的な場である以上、それ自体は自然なことだった。けれど、その中の一人が、やや低く声を潜めるようにしてルークへ近づいた時、アルシオは本能的に空気の変化を感じ取った。

 エストリア西部の有力貴族だったか。年の頃は五十代半ばほど。洗練された身なりと、いかにも社交に慣れた柔らかな笑みを浮かべている。


「王配殿下。本日はお目にかかれて光栄です」


「こちらこそ」


 ルークは落ち着いた声音で応じる。貴族はそのまま二、三、創設祭や学園の理念について当たり障りのない言葉を交わしたあと、ほんのわずかに視線をアルシオへ滑らせた。


「第一皇子殿下も、実にご立派に成長なさいましたな」


 その言葉自体は、ごく普通の社交辞令だった。だが、続いた声には、別の温度があった。


「実はわが家にも、殿下とそう歳の離れぬ娘がおりまして――」


 そこで、アルシオの胸の奥がふっと冷える。来た、と思った。何を言われるか、続きを聞くまでもなく分かったのだ。学園の祝祭の場にあって、柔らかな笑顔、けれどその実、交わされようとしているのは、もっと現実的で冷たい話だ。ルークは一拍だけ黙った。その沈黙の短さが、かえってはっきりとした線引きになった。低く落ち着いた声だった。


「ありがたいお心遣いです。ですが、今日は学園創設祭です。若者たちの学びと成果を祝う場であって、そのようなお話をするには相応しくない」


 穏やかだった。穏やかでいて、少しも揺るがない。相手の笑みが、ほんのわずかに固まる。


「失礼いたしました。出過ぎたことを――」


「お気になさらず」


 ルークはそれ以上追及もしなかった。ただ、そこで会話をきっちり終わらせる。品位を保ったまま、けれど完全に退ける。そのやり取りを、アルシオは横で聞いていた。ありがたい、と一瞬思った。けれど同時に、胸の奥へ別のものも沈んでいく。これは遠い未来の話ではないのだ、と。自分は皇子であり、誰かを選ぶことも、選ばれることも、国と政と無関係ではいられない。たとえ今は学生であっても、その現実はもうすぐそばまで来ている。創設祭の華やかなざわめきが、急に少し遠く感じられた。


 ルークはそんなアルシオの横顔を一瞬だけ見た。何も言わない。だが、その目はちゃんとアルシオの中に芽生えたものに気づいているようだった。


「次の演目が始まるな」


 ただそれだけ、静かに言う。


「……はい」


 アルシオもまた、それ以上は何も言わなかった。


 *


 生徒席からは、来賓席での細かな会話までは見えない。ただ、誰かがルークとアルシオのそばに立ち、話し込んでいるらしいことだけは分かった。アエラは演武場を見ていたはずなのに、気づけばそちらへ視線をやってしまっている自分に、少しだけ眉を寄せた。


「気になるんですか?」


 隣から、ユフィーリアの静かな声がした。


「別に」


「そうですか」


 それ以上、何も言わない。そのあっさりした返しが、かえって落ち着かない。演技が全て終わり、閉会式のため移動を始めた頃だった。ユフィーリアが、あくまで何気ない調子で口を開く。


「……そういえば、さっき聞きましたけれど」


 アエラは振り返る。


「何を?」


「王子殿下に、縁談を持ちかけた方がいたそうですわ」


 言葉が、一瞬そのまま胸に刺さった。


「え……?」


 自分でも驚くほど、間の抜けた声が出る。ユフィーリアは視線を前に向けたまま続けた。


「もっとも、王配殿下がその場でお断りになったそうですけれど」


「……へえ」


 やっとのことで、それだけ返す。一言で済ませられるほど、胸の内は静かではなかった。けれど、そこで何か言えば、自分でも認めたくないものまで口から出てしまいそうで、アエラは唇を引き結ぶ。ユフィーリアはそこで初めて、ちらりと横目を向けてきた。


「不思議ですね」


「何がよ」


「普段の貴女なら、その程度の話、笑い飛ばせると思っていましたけど」


 アエラは答えられなかった。皇子殿下――。そうだ、アルシオはただの同級生ではない。学園でどれだけ自然に話していても、図書館で本を読んでいても、模擬評議会で意見を交わしていても、その事実は変わらない。

 いずれ皇国に戻り、相応しい相手を選ぶ。皇族と釣り合いが取れる高貴な令嬢を。そんなの、当たり前のことなのに。どうしてこんなに、胸の奥がざわつくのだろう。


「……行きましょうか」


 ユフィーリアがそれ以上何も言わずに立ち上がる。アエラもまた、黙ってあとに続いた。けれど、もうさっきまでと同じ顔ではいられなかった。



 *



 午後の催しがすべて終わる頃には、陽はもうだいぶ傾いていた。演武場に響いていた歓声も、公開展示の前を行き交っていた人々の話し声も、少しずつ遠のいていく。創設祭の熱に満ちていた学園は、ゆっくりと、一日の終わりの色へと沈み始めていた。

 閉会のために再び中央広場へ集められた学生たちの前で、学園長が壇上へ立つ。


「本日の創設祭は、皆さんの尽力と来賓各位のご厚意によって、つつがなく終えることができました。ソルフラン国際学園は、まだ始まったばかりの学び舎です。けれど本日、ここに集ったすべての者が、その未来の一端を確かに見せてくれたと、私は思っています」


 簡潔で、けれど重みのある言葉だった。続いてユリウスが前へ出る。夕陽を受けたその横顔には、昼間の厳しさとはまた違う、穏やかな誇らしさがあった。


「よくやった。第一期生諸君」


 その一言だけで、広場の空気がやわらぐ。


「今日ここで見せられたのは、知識や技だけではない。異なる者が共に学び、考え、形にしていく力だ。この学園が何を育てる場所であるのか、本日、それは確かに外へ示された」


 言葉を終えたユリウスの視線が、一瞬だけアエラのいる方へ向いた気がした。アエラは背筋を伸ばしたままそれを受け止め、ほんのわずかに唇を結ぶ。誇らしさを噛みしめるような顔だった。

 閉会の辞のあと、来賓たちは順に退場していく。ルークの姿もその中にある。去り際、アルシオの方へひとつだけ視線が送られた。公の場ゆえ、手を振ることも、親しい笑みを見せることもない。けれど、その眼差しには昼間来賓室で交わした温もりがたしかに残っていた。創設祭は、こうして幕を下ろした。


 *


 来賓の馬車列が門の向こうへ消えていくのを見送ったあと、学生たちは担任ごとに解散となった。終わった、という安堵と、まだどこか熱の残る高揚が入り混じっている。皆、口々に感想を言い合いながら寮へ戻っていく。

 アルシオもその流れへ加わろうとした時だった。


「セレスティア殿下、アルタイルさん」


 ノア・ヴェルデンが二人を呼び止める。いつもの穏やかな顔だが、さすがに少し疲れが見えた。


「中央棟の教室へ、評議会関係の書類を戻していただけますか。申し訳ありませんが、今は他の教員も皆、来賓の見送りや後片付けに取られておりまして」


「ええ、構いません」

「分かりました」


 二人が頷くと、ノアは片眼鏡の奥でわずかに目を細めた。


「助かります。終わったら、今日はもう休んでください」


 ノアはそれだけ言うと、また別の方向へ急ぎ足で去っていった。残されたのは、アルシオとアエラだけだった。


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